第4話 精霊の少女と守る者たち
森を抜ける頃、空は群青に沈み始めていた。
——それでも、背後の気配が完全に消えたとは、誰も言えなかった。
遠くの湖面に薄い光が揺れ、アルシェ家へ続く石畳の道が静かに延びている。
リアンは少女を抱き直した。腕の中にある温もりはまだ弱く、淡い光が胸元でかすかに揺れていた。
「早く帰ろう。ユラなら、何か分かるかもしれない」
クラウスが歩幅を合わせながら言った。
「ユラさん……家にいるかな……」
リリスは不安げにリアンを見る。
リアンは優しく答えた。
「大丈夫、俺たちが帰ってくるまで待ってると言っていたし、きっといる」
リリスは少しだけ安心したように微笑んだ。
湖を越えた先に、白亜の屋敷が見えてくる。
塔と回廊が夕光に淡く染まり、透明な結界が敷地を包む。
ここがリアンの家。
生まれたときから、父アルバートに守られ育てられてきた場所。
彼は心の中でゆっくり息を吐く。
——父上がいれば、この少女もきっと助かる。
そのとき、先に歩くクラウスがふと足を止めた。
「来たな。……ユラ」
空気が揺れた気がした。影が一度ぶれ、次の瞬間には少女が現れる。
深藍の髪が夜風に揺れ、銀青の瞳が淡く光る。
王直属部隊《夜織》の隊長、ユラ。
だがアルシェ家では、新米メイドとして働く“表の顔”を持つ。
白黒のメイド服。ひざ丈ギリギリのフレアスカートが風にひらりと揺れていた。
華奢な体に似合わず冷静で、姿勢はまっすぐだ。
「リアン様、クラウス様。リリス様。……想定より、遅いですね」
声は淡々としている。
しかしその一瞬、クラウスを見たときだけ、微かに瞳が揺れた。
「ユラ、頼みがある。この子を部屋へ運びたい。体温が不安定で……」
リアンが言うと、ユラは少女を見つめ、細く息を飲んだ。
「……精霊光が、漏れています。これは……」
「分かるのか?」
クラウスが尋ねる。
「詳しくは、中で。誰かに見られる前に——早く」
ユラの声が少しだけ切迫していた。
三人はユラに導かれ、裏口から広い屋敷へ入った。
磨かれた白い床石、淡い光が漏れる廊下。
リアンは何度も見てきた自分の家なのに、今はまるで別世界に感じた。
ユラが指したのは、医務室として使われている一室。
「ここなら父上もすぐ来られる。……ユラ、準備を頼む」
「はい」
ユラは慣れた手つきで薬箱と布、精霊術具を揃えた。
その横顔を、クラウスが静かに見つめる。
リアンは少女をベッドにそっと寝かせた。
ラベンダーの髪がシーツに広がる。
光の粒のようなものがまだ微かに浮かんでいた。
「……苦しそう」
リリスが胸を押さえる。
白銀の尾がしゅんと垂れた。
ユラが少女の額に手を当て、集中する。
その瞳に、いつもの冷静さが戻る。
「魔力の流れが……歪んでいます。人間のものとは違う。精霊適性が極端に高い……いえ、それ以上」
クラウスが近づき、空気を読むように手をかざす。
彼の“空の魔力”が、少女の魔力の波を感じ取る。
「これは……精霊核の反応だ。人間では、ほぼあり得ない」
リアンは驚きで息を飲んだ。
——精霊核。
精霊国ルミナシアの住民が持つ、
命そのものを支える核。
人間でいう心臓に等しい存在だった。
クラウスの声が、わずかに低くなる。
「理屈の上では、だ。……人間が持つものじゃない」
「クラウス兄さん……彼女、精霊の……?」
「混血だろうな。それも、純度が高すぎる」
部屋が静かになる。
そのとき、少女の指先がかすかに動いた。
「……ぁ……」
微かな声。
リアンはベッドに寄り、そっと手を握った。
「大丈夫だ。君は安全な場所にいる」
少女は薄く瞳を開け、何かを言おうとした。
けれど言葉は形にならず、再び眠りに落ちる。
ユラが小さく言う。
「……彼女、追われていますね。この魔力の乱は……長距離逃走の痕。敵の気配も……消されていましたが、痕跡がありました」
クラウスの表情が少しだけ険しくなる。
「森で感じた影……あれか」
リアンは静かに息を吐いた。
「彼女を……守りたい」
それは、思わず出た本音に近かった。
ユラがリアンを見つめる。
その瞳は冷静でありながら、どこか柔らかい。
「……分かりました。私も協力します」
リリスは胸に手を当て、頷いた。
「リアンお兄様……わたしも。絶対に守ります」
クラウスはふっと微笑む。
「そう言うと思った。リアン、父上にも報告しよう。 彼女の力は特殊だ。あの人なら、最善を選ぶ」
リアンは小さく頷いた。
——父上ならきっと、彼女を助けてくれる。
そう信じているのは、この場でリアンだけだった。
その瞬間、少女の胸元で光がふっと揺れた。
まるでリアンの言葉に応えたように。
けれどその光が何を示すのか、まだ誰も知らない。
この出会いが、アストラル王国と精霊国を巻き込む運命の始まりであることも——
まだ、誰も知らなかった。




