第4話 光の器──選ばれし少年
室内には、まだ静けさが残っていた。
少女は眠ったまま、動かない。
だが――
空気が、わずかに変わる。
外から、何かが滲むように近づいてくる。
気配は、一つや二つではない。
じわじわと――数が増えていく。
リアンは、無意識に視線を上げた。
胸の奥に残る違和感が、形を持ち始める。
――来る。
その直感と、ほとんど同時に。
アルシェ家の屋敷を取り囲むように、結界の外の気配が膨れ上がった。
重く、粘りつくような圧。
数が、明らかに異常だった。
ユラが、わずかに視線を外へ向ける。
「……外に、多数の気配があります。数が異常です」
短く、だが正確な報告。
アルバートが静かに頷いた。
クラウスが口を開く。
「少女は、黒装束の部隊に追われていました」
その言葉に、空気がわずかに引き締まる。
アルバートが低く呟く。
「なるほど……夜織かもしれん」
クラウスの瞳が、一瞬だけ大きく見開かれた。
ユラが、声を落とす。
「『夜織』――王直属の影。貴族ですら声を潜める存在です」
その説明の直後。
屋敷の外壁に張られた結界が、わずかに軋んだ。
低い振動が、空気を震わせる。
そのとき。
眠っていた少女の睫毛が、かすかに震えた。
「……っ」
小さな吐息。
ゆっくりと、紫の瞳が開かれていく。
まだ焦点は定まらない。
それでも、その奥に――確かな意思が灯り始めていた。
ティアラは体を起こせずにいたが、
その視線だけは、まっすぐに伸びる。
リアンへ。
「……ここ……は……?」
声は弱く、今にも消えそうだった。
ユラが、柔らかく応じる。
「アルシェ公爵家の屋敷です。あなたは森で倒れていました。クラウス様、リアン様、リリス様が保護したのですよ」
ティアラの視線が、ゆっくりと室内を巡る。
見知らぬ顔。
だが、張り詰めた気配の中に、わずかな温度があった。
リアン。
クラウス。
リリス。
順に、その姿を確かめる。
そして――
最後に、視線が止まる。
差し出された手の温もりが、記憶の奥から浮かび上がる。
「……助けてくれたのね」
小さく、息をつく。
「ありがとう……みんな」
リアンは、小さく頷いた。
それ以上は言わない。
その仕草だけで、十分だった。
「……君の名は?」
短く、問いかける。
少女は、わずかに息を整える。
「……ティアラ」
かすれる声。
それでも、はっきりと名乗った。
そのまま、体を起こそうとする。
だが――
力が、足りない。
わずかに揺れた体を、ユラがすぐに制した。
「ティアラ様、まだお休みください」
静かだが、有無を言わせない声音。
ティアラは、わずかに首を振る。
「……でも……」
言葉が途切れる。
呼吸は乱れている。
それでも、視線だけは逸らさない。
まっすぐに、リアンを見る。
「……私がいると、皆さんにご迷惑が……」
かすれる声。
リアンは、ほんの一瞬だけ目を細める。
すぐに、言葉を返した。
「心配しなくていい」
その一言に迷いはなかった。
ティアラの瞳が、わずかに揺れる。
そのとき。
アルバートが、静かに口を開いた。
「迷惑、か」
低く、落ち着いた声。
「それは違うな」
室内の空気が、わずかに変わる。
ティアラの視線が、ゆっくりとアルバートへ向けられた。
アルバートは、一度だけリアンを見た。
そして、言う。
「お前は、既に“選ばれている”」
迷いのない声音。
「……選ばれた?」
かすかな戸惑い。
アルバートは、わずかに視線を落とす。
リアンの掌へ。
「ティアラの光は――お前を選んだ」
言葉の重みが、静かに沈む。
室内に、わずかな沈黙が落ちた。
「そして――拒まなかった」
視線が、リアンの掌へと集まる。
ティアラも、つられるようにそちらを見る。
何もないはずの手。
だが、そこに確かに残る“温度”。
空気が、張り詰めた。
「それが何を意味するか、分かるか?」
誰も答えない。
アルバートは、ゆっくりと言い切る。
「つまり――お前が“器”だ」
リアンは、わずかに息を詰めた。
そのとき。
ティアラの髪先から、白金の光がひと粒、零れる。
淡く揺れながら、宙を漂う。
――迷うように。
次の瞬間。
引き寄せられるように、リアンの掌へと流れた。
触れた瞬間。
抵抗もなく、吸い込まれるように消える。
リアンは、息を呑んだ。
アルバートが、低く告げる。
「精霊王族の子は……強い結びを、無意識に選ぶ」
沈黙が落ちる。
「彼女にとってのお前が、それだ」
その言葉に。
ティアラの肩が、かすかに揺れた。
自分の胸元に、そっと手を当てる。
指先が、わずかに震えている。
何かを確かめるように。
だが――答えは、見つからない。
ゆっくりと顔を上げる。
視線が、迷いながらリアンへ向かった。
その瞳は、揺れている。
戸惑いと、理解できないものを映したまま。
アルバートは、視線を外さないまま続ける。
「……光の器は、ただ選ばれるだけのものではない」
静かな声。
だが、その奥にわずかな重さが混じる。
「精霊の光を受け入れるということは――」
言葉が、わずかに区切られる。
「その存在と、命の一部を共有するに等しい」
空気が、静かに冷え込む。
リリスの尾が、わずかに揺れる。
「精霊側に異変があれば、器も無関係ではいられない」
リアンは、わずかに目を伏せる。
掌に残る熱。
さきほど触れた光の感触が、消えない。
偶然ではない。
――拒もうとしたわけでもない。
ただ。
気づいたときには、すでに受け入れていた。
――選ばれた。
その事実が、胸の奥に静かに沈む。
リアンはゆっくりと、顔を上げる。
視線は、自然とひとつの場所へ向かう。
ティアラ。
その瞳と、ぶつかった。
言葉はない。
揺れる視線。
白金の光が、ふわりと二人の間を漂う。
まるで、繋ぎとめるように。
理由もないまま、それは確かにそこにあった。
――目を逸らせない。
――放っておけない。
リアンの胸の奥で、何かが静かに定まる。
ゆっくりと、口を開いた。
「……関係ない」
小さな声。
だが、はっきりと響く。
「何であろうと――守る」
それだけで、十分だった。
クラウスが、わずかに肩をすくめる。
「最初からそのつもりだろ」
軽く言うが、否定はしない。
リリスも、小さく頷いた。
不安はある。
それでも――リアンをまっすぐ見つめたまま、視線を逸らさない。
「……リアンお兄様が守るというなら、私も守ります」
静かだが、確かな声だった。
アルバートは、その様子を黙って見ていた。
やがて、わずかに目を細める。
「……ならば、守るぞ」
短く、言い切る。
「アルシェの名において、この娘を保護する」
それだけで、場の空気が塗り替わる。
ティアラは、寝台の上でわずかに身じろぎした。
ゆっくりと上体を起こす。
胸の奥で、何かが揺れる。
唇が、かすかに開く。
「……あの……私――」
その瞬間。
結界に、亀裂が走った。
ひびが、音を立てて広がる。
外の気配が、一斉に動いた。
クラウスが、短く吐き捨てる。
「……来るぞ」




