第59話 再会の裏で動く王命
ざわめきは、まだ完全には消えていなかった。
その場に残っていたのは――
安堵と、消えきらない緊張だった。
レイヴンの視線が、揺れる。
「……追われていた」
低く、落とすような声だった。
「王宮を出るとき、気配を感じた」
クラウスの眉が、鋭く寄る。
「……王がつけたのか」
「おそらく」
短い返答。
ざわめきの中に、別のざわめきが混じる。
人の流れが、わずかに揺れる。
人の視線が、ひとつの方向へ流れていく。
リアンの視線も、そちらへ向く。
――来る。
確信に近い感覚だった。
次の瞬間。
人の間が、開く。
その奥から――
ひとつの影が、静かに踏み込んできた。
迷いのない足取りだった。
黒と深藍のショートコート。
軽やかな装いの中に、隙のない気配だけが宿っている。
ユラだった。
ティアラも、目を見開く。
その表情に、安堵がにじんでいた。
ルカも、小さく息を吐く。
張り詰めていたものが、ほんの少しだけ緩む。
リアンの肩の力が、わずかに抜ける。
リリスが、はっと息を呑む。
「……ユラさん……」
一歩、踏み出す。
胸元に手を当てる。
「ご無事で、なによりです」
ユラの視線が、わずかに動く。
クラウスへと向けられる。
クラウスも、何も言わずに見返した。
その視線が、重なる。
――そのとき。
瞳の奥に、やわらかな光が差した。
次の瞬間には、もう消えている。
クラウスの手が、ゆっくりと持ち上がる。
そして――
ユラの頭に、軽く触れた。
「……背負わせてしまったな」
低い声だった。
「すまなかった」
ユラは、わずかに目を細める。
ほんの少しだけ。
柔らかく。
「……いえ」
小さく首を振る。
「私が、選んだことです」
張り詰めていた気配が緩む。
混乱は、ゆるやかに収まりはじめていた。
ティアラの周囲には、まだ人影が残っている。
支え合いながら、その場を離れていく者。
だが、その多くが――何度も振り返る。
視線の先にいるのは――ただ一人、ティアラ。
人の動きが、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
そのとき――
足音が、静かに近づいた。
振り返るまでもなく、気配で分かる。
エルフィナだった。
その表情は落ち着いている。
だが、視線の奥には、まだ消えきらない緊張が残っていた。
リアンたちを見渡し―― そして、口を開く。
「……父が、お会いしたいそうよ」
短く、それだけを告げる。
周囲にいる者たちにも聞こえる声ではない。
その一言で十分だった。
視線が、自然と集まる。
「ミストフォルンを救ってくれたこと、直接、礼を言いたいと」
淡く付け加えられた言葉。
拒む理由は、誰にもなかった。
エルフィナは、それ以上は何も言わず、静かに踵を返す。
導くように、歩き出した。
リアンたちも、それに続く。
城の奥へと進むにつれ、空気が、変わっていく。
喧騒は遠ざかり、代わりに、静かな気配が満ちていく。
やがて――
玉座の間へと辿り着く。
扉は開かれていた。
中へ足を踏み入れる。
石と木の匂い。
変わらない。
以前とは違う静けさがあった。
高座には、王がいた。
白銀に、淡い灰を宿した髪。
その一房に、わずかな紫。
深い紫の瞳が、まっすぐにこちらを見ている。
その一段下には、王太子。
整えられた白銀の髪。
静かな視線。
側近たちは、壁際に控えている。
全てが、整っていた。
エルフィナが一歩進み、頭を下げる。
「お連れしました」
それだけを告げ、脇へ退く。
王の視線が、静かにリアンたちへと向けられる。
「……エルフィナから報告は受けている」
低く、落ち着いた声だった。
威圧はない。
場を支配する重みがある。
「ミストフォルンの民を救ってくれたこと、王として、礼を言う」
