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第51話 王城はすでに侵されている

 エルナティスは、わずかに目を細めた。


「――行け」

 

 その声と同時に、

 湖の中央へと、わずかに視線が向けられる。

 

 言葉はない。

 

 ティアラは迷わなかった。

 一歩、踏み出す。

 

 湖の上へ。

 

 わずかな間。

 

 誰も、すぐには続かなかった。

 その一歩の意味を、測るようにして。

 

 その背を追うように、リアンが歩き出す。

 続いて、クラウス。

 リリスとルカも、無言で足を踏み出した。


 全員が湖の上に立った、その瞬間――

 湖の水が、静かに揺らいだ。

 波紋が、ゆっくりと広がる。

 足元が、静かに沈みはじめる。


 水の冷たさはない。

 ただ、やわらかな感覚に包まれる。

 

 身体が、湖の中へ吸い込まれていく。

 

 ティアラは、ふと顔を上げた。

 

 湖の上。

 

 エルナティスが、静かにこちらを見下ろしている。

 

 視線が合う。

 言葉はない。

 それで、十分だった。

 

 その時。

 

 白い花びらが、ゆっくりと動き出す。

 

 まるで――

 ティアラに応えるように。

 

 一枚、また一枚。

 

 やがてそれは、渦を巻くように

 ティアラたちの周囲を包み込む。

 

 白が、視界を埋めていく。

 

 そのすべてが――

 ふっと、光の粒のようにほどけた。




 次の瞬間――

 

 足元の感覚が、変わった。

 柔らかなものを踏んでいる。

 気づいたとき。

 巨大な木の根元に、立っていた。


 ……戻っている。


 それなのに――


 ティアラが、わずかに息を呑む。

 

 リリスも、周囲を見回した。

 ルカもまた、無言のまま周囲へ視線を巡らせている。

 リリスは、わずかに狐耳を動かした。

 何かを探るように、周囲を見回す。

 

「……さっきと、同じ場所……?」


 信じきれないように、リリスが呟く。


 否定する者は、誰もいなかった。

 全員が、すでに理解していた。


 リアンが、ゆっくりと顔を上げた。


 開けた空が、そのまま視界に広がる。

 赤く、染まり始めていた。


「……日が落ちる」


 淡々とした声が落ちる。

 赤が、わずかに濃くなっていく。


 クラウスもまた、空を見上げる。


 「今日は戻るか」

 

 短く、そう言った。

 

「精霊国に行くなら……明日だな」

 

 ティアラは、静かに頷いた。

 

 その視線は――

 森の出口へと向けられている。

 

 迷いは、ない。

 ゆっくりと、歩き出す。

 

 その背を、リアンが追う。

 少し遅れて、リリスも足を踏み出した。

 ルカが、わずかに足を止める。

 

 一瞬。

 視線が揺れた。

 

 何も言わず、歩き出す。

 その背に、クラウスが足早に追いついた。

 並ぶようにして、歩く。

 

 全員が森の外へ向かって進み始めた。

 

 風が吹く。

 ちり、と。

 無数の花が、乾いた音を重ねた。

 

 甘い香りが、濃い。

 息を吸うだけで、胸の奥に沈むような重さ。


 広場を離れ、外へ向かって足を踏み出す。

 

 一歩――


 白が、わずかに途切れた。

 

 地面のすべてを覆っていた花は、 ところどころに分かれ、 土の色が見え始める。

 それでも、数は多い。

 踏みしめるたび、ちり、と音が鳴る。

 甘い香りも、まだ強く残っていた。

 肺の奥に、わずかに重さを残す。

 

 だが――

 

 進むにつれて、 それは少しずつ変わっていく。

 花の数が、減る。

 密度が、落ちる。

 甘い匂いが、わずかに薄れる。

 代わりに、湿った土と、葉の匂いが混じり始める。


 音が、途切れ始める。

 

 ちり。

 

 ……間。

 

 ちり。

 

 やがて、その音も、消えた。


 足元には、落ち葉。

 柔らかな土。

 白い花は、もうほとんどない。

 

 風が、抜ける。

 最初は、音にならないほどの揺れ。

 

 やがて――

 

 ざわ、と。

 枝が、わずかに擦れる。

 葉が触れ合う音が、重なる。

 森が、本来の呼吸を取り戻していく。

 

 その奥で――

 

 小さく、鳥の声がした。

 短く。

 控えめな鳴き声。

 夕暮れを告げるような、静かな音。


 さらに進む。

 もう一度。

 別の場所から、鳥の声。

 今度は、少しはっきりと。

 森に、音が戻ってくる。

 

 リリスが、わずかに息を吐いた。

 

 甘い香りは、もう残っていない。

 

 日が落ちかけていた。

 空は赤く染まり、森の影が長く伸びる。

 

