第58話 白金の光に導かれて
白金の光は消えた。
それでも――その奇跡の余韻だけが、静かに残っていた。
感謝の声が、次々と重なっていく。
気づけば、さっきよりもずっと大きくなっていた。
その場から、ひとりだけ視線を外す者がいた。
ルカだった。
誰にも声をかけず、ルカは歩き出す。
騒がしさから、静かに距離を取るように。
足音すら、ほとんど響かない。
いつの間にか、城の奥の露台に出ていた
開けた空間に出た瞬間、冷たい風が頬をかすめる。
ルカは、そのまま歩みを止めた。
視線を上げる。
空は――まだ、覆われていた。
金色の霧が、薄くではあるが広がっている。
ルカは、ゆっくりと目を閉じた。
次の瞬間。
その身体から、淡い光が立ち上がる。
「――巡れ、風」
静かな詠唱だった。
「滞りを解き、あるべき流れへ」
足元から、風が生まれる。
静かに、巻き上がる。
だが確かに、空へと伸びていく。
「空へ還せ」
風が、応じるように強まる。
渦を描きながら、金色の霧を巻き上げ、
一気に空へと押し上げた。
やがてそれは、見えない流れとなって空を巡り始めた。
覆っていた霧が、ほどけていく。
空が、本来の色を取り戻していく。
ルカは、静かに目を開いた。
身体から立ち上っていた光が、すっと収束していく。
風もまた、何事もなかったかのように消えていった。
そのとき――
「……やるじゃないか」
低い声が、背後から落ちた。
ルカの肩が、わずかに揺れる。
振り向く。
クラウスが、そこにいた。
壁にもたれていた身体を起こし、ゆっくりと歩いてくる。
足取りは軽い。
だが、その視線はまっすぐだった。
ルカの隣に並び、同じように空を見上げる。
金色の霧は、すでに大半が押し上げられていた。
風が収まっていく中で、
ルカの指先だけが、わずかに震えていた。
「誰にも気づかれないとこで、全部やってしまう」
わずかに笑う気配。
「……好きだな」
ぽつりと落ちた声だった。
ルカの動きが、一瞬だけ止まる。
「……え?」
わずかに眉を寄せる。
クラウスは、視線を逸らした。
「……いや、そういうとこ」
軽く付け足すように言う。
それから、もう一度だけ空を見上げた。
残っていた霧は、ほとんど消えていた。
「――これで」
クラウスが、小さく息を吐く。
「ミストフォルンは、大丈夫だな」
ルカは、わずかに視線を伏せる。
もう、その表情は揺れていなかった。
風は、すでに止んでいる。
それでも――
空は、確かに変わっていた。
◆
王宮の前庭に、王家の馬車が静かに待っていた。
護衛が控える中、
レイヴンは何も言わず、歩みを進める。
淡い金の髪が、風に揺れた。
その表情は、静かすぎるほどに整っている。
誰も、声をかけない。
ただ、見送るだけだ。
王命だった。
ミストフォルンへ向かうための。
レイヴンは何も言わず馬車へ乗り込む。
扉が閉じられ、車輪がゆっくりと動き出した。
王宮を離れ、街を抜け、進んでいく。
揺れの中で――
ふと。
レイヴンの視線が、わずかに上がる。
窓の外。
遠く――ミストフォルンの方角。
次の瞬間。
空気が、わずかに歪んだ。
光そのものではない。
だが――空間に、わずかな異質が走る。
それを、レイヴンは捉える。
一瞬だけ、静止する。
その光を、見極めるように。
揺らぎと、わずかな歪み。
空間に走る、微細な違和感。
思考より先に、身体が反応していた。
一瞬。
レイヴンの呼吸が、わずかに止まる。
「……ティアラか」
レイヴンの瞳が、細められる。
指先が、わずかに動いた。
空気が変わる。
足元から、淡い光が滲み出した。
それはすぐに収まらない。
抑えきれないまま、広がっていく。
狭い車内を満たし、
空間そのものを歪ませるように、距離を捻じ曲げる光。
レイヴンの輪郭が、淡く揺らぐ。
次の瞬間。
光が収束し――その姿は消えた。
足元に、柔らかな土の感触が戻る。
湿り気を帯びた空気が、わずかに肌に触れる。
森の匂い。
深く、沈むような緑の気配。
ゆるやかな霧が、地を這っていた。
遠く――
灰緑の城壁が、かすかに輪郭を浮かべている。
ミストフォルン王城。
レイヴンは、一歩も動かない。
ただ、そこに立つ。
その周囲だけ、空気がわずかに澄んでいた。
淡い光が、衣の端に残るように揺れる。
やがて、それも静かに消えた。
風が止む。
空に残っていた金色の霧は、
すでにその大半が押し上げられていた。
淡い金色の髪が、わずかに揺れる。
レイヴンは、ゆっくりと目を細めた。
視線が、ミストフォルン王城へと落ちる。
「……やはり、来ていたか」
小さく、呟く。
次いで――
視線が、空へと向く。
整えられた風の流れ。
押し上げられた霧。
一瞬で、理解する。
「……ルカか」
わずかに、目を細める。
それ以上、視線を向けることはなかった。
視線は、すでに別の光を捉えている。
微かに残る、白金の光。
迷いなく、その位置を捉える。
距離は近い。
レイヴンの指先が、わずかに止まる。
だが――
次の瞬間には、迷いなく動いていた。
ためらいは、最初からなかった。
再び、光が立ち上がった。
空間が歪む。
先ほどよりも、鋭く、研ぎ澄まされた光。
光が収束する。
次の瞬間――
その姿は、かき消えた。
――あの白金の光のもとへ。




