第3話 影と光が揺れる森
リアンが抱きとめると、少女の体は驚くほど軽かった。
森の冷たい空気が触れても、彼女から漂う光は消えず、淡く脈打つように揺れている。精霊たちの粒子のような光が、少女の周囲に漂っていた。
「リリス、周囲を確認してくれ。兄さんは——」
クラウスは無言で一歩前に出る。足元の落ち葉が、まるで何かを避けるように静かに散った。
次の瞬間、周囲の空気が“歪む”。
「零界封結。」
低く囁いた途端、半透明の壁が波紋のように広がり、三人を包む。
森のざわめきが遠ざかり、空気そのものが隔てられたような静寂が落ちる。
リリスが息を呑んだ。
「……すごい。外の気配が全部、消えた……」
クラウスは結界の外を鋭く見据えた。
「誰かが追ってくる可能性はまだある。護りを固める。」
彼の掌がわずかに動く。
空間が一瞬だけ“切れた”ように見え、黒い影が枝ごと滑り落ちる。《無刃・虚軌断》――音も衝撃も存在しない斬撃。
「……近寄らせない。」
その声音は静かだったが、確固たる意志が込められていた。
「……大丈夫、誰も追って来ないな。でも、この子……ただの人間ではないな」
クラウスが森の奥を見張りながら低く言う。
リアンは少女の額に触れる。熱が高い。けれど、ただの発熱ではない。
「力を使い果たして……それで倒れたみたいだ」
「精霊術……ですか?」
リリスがそっと少女の頬に触れ、はっと手を引っ込めた。
「……光の粒が、私に触れました。こんなの、初めてです」
リアンは少女の掌を優しく握った。細く、かすかな温度しかなく、息遣いも弱々しい。
こんな場所でひとり倒れていたら、助からない。
そう思った瞬間、胸の奥がざわりと揺れた。
初めて見る少女のはずなのに、どうしようもなく放っておけない。
——失われかけているものの気配に、心が先に反応していた
その時、少女の瞼がかすかに震えた。
薄く開いた澄んだ紫の瞳が、ゆっくりとリアンを映す。
その色は、水底の光のように静かで——
そしてどこか、ひどく寂しげだった。
「……あなた……は?」
掠れた声が森の風に溶ける。
「無理に喋らなくていい。もう大丈夫だ。僕たちは敵じゃない」
リアンが言うと、少女の睫毛が震え、ほんのわずか安堵の気配がこぼれた。
「精霊……が……あなたに……」
少女の言葉は途中でちぎれた。意識が再び落ちる。
「寝かせてあげた方がいいな。屋敷に連れ帰ろう」
クラウスが言う。
「ユラに見てもらえば安心です」
リリスも小さく頷く。
リアンは少女をそっと抱き上げた。
軽い。まるで腕の中から、光だけがこぼれ落ちそうだ。
「名前……分かるか?」
「お洋服には何も……家紋も紋章もありません」
クラウスが首を振る。
「……かわいそう」
リリスが落ち葉の中の少女の足跡を見つめ、しゅんと肩を落とした。
「こんなに小柄なのに……ひとりでここまで……」
彼女の小さな胸の奥にある優しさが、痛みに変わっているのがわかった。
リアンはリリスの肩にそっと手を置いた。
「大丈夫。僕たちが助けたんだ。必ず良くなる」
リリスはリアンの言葉に、安心したように小さく笑った。
その顔は16歳の少女らしく、まだ幼さが残っていて、見る者の胸をくすぐる。
「……リアンお兄様がそう言うなら、きっと大丈夫です」
三人は少女を守りながら、森を引き返し始めた。夕暮れが深まり、森の影が長く伸びる。風が通り、少女の髪の銀色が淡い光を受けて揺れる。
その光が、どこか懐かしい。
理由は分からない。
けれどリアンは、まるで心の奥に触れられたような気がしていた。
「……リアン。気をつけろ」
クラウスの声に振り返ると、森の奥で何かが動いたような気配がした。
風が止まった。精霊の光が揺れ、空気が張り詰める。
「何か……見ている」
リリスの狐耳がぴんと立つ。
リアンは少女を抱え直し、静かに森の暗がりへ視線を向けた。
ただの獣ではない。
その気配は、三人ではなく——
腕の中の少女だけを、正確に捉えていた。
「……帰ろう。今は、この子をまず守る」
リアンの言葉に、二人が頷いた。
三人は足早に森を抜け、夕暮れの小屋へと向かった。
気配はそこで消えたはずなのに——
リアンの背中に残る冷たいざらつきは、しばらく消えなかった。
そして、腕の中の少女はそのたびに微かに光を揺らし——
まるで何かを、必死に伝えようとするようだった。




