第5話 光の器と迫る影
夜の屋敷は、ひんやりとした静寂に包まれていた。
窓から差し込む月光が床に長い影を落とし、眠るティアラの胸元の光だけが、かすかに揺れている。
リアンは椅子に座ったまま、そっとティアラの手へと自分の手を近づける。
触れ合う寸前、ティアラの指先から淡い粒子がほどける。
それらは迷うことなくリアンの掌へと流れ込み、
溶けるように消えた。
まるで――帰る場所を知っているかのように。
眠る少女は目を覚まさない。
だが、掌の奥に残る熱は、確かだった。
アルバートが低く呟く。
「……見たな」
クラウスは黙したまま、窓の外へ視線を向ける。
しばしの沈黙ののち、アルバートが続けた。
「……あれは、精霊王族に選ばれた証だ」
空気が、わずかに張り詰める。
「光の器――そう呼ばれている」
リアンは自分の掌を見つめる。
光はもうない。
だが、消えたはずの温もりだけが、胸の奥まで静かに沁みていた。
「……そうか」
短い一言だった。
否定も、戸惑いもない。
ただ、受け入れるように。
アルバートは目を細める。
「その意味までは、俺にもわからん。だが……王都が黙っているとは思えん」
窓の外の闇が、わずかに揺れた。
リアンはゆっくりとティアラの手を包み込む。
眠る少女の指先が、かすかに重なった。
「ならば、先に動くのは俺たちだ」
その声は静かだったが、揺らぎはなかった。
リリスはティアラの傍に座り、ずれかけた毛布をそっと整える。
眠る少女の指先が、無意識にリアンの手へ重なった。
淡い光が、ふたたび胸へと流れ込む。
リアンは言葉を発さない。
ただ、指を絡める。
それだけで十分だった。
アルバートが低く言う。
「……重さを測る段階は過ぎたな」
リアンは頷かない。否定もしない。
ただ、ティアラの手を握り返す。
「……どんなことがあっても、守る」
月光が差し込む。
光が、わずかに揺れた。
◆
屋敷の外。
森の闇が、わずかに波打つ。
「……結界が削られている」
クラウスの声は低い。
医務室の灯りが、わずかに揺れた。
アルバートが一歩前に出る。
「来るな」
結界の外で、影が蠢く。
一歩、踏み出そうとした瞬間。
屋敷の内から、微かな光が脈打った。
影が、止まる。
進めない。
苛立つように揺れながらも、踏み込めない。
リアンはティアラの手を握ったまま、静かに言う。
「俺が前に立つ」
その瞬間――
結界の表面に、ひびのような光が走った。
低い衝撃音が、屋敷を震わせる。
クラウスが歯を食いしばる。
「強引にこじ開けるつもりか……」
森の闇の奥。
「王命だ。少女を確保しろ。第七王子は抵抗するなら切り捨てろ」
押し殺した声が、夜に溶けた。
次の瞬間、結界がきしり、と嫌な音を立てる。
壁越しに走る震動が、医務室の灯りをわずかに揺らした。
眠るティアラの指先が、びくりと跳ねる。
胸元に宿る光が脈打ち、明滅し――一瞬、色を失った。
リアンの掌から、温もりがすり抜ける。
冷たい空白が、指の隙間に落ちた。
その瞬間、胸の奥を鋭く掴まれる。
リアンは歯を食いしばり、さらに強くその手を握り返した。
冷たい感覚が、指先から胸へと広がる。
光が、脆い。
守ると誓ったばかりの温もりが、いとも簡単に揺らぐ。
その夜――
リアンは初めて、己の無力を疑った。