 森本来の空気だけが、そこにあった。

 

 その時――

 

 風が吹いた。

 かすかに。

 鼻の奥を刺すような、わずかな刺激。

 

 リアンは、わずかに眉をひそめる。


 ――今のは……


 それも、すぐに消えた。

 誰も、言葉にはしない。

 それでも、違和感だけが残った。



 一歩、森を抜ける。

 湿った空気が、わずかに変わる。


 安堵はなかった。

 むしろ――

 胸の奥に沈んでいた違和感が、浮かび上がる。


 リアンは、無意識に視線を上げた。

 

 丘の先。

 霧の向こうに、それはある。

 

 ミストフォルン王城。

 

 灰緑の城壁は、本来なら静かにそこに在るはずだった。

 

 だが――

 

 何かが違う。

 

 風に乗って、音が届く。

 ざわめき。

 普段の穏やかなものではない。

 どこか、切羽詰まったような――

 叫び声。

 短く、鋭い声。

 足音が、重なる。

 行き交う影が、妙に多い。

 

 リアンの足が、わずかに速まった。


 ――嫌な感じがする。


 理由は分からない。

 このままではまずいと、本能が告げていた。


 丘を登る。


 近づくにつれて、その異様さは、はっきりと輪郭を持ちはじめた。

 

 門の前に、人が溢れている。

 兵が走っている。

 誰かが叫ぶ。

 

「早く運べ!」

 

 その声には、余裕がない。

 統率がない。

 誰も、状況を把握できていない。

 同じ言葉だけが、何度も繰り返される。


 担がれていく人影。

 だらりと垂れた腕。


 門は、開かれたまま――

 本来、静かに迎えるはずの場所が、今は混乱の入口になっていた。

 

 さらに一歩、近づく。

 

 その瞬間――

 逃げ場のない現実が、はっきりと姿を見せる。


 地面に横たわる者。

 すでに意識を失っている。

 そのすぐ傍で、壁に手をつきながら、どうにか立っている者。

 呼吸が荒い。

 焦点の合わない目が、宙を彷徨う。

 運び込まれてきた作業員の一人が、

 かすれた声で呟いた。

 

「……まだ、大丈夫だ……」

 

 次の瞬間。

 その身体が、がくりと崩れ落ちた。

 支えようとした兵が、息を呑む。

 少し離れた場所では、うずくまったまま、激しく咳き込む女の姿。

 

 吐き出された息に、白く濁った光が滲んだ。

 

 ――異常だ。

 

 鼻をかすめる。

 わずかに、異質な匂い。

 土でもない。

 葉でもない。

 

 どこか、刺すような――

 

 リアンの足が、わずかに止まる。

 

 森を抜けたときの違和感。

 それが――ここでは、はっきりと濃くなっている。


 「……この匂い」

 

 低く、リアンが呟く。

 

 その時だった。

 人の波が、わずかに揺れる。

 かき分けるように、一人の影が駆けてきた。


 ――エルフィナだった。


 顔がわずかに青ざめている。

 呼吸も、浅い。


 リアンたちの姿を捉えた、その瞬間――


 張り詰めていた気配が、わずかに緩む。

 それもすぐに消えた。


 ――遅い。


 もう、手遅れだ。

 もう、崩れ始めている。


 リアンたちの無事な姿を確認し――

 ほんの一瞬だけ、表情が緩む。

 すぐに、引き締まった。


「……採掘場で、異変が起きてるの」

 

 その言葉に――

 

 ルカの肩が、わずかに揺れた。

 一瞬だけ、呼吸が止まる。

 視線が、エルフィナへ向く。

 わずかに、表情が強張った。

 だが――何も言わない。

 ただ、指先だけが強く握られる。

 

 エルフィナの声が、続く。

 

「霧が出て……それを吸った人たちが、次々と倒れてる」

 

 クラウスの眉が、わずかに寄る。

 

「霧、か……」

 

 低く、呟いた。

 

 ティアラも、小さく息を呑む。

 リリスの耳が、かすかに揺れた。

 

「入口の近くにいた人たちは、外まで逃げてきたみたいだけど……」

 

 エルフィナは、言葉を選ぶように続ける。

 

「そのあとで、急に倒れ始めたの」

 

 空気が、重く沈む。

 

「……中にいた人たちは、まだ戻ってきていないわ」

 

 わずかに、声が低くなる。

 

「救助に向かった兵も……」

 

 一瞬だけ、息を呑む。

 それでも、目を逸らさない。

 

「……見に行ってもらえないかしら」

 

 その瞬間――

 

 風が、わずかに流れた。

 鼻の奥を刺す、あの匂い。

 さっきよりも、濃い。

 ルカの指先が、わずかに震える。


 ――この異変は、もう“外”では止まらない。


 ――王城の中まで、侵されていた。



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