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第48話 白い花の夢の果て

 音が、歪んだ。

 ちり。

 かすかな鈴の音が、闇の奥で震える。

 澄んだ音のはずなのに、どこか欠けている。

 夢が壊れる前のような、不吉な響き。

 そして。

 最後の夢が――静かに始まる。


 ティアラは、ゆっくりと目を開いた。

 暗闇だった。

 空も、地面も、境界もない。

 ただ静かな闇が、どこまでも続いている。

 その中で。

 足元にだけ、白い花が咲いていた。

 一輪。

 小さな花だった。

 細い茎から、鈴のような花弁がいくつも垂れている。

 月の光のように淡く、闇の中で光を反射していた。

 花は、静かに揺れていた。

 この世界には、風がない。

 それでも、花だけが揺れている。

 

 ティアラはそれを見つめ、小さく息を吐く。


「……風もないのに」


 胸の奥に、奇妙な感覚がある。

 すぐに分かった。


「……夢ね」

 

 その瞬間だった。

 足元で、もう一輪花が咲いた。

 いつ咲いたのか分からない。

 気づけば、そこにある。

 白い花。

 そしてまた一輪。

 静かな闇の中で、花はゆっくり増えていく。


 ティアラはしゃがみ込み、花を見つめた。


「……綺麗」


 その瞬間、闇が一瞬、静止したような気がした。

 まるで、何かが動くのを待つように。


 ――誰かが、見ている。


 そっと手を伸ばしかけた、そのとき。

 白い花が、ふっと揺れた。

 風はない。

 それでも、花弁が一斉に震える。


 そして。

 闇の奥から、低い声が響いた。


「……触れるな」


 ティアラの手が止まる。


「その花に触れれば」


「夢は、さらに深く沈む」


 静かな声は続く。


「深い夢からは、戻れない」


 ティアラは驚いて顔を上げた。


「……どなたでしょうか」


 周囲を見回す。

 けれど、誰の姿もない。

 あるのは闇と、白い花だけ。


 声は静かに言った。


「その花に触れれば、戻れなくなる」


 ティアラは足元の花を見る。


「……戻れない、とは?」


「夢からだ」


 短い答え。

 そして、続けた。


「この夢は、もう崩れ始めている」


 その言葉の通りだった。

 白い花がまた増える。

 一輪。

 また一輪。

 闇の世界を、ゆっくり侵していく。

 まるで世界そのものが、花に飲み込まれていくようだった。


 ティアラは立ち上がる。


「……ここに長くいれば、危ないのですね」


「そうだ」


 声は静かに答える。


「急げ」


 ティアラは闇を見つめた。


「あなたは……この夢の主でしょうか」


 少しの沈黙。

 やがて声が言った。


「主ではない」


 そして、淡く続ける。


「ただ、この夢を見守っている者だ」


「……お前の夢は、少し違うようだ」


 そのときだった。

 声が、ふと止まる。


「……その目」


 ティアラが首をかしげる。


「目、ですか?」


「いや」


 短い言葉。

 しかし闇の奥で、声の主は確かに見ていた。


 少女の瞳。

 その色。

 その光。

 そして――

 あの男と同じ、揺るがない光。

 遠い昔、ここへ来た一人の男と同じだった。

 精霊の領域へ踏み込んだ、人間がいた。

 その男は言った。

 守りたい子供がいる、と。

 まだ生まれていない命。

 そして静かに言ったのだ。


 ――この子はきっと、世界を揺らす光になる。


 声の主は、小さく息を吐いた。


(……あの男は、嘘をつかなかったか)


 少女の体から、淡い光が溢れている。

 精霊の光。

 王の血。

 そして。

 あの男の瞳。

 声の主は、静かに呟いた。

 

