第41話 霧の王と、光絶の儀
霧の奥へと、馬車はゆっくりと進んだ。
石畳に車輪が触れる音が、静かな城内に溶ける。
重厚な門が背後で閉じる音が、低く響いた。
ミストフォルン王城の中は、外と同じく森の匂いを
残している。
玉座の間には、石と木の匂いが残っていた。
灰緑の壁と丸みを帯びた柱が、威圧ではなく静かな温度を宿している。
高座に座す王は、背もたれにゆるやかに身を預けている。
その髪は白銀に淡い灰を宿し、前髪の一房だけに紫が溶けていた。
同色の尾が、玉座の脇に静かに落ちている。
瞳は深い紫。
光を受けると、わずかに赤を含んで揺らぐ。
その一段下に立つ王太子もまた、白銀の髪を整え、
瞳は王よりもやや赤みを帯びた紫を湛えていた。
側近たちは壁際に控えている。
言葉を挟まぬ距離。だが全てを聞き逃さぬ距離。
リアンは、ティアラを支えたまま一歩進み出る。
彼女の足取りはまだ不安定だ。
王の視線がエルフィナへ向く。
娘の顔を見た瞬間、わずかに瞳が揺れた。
だが何も問わない。
王命で来たのだと、察している。
王はゆっくりと視線を巡らせる。
青年。
その隣の銀髪の少女。
支えられる紫の瞳。
そのとき、王の視線が止まった。
小さな影。
視線が止まる。
白銀の耳が、緊張でわずかに震えていた。
耳先だけが、深い紫に染まっている。
王は、その色を見つめる。
その瞬間――
尾が、ゆるやかに揺れた。
娘の時とは違う、静かな揺れ。
「……そなたが、リリスか」
低く、穏やかな声。
リリスは一歩前へ出る。
「はじめまして、お祖父様。叔父様。
お会いできて、嬉しいです」
小さな手がぎゅっと握られている。
王は静かに頷いた。
「……私もだ」
王太子が穏やかに言葉を添える。
「よく来てくれた」
視線は柔らかい。だが少女の立ち方を見ている。
拒まれない。
その空気が、リリスの胸を少しだけ軽くする。
エルフィナが進み出る。
「お父様。リリスたちを、しばらく王宮に滞在させていただけませんか」
王は間を置かず頷いた。
「何日でもいるがよい」
短く、揺るがぬ言葉。
クラウスが一礼する。
「ありがとうございます」
リアンも頭を下げる。
支える腕は、少しも揺れない。
王の視線が、リアンへと移る。
その瞳と、正面からぶつかった瞬間――
空気が、わずかに軋んだ。
深い蒼が、底の見えぬ闇を湛えている。
その奥で、巨大な影が静かに目を開いた気がした。
王の瞳が、わずかに細められた。
だが王は、何も問わない。
「客間へ案内せよ」
従者が前へ出る。
リアンたちは一礼し、下がる。
扉が閉まりかけた、その時――
「……お父様、光絶の儀で……」
エルフィナの声。
そこで扉が閉まる。
廊下に出た瞬間。
「光絶の儀……」
ルカの声が、わずかに震えた。
その顔から血の気が引いている。
だが、それ以上は何も言わない。
押し黙る。
(光絶の儀……?なんの儀式だ)
リアンは問いかけない。
ただ、ティアラを支える腕に少しだけ力を込める。
温かいはずの王宮の廊下が、ほんのわずかに冷えた気がした。
◆
案内された客間は、霧を思わせる淡い緑の帳に包まれていた。
木の香りが落ち着く。
窓の外には王城の庭と、その向こうに広がる森。
ティアラは、リアンに支えられながら寝台に腰を下ろす。
その肩を離すのをためらうように、リアンの手が一瞬だけ残った。
ティアラは小さく息をつき、そっと横になる。
「無理はするな」
リアンの声は、落ち着いている。
ティアラの紫の瞳が、わずかに揺れる。
「……もう少しだけ、動ける」
「今は動くな」
迷いのない声。
ティアラは、しばらく彼を見て――
ゆっくりと目を閉じた。
クラウスが窓辺に立つ。
「ここなら、しばらくは落ち着ける」
その言葉に、ルカの指先がわずかに震えていた。
だが何も言わない。
リアンはティアラを見下ろす。
「ティアラの体調が戻るまで、ここで休む」
静かに続ける。
「回復したら、迷いの森へ向かう」
リリスが目を瞬かせる。
