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禁忌の第七王子と精霊の少女─その恋は王国の理を覆す─  作者: 七天宮 凛


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第57話 届かない手と、救う光

 洞窟を抜けた瞬間、冷たい空気が肺に流れ込んだ。

 それでも――吸い込んだ霧の影響は、まだ体に残っている。


 夜は、終わりかけていた。

 空が、わずかに白み始めている。


 クラウスとルカが、すでに外に出ていた。


 息を整える間もなく、

 リアンとティアラも外へと踏み出す。


 遅れて――リリスが飛び出してくる。


 外の空気は、冷たかった。

 肺の奥の重さは、消えなかった。

 金色の霧は、洞窟の外まで薄く滲み出していた。


 クラウスが、短く息を吐く。

 振り返り、全員を一瞥する。

 誰も、無事とは思えない顔をしていた。


 ティアラの呼吸は浅く、足元がわずかに揺れる。

 それでも――リアンの手は、離れていなかった。


 リリスは、少し遅れて足を止める。

 何も言わず、ただ全員の姿を確かめるように視線を走らせた。

 白銀の耳が、ぴくりと揺れる。


「……エルフィナが心配してるな」


 クラウスが低く言う。


「戻るぞ。ミストフォルン王城へ」


 迷いはなかった。

 ここに留まる理由が、もうない。



 城内へ踏み込んだ、その瞬間。

 気配が、止まった。


 奥にいたエルフィナの視線が、こちらへ向く。

 ほんの一瞬――

 全員の姿を、確かめるように見渡した。

 クラウス。

 ルカ。

 リリス。

 そして――リアンと、ティアラ。


 その視線が、わずかに緩む。

 息を詰めていたものが、

 静かにほどけるように。


 次の瞬間には、もう消えていた。


「……遅かったのね」


 落ち着いた声だった。

 責める色はない。

 けれど――

 待っていた時間の長さだけが、そこに滲んでいる。

 リアンは、短く答える。


「……間に合わなかった」


 わずかな沈黙。


「だが、発生源は封じた」


 エルフィナの視線が、わずかに変わる。


「……そうなのね」


「……ありがとう」


 その一言だけが、静かに落ちた。

 そして――

 エルフィナは、ゆっくりと視線を外す。

 もう一度だけ、

 全員の無事を確かめるように見渡し――

 小さく頷いた。


「……少し、外すわ」


 踵を返す。

 白銀の髪が、わずかに揺れた。

 そのまま、

 静かな足取りで、その場を離れていく。


 残されたのは、

 まだ収まりきらない現実だった。

 城内は、すでに限界に近かった。

 運ばれていく人影。

 崩れ落ちる身体。

 荒い呼吸。

 焦点の合わない瞳。

 白く濁った息が、かすかに漏れる。


 ――洞窟で見た症状と、同じだ。


 数が違う。

 あまりにも、多すぎた。


 ティアラは、一人の作業員の傍へと駆け寄った。

 膝をつく。


 震える身体。

 浅い呼吸。

 焦点の合わない瞳。


 ティアラは、わずかに息を吸った。

 その手が、胸元へと伸びる。


「……還りなさい」


 白金の光が、静かに溢れた。


 ――浄化魔法セラフィック・リヴァージョン


 やわらかな光が身体を包み込む。


 次の瞬間。


 荒れていた呼吸が、ゆっくりと落ち着いていく。

 震えが止まる。

 濁っていた瞳に、わずかに光が戻った。


 張り詰めていた空気が、ほんのわずかに緩む。


「……まだ、間に合う人がいる」


 その一言で、

 全員の視線が、自然とティアラへ向いた。


 ティアラは、静かに目を閉じた。

 胸の奥で、なにかがほどける。


 「……まだ、救える命がある」


 一歩、前へ出る。


 その瞬間。

 白金の光が、溢れた。

 静かに。

 けれど、抗えないほどにやわらかく――空間を満たしていく。

 空気が、変わる。

 重く淀んでいた気配が、

 ゆっくりとほどけていくのが分かった。

 同時に。

 ティアラから溢れ出していた光が、さらに広がる。