「……なるほど」


 わずかな沈黙。

 そして。


「……あの男の光か」


 ティアラは、その意味が分からない。


「……何のことでしょうか」


 答えは返ってこない。


 そのときだった。

 足元の花が、一気に増える。

 闇が揺れる。

 世界が崩れ始めていた。


「時間がない」


 声が、少しだけ強くなる。


「夢が終わる」


 ティアラは足元を見る。


 白い花が広がっている。

 けれど。

 ティアラの足元だけが、ぽっかりと空いていた。

 白い花は、その周囲を円を描くように広がり、まるで彼女を避けているかのようだった。


 声が小さく呟く。


「……なるほど」


 そして。


「お前は侵されないか」


 ティアラは意味が分からず、ただ見上げる。


 声は続けた。


「普通の者なら」


「夢に沈み、花に呑まれていく」


「だが――」


「お前には触れない」


 ティアラの背中に冷たいものが走る。


 足元の花を見る。


「……この花は」


 声が静かに答えた。


「魂の花だ」


「夢に沈んだ者を養分に咲く」


「ここは、墓場だ」


 そのとき。

 ちり。

 また鈴の音が歪んだ。


 足元の花が、一気に増える。


 一輪。


 また一輪。


 闇の世界を埋めるように、白い花が広がっていく。

 鈴のような花弁が揺れた。

 ちり。

 歪んだ鈴の音が、闇の奥で鳴る。

 その音は、さっきよりも壊れていた。

 そして。

 闇に、ひびが入る。


「時間がない」


 声が、初めて強くなる。


「夢が終わる」


 白い花が一斉に揺れる。

 闇が崩れ始めていた。


 声は静かに続けた。


「目を覚ませ」


 ティアラが息をのむ。


「……」


「目覚めた先で」


 わずかに、声が柔らいだ。


「――また会おう」


 次の瞬間。

 白い花が一斉に咲いた。

 闇が崩れ始める。

 世界が、静かに割れていく。


 その瞬間。

 遠くで――

 誰かが、自分の名を呼んだ気がした。


 ゆっくりと、ティアラは目を開く。


 最初に見えたのは、青い瞳だった。


 リアンが、すぐ目の前にいた。

 しゃがみ込むようにして、ティアラを抱き支えている。

 腕の中にいるのだと、遅れて気づいた。

 リアンの腕が、まだわずかに強くティアラを抱きしめていた。


 その周りには、クラウス、リリス、ルカ。

 四人とも、息を詰めたようにこちらを見ている。


 リリスの肩が、わずかに震えた。

 ずっと詰めていた息を、ようやく吐き出したようだった。


「……ティアラ」


 リアンの声が、低く落ちた。


 その瞬間。

 ぱらり、と。

 ティアラの肩から、白い花弁が崩れ落ちた。

 胸元から、腕から。

 いつの間にか絡みついていた白い花が、目覚めと同時に力を失っていく。

 はらはらと散り、光となって砕ける。

 花弁は地面に触れる前に溶け、空気に消えていった。

 ひとつ。

 またひとつ。

 身体に絡みついていた白が、静かに消えていく。

 やがて――

 何も残らなかった。


 ティアラは小さく息を吐く。


 胸の奥に、鈴の音が残っていた。


 夢は終わった。

 侵食は、解けた。

 現実が、ここにある。

 けれど。

 夢の気配だけが、まだ微かに残っていた。

 胸の奥に、鈴の音のように。


 誰も、すぐには言葉を発しなかった。

 ただ、張り詰めていた空気が、わずかに緩む。

 ようやく――

 全員が、ティアラが戻ってきたことを理解した。


 リアンが、ようやく力を抜いた。


 そのときだった。


「……おい」


 クラウスが、低く言った。

 その声に、全員が顔を上げる。

 クラウスは、言葉を続けない。

 ただ一点を見ている。


 リアンが眉をひそめた。


「……どうした」


 答えはない。

 クラウスはゆっくりと、視線を上へ向けた。

 つられるように、リアンも見上げる。

 そして――

 息を止めた。


 風は、吹いていなかった。

 すぐそばに。

 ほんの数歩先に。

 巨大な木が、立っていた。

 幹は異様なほど太く、何人で囲んでも抱えきれない。

 見上げても、枝の先が見えないほど高い。


「……おかしい」


 ルカが、かすれた声で言った。


「何がですか」


 リアンが、静かに問う。


「こんな木……さっきまで、無かった」


 リアンの腕の中で、ティアラもゆっくり顔を上げた。

 その紫の瞳が、巨大な木を見上げる。

 隣で、リリスの耳がぴくりと動いた。

 まるで、最初からそこにあったかのように、白い花がその根元を取り囲むように咲いている。


 風が吹いた。

 白い花が揺れる。

 ちり、と音が鳴った。


 誰も、言葉を発しない。

 ただ、全員がその木を見上げていた。


 そのとき――

 ちり、と。

 頭上で、小さな音がした。









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