「迷いの森……?」
クラウスが振り返る。
「森の奥に、かつての精霊王がいる」
空気が、わずかに変わる。
ティアラがゆっくりと上体を起こす。
「……その人に会えば、母さんを助ける方法が分かるかもしれない?」
「可能性はある」
クラウスは静かに答える。
ティアラの指が、布を強く握った。
「行きたい」
迷いはない。
「会いに行きたい」
リリスがすぐに言う。
「私も一緒に行きます」
まっすぐな声。
ルカはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「……迷いの森は王都の北だ」
ルカが低く告げた。
リアンは小さく頷く。
「詳しいことは明日確認する」
今は焦らない。
ティアラが回復することが先だ。
(光絶の儀……)
あの言葉が、胸の奥に小さく残る。
だが、今は進む。
「ティアラが回復次第、迷いの森へ向かう」
リアンの視線は揺れなかった。
窓の外で、霧が静かに流れている。
森は、霧の奥で静かに息づいていた。
◆
同じ時刻。 アストラル王宮では――
朝の鐘が鳴ろうとしていた。
静養室の扉が、静かに叩かれる。
コン、コン。
ユラは顔を上げる。
「レイヴン様まで疑われる必要はありません」
視線が交わる。
「後は、私が引き受けます」
レイヴンの瞳が、静かに細められる。
「今すぐ、転移を」
小さく頷き、足元に魔法陣が浮かぶ。
光が揺れ、次の瞬間、姿は消えた。
再び、扉が叩かれる。
ユラは椅子に座り直し、寝台へ上体を預ける。
看病の途中で眠ってしまったかのように。
「入ります」
扉が開く。
王の側近――マティアス。
ユラはゆっくりと顔を上げる。
「……ティアラ様が」
「お姿が、ありません」
マティアスの目が見開かれる。
「何だと?」
寝台へ踏み出し、掛布を払う。空だ。
喉が小さく鳴った。
「……いつからだ」
「分かりかねます」
視線が窓辺へ走る。
「王に報告する」
踵を返す足取りは早い。
扉が閉まる。
ユラは、しばらく動かなかった。
やがて、そっと指を開く。
白く残った跡が、ゆっくりと戻っていった。
◆
アストレアの間。
白銀と黄金の光が交差し、玉座に座す王の表情は影に沈んでいる。
マティアスは片膝をついた。
「ご報告申し上げます。ティアラ様が、静養室より姿を消しました」
王はすでに異変を察していた。
「静養室の光が消えた」
「は」
「結界は破れておらぬ」
王宮を囲む光の術式に乱れはない。
それを断じられるのは、王ただ一人。
「室内の状況は」
「争った痕跡はありません。出血も見当たりませんでした」
「……そこに、精霊の少女はいないのだな」
「はい」
「死ねば、光の残滓が残る」
だが、それもない。
「ならば、生きている」
声色は変わらない。
「第七は」
「宮内のどこにも確認できておりません。クラウス様も同様に」
「退出の記録は」
「ございません」
王の指先が、肘掛けの上で止まる。
「王宮に在らず、記録もない」
静かな整理。
「術式に干渉できる者は限られる」
王はわずかに視線を落とす。
「第七とクラウスが関与している可能性が高い」
マティアスの背筋が張る。
王の声が、さらに低く落ちた。
「直ちに王宮内外を封鎖せよ」
「御意」
「街道、転移陣、すべてを監視下に置け」
命令に淀みはない。
「精霊の少女を捜索せよ」
間を置かず続ける。
「必ず、生きて連れ戻せ」
わずかに重みを帯びた一言。
「損なうことは許さぬ」
「御意」
「ユラは拘束いたしますか」
「泳がせよ」
「第七が接触を試みるやもしれぬ」
「監視をつけよ。動向と接触者をすべて記録しろ」
「御意」
「光絶の儀の準備は」
「封光石が不足しております。エルフィナ様が再度、発掘要請へ向かっております」
「構わぬ」
迷いはない。
「儀は予定通り執り行う」
玉座の背後で、光が脈打つ。
王宮を包む結界は、静かに輝き続けている。
ただ一人の少女が、その内側から消えたとしても。