言葉は簡潔だった。
その一つ一つに、確かな重みがある。
嘘はない。
リアンは、それを感じ取る。
王の視線が、わずかに動いた。
その先――
リリスへと向けられる。
一瞬だけ、その瞳の色が柔らぐ。
「……リリス」
名を呼ぶ声。
厳しさではない。
どこか、温度を含んだ響きだった。
「お前のような孫を持てたことを、誇りに思う」
まっすぐな言葉だった。
飾りはない。
それだけに――深く届く。
エルフィナが、頷く。
その視線もまた、リリスへと向けられていた。
柔らかい。
言葉はない。
だが、同じ想いがそこにあった。
リリスの指先が、胸元で重なる。
小さく息を吸う。
その瞳に、熱が宿っていた。
何かを言おうとして―― 言葉にはならない。
ただ、深く頭を下げた。
リアンは、その様子を見ていた。
胸の奥が、わずかに揺れる。
――こんな顔も、するのか。
知らなかった感情が、そこにあった。
そのとき。
一歩、前に出る影があった。
レイヴンだった。
王の視線が、そちらへ向く。
「……そなたは」
短い問い。
レイヴンは、静かに口を開く。
「アストラル王国の命を受け、本件について報告と伝達に参りました」
淡々とした声。
感情は、ほとんど乗らない。
その言葉に、空気の変化が走る。
王の瞳が、細められる。
そのとき――
エルフィナが、口を開いた。
「お父様」
静かな声。
「彼は、アストラル王国第六王子―― レイヴン殿下です」
簡潔だった。
それ以上の説明はない。
だが、それで十分だった。
王の視線が、改めてレイヴンを捉える。
「……そうか」
短く、受け止める。
動揺はない。
ただ、状況を把握しただけだった。
「ならば、聞こう」
静かに告げる。
「アストラルの王は、何を望む」
まっすぐな問いだった。
レイヴンは、視線を落とし、そして再び上げる。
「封光石の採掘場にて発生した毒について、現状の確認と報告を命じられています」
淡々と続ける。
「加えて――」
ほんの一瞬だけ、間が空く。
「必要と判断される場合、アストラルより人員を送り、採掘の再開および加速を支援するように、と」
その言葉が落ちた瞬間――
空気が、張り詰めた。
ルカの表情が、ほんのわずかに強張る。
視線が、揺れる。
それを――
クラウスは見逃さなかった。
何も言わず、そっと手を伸ばす。
軽く、ルカの肩に触れる。
それだけ。
強くもない。
引き寄せるわけでもない。
ただ、そこにいると示すように。
ルカの呼吸が、わずかに整う。
視線の揺れが、収まっていく。
ほんの少しだけ、力が抜けた。
ユラの視線が、その様子をかすめる。
一瞬だけ。
何も言わない。
ただ、それを見ていた。
すぐに、視線を前へと戻す。
王は、静かにレイヴンを見ていた。
その瞳の奥で、何かを測るように。
「……事情は理解した」
ゆっくりと、言葉を落とす。
「だが、この地のことは、我らの責任でもある」
声は変わらない。
静かで、揺るがない。
「協力の申し出は、受け取ろう。だが、判断は我らが行う」
はっきりとした線引きだった。
拒絶ではない。
だが、譲りもしない。
レイヴンは、何も言わず、その言葉を受け止める。
ただ、静かに頷いた。
やがて。
王は視線を巡らせる。
「……本日は、ここまでとする」
穏やかな締めだった。
「改めて、礼を言う」
最後に、そう告げる。
エルフィナが一歩前へ出る。
「こちらへ」
静かに促す。
リアンたちは、踵を返す。
玉座の間を、後にする。
外へ出た瞬間。
張り詰めていた空気が、ほどける。
だが――
リアンの意識は、別の一点に向いていた。
封光石。
アストラル王は、それを急がせている。
――儀式に使うと、聞いた。
その先までは知らない。
胸の奥に、違和感が残る。
何をするつもりだ。
アストラル王は。