 砕けるでも、燃え上がるでもなく。

 やわらかく空間へと溶け込みながら――

 輪郭を持たないまま揺らぎ。

 やがて。

 幾重にも重なる光が、形を結ぶ。

 翼。

 そう呼ぶしかない光が、背に広がっていた。


 一本一本を主張するのではなく、

 層となって重なり合う。


 ただそこに在ると分かる、静かな存在。


 それは――

 触れたものを、ただ静める光だった。


 誰かが、息を呑む。


 ティアラは、ゆっくりと瞳を開いた。


「……還りなさい。穢れを祓い、あるべき姿へ――」


 声は、小さい。


 それでも――

 その場にいる全てへ、確かに届く。


 「浄化魔法セラフィック・リヴァージョン


 次の瞬間。

 光が、降りた。

 降り注ぐ、というより――

 包み込むように。

 白金の光が、空間そのものを満たしていく。


 その光は、倒れている者たちだけでなく、

 その場にいるすべてへと触れていた。


 肺の奥に残っていた重さが、

 ゆっくりとほどけていく。


 まとわりついていた違和感が、

 静かに消えていった。


 ――その変化に、

 リアンは、すぐには気づかなかった。


 クラウスは、わずかに目を細めた。

 ルカは、息を呑んだまま動かない。

 リリスの耳が、小さく震えた。


 それでも、

 リアンは、目を逸らさなかった。


 視線の先で――

 自分には、できなかったことが、

 目の前で起きていた。


 胸の奥が、わずかに軋む。

 それでも。

 視線だけは、外さなかった。


 リアンの視線が、わずかに揺れる。


 その横で――

 リリスの耳が、小さく震えた。

 何も言わない。

 ただ、


 そっと、リアンの腕に触れる。

 触れていることを、確かめるように。

 離れないように、

 わずかに、指先に力がこもる。


 けれど――

 リアンの視線は、前を向いたままだった。

 そのことに、ほんのわずかに指先が緩む。

 やがて――

 何もなかったかのように、そっと手を離した。


 光は、なおも広がり続けていた。

 それでも――

 リアンの視線は、前から動かなかった。


 視線の先で――

 苦しんでいた者たちの身体から、

 力が抜けていく。


 歪んでいた気配が、

 ゆっくりと解けていった。


 荒れていた呼吸が整い、

 震えが止まり、

 濁っていた瞳に、ゆっくりと光が戻る。

 倒れていた者が、わずかに指を動かした。

 やがて。


「……あ……」


 かすかな声。

 それは、生きている者のものだった。

 周囲が、息を呑む。


「……息が……」


「動ける……」


 重なっていく、安堵の声。

 その空間から、

 あの異質な気配は――もう消えていた。


 静寂が、落ちる。

 だがそれは、先ほどまでの死んだ静けさではない。

 生きている者たちの、静けさだった。


 その中で。

 一人が、ゆっくりと顔を上げる。

 視線の先にいるのは――ティアラ。

 白金の光に包まれ、

 背に翼を宿した、その姿。

 震える声が、こぼれる。


「……天使、様……」


 その言葉に、空気が揺れる。


「ありがとう……」


「助けてくださって……」


 感謝の声が、次々と重なっていく。

 ティアラは、何も言わない。

 ただ、そこに立っていた。


 その視線は――

 まだ、すべてを救いきれたわけではない現実を見据えている。

 やがて。

 光が、静かに薄れていく。

 背に広がっていた翼が、

 ゆっくりと形を崩していく。

 ほどけるように。

 粒となって、

 淡く、やさしく――空気へと溶けていく。


 最後の光が消えたとき。


 そこに残っていたのは、

 ただ一人の少女だった。


 リアンは、その光景を見ていた。

 脳裏に、あのときの光景がよぎる。


 あのとき、救えなかった。


 そして今も――

 自分の力では、届かない。


 それでも、

 目の前で、確かに命が救われている。

 その姿から、目を離せなかった。







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