第42話 残るのは、一人だけ
朝の光が、静かに部屋を満たしていた。
目を覚ましたリアンは、そのままティアラの部屋へ向かう。
控えめに扉を叩き、中へ入った。
ティアラは穏やかな顔で眠っている。
昨日より血色が戻り、胸の上下もゆるやかだ。
リアンはそっと額に手をのせる。
その瞬間――
毛先から、淡い光の粒が、ひとつ零れた。
零れた光は散らず、静かにリアンの掌へと集まる。
触れた場所が、わずかに温かい。
そして、その光は――
ティアラの内へと、静かに沈んでいった。
ゆっくりと、ティアラのまぶたが開く。
視線が重なる。
「……リアン」
掠れた声で名を呼ぶ。
「ああ。情報を集めに行ってくる」
ティアラは小さく頷き、安心したように再び目を閉じた。
リアンは手を離し、部屋を出る。
廊下でクラウスと合流した。
「ティアラの様子は」
「落ち着いている」
クラウスの肩から、わずかに力が抜ける。
短く息を吐いた。
階段を降りるにつれ、下階のざわめきが強くなる。
中庭へ出ると、城内は慌ただしかった。
兵士が木箱を担ぎ、従者が駆ける。
並んだ荷馬車の車輪が石畳を軋ませている。
視線を巡らせたリアンは、庭の端にリリスを見つけた。
兵士を呼び止め、何かを尋ねている。
「迷いの森って、どんな場所ですか?」
兵士は腕の荷を抱え直す。
「……入った者の多くは戻りません」
「魔物でもいるのですか?」
兵士は首を振った。
「魔物がいるとは聞いておりません。ただ――」
小さく息を吐く。
「戻らなかった者は、皆……」
わずかに視線を伏せる。
「微笑んでいたそうです。眠るように」
リリスの表情が、こわばる。
「微笑んで……?」
「そのまま、目を覚ますことはなかったと」
背後で木箱が積み上げられる音が響いた。
「戻ってきた者もおります。ただ、森のことは語りたがりません」
兵士はわずかに声を落とした。
「北棟にいる、元近衛のラドール殿もそのひとりです」
リアンは黙って聞いていた。
そのとき。
近くの荷馬車の布がずれた。
木箱の隙間から、淡い光を帯びた鉱石が覗く。
リリスが目を留める。
「それは?」
兵士は素早く布を押さえた。
「封光石です。……お手を触れませぬよう」
「封光石?」
「儀式に使うものとだけ。詳しいことは、申し上げられません」
一礼すると、兵士は足早に持ち場へ戻った。
「積み終え次第、出るぞ! 遅れるな、アストラル行きだ!」
別の兵の声が庭に響く。
リアンの視線が、荷馬車へと留まる。
封光石。
儀式。
アストラル。
ばらばらだった言葉が、ひとつに繋がっていく。
(……王都が、動き始めている)
◆
昼の喧騒が嘘のように、城は静まり返っていた。
風の抜ける露台に、ルカが立っている。
月明かりに照らされた淡い髪が、白く透ける。
クラウスはしばらく離れて見ていたが、やがて歩み寄った。
「冷えるな」
「平気。風が気持ちいい」
声は軽い。
だが、どこか遠い。
「昨日からだ」
クラウスは静かに言う。
「無理をしている」
ルカの指先が、手すりを強く掴む。
「……聞こえたんだろ」
空を見たまま。
「昨日の、光絶の儀って言葉」
否定はしない。
そのとき、回廊を曲がったリアンが足を止めた。
声が届く距離だった。
「祝福なんかじゃない」
ルカの声は低い。
「選ばれた、なんて綺麗なものじゃない」
「儀式の最後に残るのは、一人だけだ」
クラウスの視線が揺れる。
「……その儀式に、ルカも参加するのか」
風が吹き抜ける。
ルカは答えない。
月光が頬をなぞる。
そして、かすかに笑った。
「さあね」
月を見上げたまま、淡く言う。
「僕に“その先”は、たぶんない」
軽い声。
けれど、そこに冗談の余地はなかった。
クラウスは黙る。
そして低く告げる。
「一人で抱えるな」
ルカの肩がわずかに揺れる。
「俺はルカの味方だ」
風が二人の間を抜ける。
「……辛いときは、俺を頼れ」
夜風が吹き抜けても、その言葉だけは揺れなかった。
ルカは振り向かない。
だが、握り締めていた指先の力が、わずかに緩む。
離れた場所で、リアンは静かに目を伏せた。
――儀式の最後に残るのは、一人。
胸の奥に、重いものが沈む。
それでも、目を逸らさない。
月は何も語らない。
ただ、風だけが流れていた。




