第3話 白金の証 ― その少女は王族だった
影が、一斉に“こちらへ”動いた。
次の瞬間、黒装束が木々の間から飛び出す。
音はない。
気配だけが、一直線に迫ってくる。
リアンは少女を抱えたまま、一歩踏み込む。
加速する。
クラウスが、わずかに視線を動かした。
「──無刃・虚軌断」
次の瞬間——
空間が歪んだ。
踏み込んだ軌道そのものが、見えない刃に切断される。
黒装束の一人が、踏み込んだ軌道ごと断ち切られる。
だが、止まらない。
残りが間合いを詰めてくる。
リリスが低く身を沈める。
狐耳が揺れ、尾がわずかに広がった。
「……まだ来る」
短く告げる声。
次の瞬間、爪が閃く。
一体の影が弾かれ、地に叩きつけられた。
リアンは振り返らない。
ただ前だけを見る。
腕の中の重みを、絶対に落とさないように。
森を駆け抜ける。
背後で、気配が追随する。
数は増え続ける。
だが——
森を抜けた。
空は、群青に沈み始めている。
遠くの湖面に、薄い光が揺れる。
アルシェ家へ続く石畳の道が、静かに延びていた。
湖を越えた先。
白亜の屋敷が、姿を現す。
塔と回廊が夕光に淡く染まり、屋敷を覆う透明な結界が、静かに脈打っていた。
「結界まであと少しだ」
クラウスが短く告げる。
三人は減速せず、そのまま結界へ踏み込んだ。
空気が変わる。
次の瞬間——
結界の外で、黒装束たちが足を止める。
踏み込めない。
ただ、こちらを見据えるだけだった。
リアンはようやく足を緩めた。
そのとき。
先を歩いていたクラウスが、ふと足を止める。
「来たな。……ユラ」
空気が、わずかに揺れた。
次の瞬間には、そこに“最初からいたかのように”立っていた。
銀青の瞳が、先にこちらを捉えている。
深藍の髪が、静かに揺れた。
白黒のメイド服が、風を受けてかすかに翻る。
細い体。
だが、隙はない。
「リアン様、クラウス様、リリス様。……想定より、遅いですね」
ユラの視線が、わずかに外へ流れる。
結界の向こうを、確認するように。
すぐに戻る。
そのあと、クラウスを見た瞬間だけ——
ほんのわずかに、瞳が揺れた。
リアンは一歩前へ出る。
「ユラ、頼みがある。この子を部屋へ運びたい。熱がある」
ユラの視線が、少女へ落ちる。
その毛先から零れる、白金の光。
一瞬、呼吸が止まる。
理解が追いつかないまま、瞳がわずかに揺れた。
だが、すぐに押し殺される。
その表情に、動揺は残らない。
「……中へ。誰かに見られる前に——早く」
わずかに速まった声。
三人は頷き、ユラに続いた。
◆
屋敷の裏口を抜ける。
白い床石。
淡い光に満ちた廊下。
案内されたのは、一室の客間だった。
リアンは慎重に少女を寝台に寝かせる。
紫がかった銀の髪が、シーツに広がる。
その毛先から、白金の光の粒が零れる。
少女の鼓動に呼応するように揺れていた。
「……苦しそう」
リリスが胸元を押さえる。
尾が静かに垂れた。
ユラが額に手を当てる。
迷いのない動き。
意識を、深く集中する。
「……魔力の流れが歪んでいます」
低い声。
「人間のものではない。精霊適性が……高すぎる」
クラウスが手をかざす。
空の魔力が、静かに触れる。
「……精霊核の反応だ」
短く、断定する。
リアンの呼吸が、わずかに止まった。
——精霊核。
その言葉に、胸の奥がわずかにざわついた。
「人間が持つものじゃない」
クラウスの声が、わずかに低くなる。
リリスが、不安げにクラウスを見上げる。
「……クラウス兄さん。彼女、精霊……?」
クラウスは、わずかに目を細める。
「違う」
短く、否定する。
「精霊核の反応がある。だが――それだけじゃない」
わずかな沈黙。
「人としての鼓動もある」
低く、言い切る。
「本来、両立するものじゃない」
部屋の空気が、静かに張り詰めた。
「……混血、か」
わずかな沈黙。
部屋が、静まり返る。
その時、扉が静かに開いた。
廊下から柔らかな光が差し込み、
ひとつの影がゆっくりと浮かぶ。
黒い外套に銀の刺繍。
深い青の瞳は穏やかでありながら、
刃のような鋭さを宿していた。
アルバート・アルシェ。
アルシェ公爵家当主にして、三人の父。
「……戻っていたのだな、クラウス。リアン。それにリリスも」
低く響く声が屋敷の空気を引き締める。
リリスは思わず姿勢を正し、
九つに増えかけた尾の気配を慌てて抑えた。
「⋯⋯お父様」
「リリス。尾が膨らんでいるぞ。驚かせたか?」
「い、いえ……少し緊張しただけです」
頬を染めてもじもじするリリスを、クラウスが肩をすくめて見守る。
「父上、見ての通りです。今日のリリスはずっと緊張しっぱなしで」
「クラウスお兄様っ! 余計なことを……!」
アルバートは微笑む。
リリスの耳まで赤く染まり、
リアンの胸の奥も、そっと温かさに包まれた。
「父上……森で、この少女を保護しました」
アルバートの視線が寝台の少女へ向く。
アルバートは少女の脈に指を触れ、瞼の色を確かめるように観察した後、静かに息をついた。
「これは……精霊国ルミナシアの光だ」
そのとき。
少女の呼吸が、わずかに乱れた。
閉じられていた瞼が、かすかに震える。
――ゆっくりと、開く。
焦点の定まらない瞳。
だが、その奥に――一瞬だけ、光が走った。
六芒星。
その中心から、羽のような紋様が広がる。
白金の光が、瞳の奥で静かに明滅する。
それは、瞬きの間の出来事だった。
次の瞬間には、紋様は消え、
少女の瞳は再び閉じられる。
だが――
見間違いではなかった。
空気が、凍りつく。
アルバートの指が、わずかに止まった。
その目が、はっきりと細められる。
「……今のは」
低く、呟く。
確信に近い響き。
「間違いない」
静かに、言い切る。
「精霊王族の紋だ」
アルバートは一度だけ少女を見下ろし、結論を落とす。
「精霊王族と、人間の混血だ」
静かな断定。
だが、その重さだけが部屋に沈んだ。
リリスが小さく息を呑む。
尾の先が、わずかに揺れた。
「……そんなこと、あり得るのですか?」
リリスの声は、小さく揺れていた。
クラウスが、ゆっくりと息を吐く。
「精霊国ルミナシアじゃ、精霊と人間の婚姻は認められていない」
淡々とした声。
「まして、王族とだなんて――あり得ないはずだ」
アルバートが、静かに頷く。
「本来ならな」
――静かな沈黙。
「理の外にある存在――そう呼ぶべきかもしれん」
そのとき。
少女の髪先から、ひときわ強い光が零れた。
白金の粒。
ふわりと浮かび、ゆっくりと宙を漂う。
――迷うように。
そして。
引き寄せられるように、リアンの方へと流れた。
誰も、動かなかった。
光の粒は、そのままリアンの手元へと辿り着く。
触れた瞬間。
抵抗もなく、掌の中へと吸い込まれ――消えた。
アルバートが、わずかに目を細める。
「……選ばれたか」
リアンは、しばらくその手を見つめていた。
温かい。
――なんだ、今のは。
理解できない。
それでも――
視線を外すことができなかった。
寝台に横たわる少女。
ただ――
目を離せなかった。




