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第37話 違う色の光

 静養室に、控えめなノックの音が響いた。


 ――コン、コン。


 その音に、空気が一瞬で張り詰める。


 リリスが肩を跳ねさせ、クラウスが即座に表情を引き締めた。


 レイヴンだけが、わずかに視線を上げただけで、何も言わない。


(誰か来た……)


 リアンは反射的に動いていた。

 ティアラの体を引き寄せ、腕に抱え込む。


 ティアラは一瞬、息を呑んだ。

 だが次の瞬間には、リアンの胸元に顔を寄せ、静かに身を預けていた。


 その様子を一瞥し、クラウスが低く囁いた。


「レイヴン。転移魔法を」


 短い言葉だった。

 レイヴンは、無言で頷く。

 次の瞬間、淡い光が彼の足元から広がった。

 それは眩しさを伴わない、静かな光。

 水面に月光が滲むような、柔らかな輝きだった。

 レイヴンは詠唱を省き、魔力を解放する。

 だがその直前――視線が、ひとつの存在を捉えた。

 ティアラ。

 光に包まれながら、彼女は顔を上げ、まっすぐにレイヴンを見る。

 逃げるための視線ではない。

 恐怖に縋る目でもない。

 ただ、澄んだ感謝だけを宿した瞳。


「……ありがとう」


 小さな声だった。

 けれど、はっきりと届いた。

 その瞬間、レイヴンの表情が、ほんのわずかに揺らぐ。

 常に感情を映さないその顔が、一瞬だけ、柔らかくなる。

 それは笑みと呼ぶには、あまりにも淡く。

 だが確かに、温度を持った変化だった。


 光が、室内を満たしていく。

 床も、壁も、天井も輪郭を失い、世界が白に溶けていく感覚。

 重力がほどけ、足元の感覚が消える。


 抱えられたティアラの体温だけが、リアンの腕に残る。


(……絶対に守りきる)


 それだけを、強く思った。

 

 次の瞬間。

 光は収束し、五人の姿は静養室から消えた。

 ひやりとした冷えが、肌を撫でる。


 彼らが立っていたのは、王宮の換気塔だった。


 転移は――成功している。



 足裏に、硬い感触が戻る。

 続いて、冷えた空気が、静かに頬に触れた。

 夜気ではあるが、外の気配はない。

 光がほどけ、視界がゆっくりと定まる。

 五人は、換気塔の内部に立っていた。

 石で組まれた円筒状の空間。

 高所に溜まった空気が、重く、そこに留まっている。

 風と呼べるほどの流れはなく、ただ冷えだけが、じわりと肌にまとわりついた。


 誰も、すぐには口を開かなかった。

 転移が成功したという実感が、遅れて身体に染み渡る。


 リアンは、腕の中を確かめる。

 ティアラは、意識を保ったまま、彼に身体を預けていた。

 呼吸は浅いが、乱れてはいない。

 先ほどまでの不安定さは、わずかに和らいでいる。


(……間に合った)


 そう思った瞬間、胸の奥に、微かな震えが残った。


 クラウスが、周囲を見回しながら低く言う。


「ここが換気塔か……。なるほどな」


 足音を殺し、構造を確認するような視線。

 状況を把握する速さは、さすがだった。


 ルカは、外へ続く開口部を見上げ、短く息を吐いた。


 リリスは、リアンの腕の中のティアラを見つめたまま、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。


「……ティアラ、大丈夫……?」


 ティアラは、少しだけ視線を上げる。

 その拍子に、頬をかすめる銀髪がわずかに揺れた。


「……うん」


 その声に、リリスはほっとしたように胸を撫で下ろす。


 リアンは、無意識に、冷えから守るように腕に力を込めた。


 見下ろせば、王宮の屋根が幾重にも連なり、

 灯りは、何事もなかったかのように静かに瞬いている。


 ――まだ、気づかれていない。


 だが、それも、時間の問題だ。


 クラウスが、わずかに口元を歪めた。


「まだ、逃げ切れた、って顔はできないな」


「うん。ここからが本番だ」


 ルカの声は落ち着いていたが、視線は鋭い。


「……行こう。外で、風を拾う」


 換気塔に満ちた冷たい空気が、音もなく沈黙を深めていく。


(……必ず、追ってくる)


 リアンは、そう確信していた。

 それでも――

 この一瞬だけは、確かに、逃げ延びた。


 換気塔の闇の中、五人は、次の動きに備え、静かに身を寄せ合っていた。



 ――コン、コン。


 二度目のノックが、静養室に控えめに響いた。

 その音に、空気が張り詰める。


 反射的に動いたのは、レイヴンだった。

 言葉はない。

 彼は静かに寝台へ近づき、迷いなくその上に身を横たえる。

 ティアラが眠っていた位置。

 同じ高さ、同じ向き。

 布団を引き上げ、顔の輪郭が見えないよう、深く被せた。

 淡い光が、わずかに揺れる。

 膨らんだ寝具は、人ひとりがそこに横たわっているように、自然な形を作った。


 ユラは一瞬、その行動に目を見張る。

 だが、すぐに理解した。

 表情を引き締め、何も言わずに視線を逸らす。



 レイヴンは動かない。

 呼吸の気配さえ、極力抑えている。

 そこに“精霊が眠っている”――そう見せるために。

 短い沈黙。


 そして、ユラが静かに口を開いた。


「……どうぞ」


 扉が、ゆっくりと開く。

 きしむ音は、ほとんどしない。

 入ってきたのは、マティアスだった。

 室内に視線を走らせ、まず寝台へ向ける。

 

 布団の膨らみ。

 人の形を保ったまま、静かに横たわっている。

 ――その瞬間。

 マティアスは、ほんの僅かに足を止めた。

 寝台の中。

 布の奥から、かすかな光の反応を感じ取る。

 強くはない。

 脈打つことも、乱れることもない。

 だが、それは確かに“ある”。

 眠りに沈んだ精霊の光にしては、静かすぎる。

 壊れかけた精霊核の残滓にしては、澄みすぎている。

 マティアスは、寝台に向けた視線を外さず、わずかな間、その気配を探る。

 しかし、それ以上踏み込む様子はなかった。

 確認は、ここまでで十分だと示すように、彼は静かに視線を切り、ユラを見る。


「……代わりは、ありませんか?」


 声は低く、事務的だった。

 探るというより、形式的な確認に近い。

 ユラは、即座に答える。


「ありません」


 揺らぎのない声。

 余計な説明も、感情も添えない。


 マティアスは、それ以上何も言わなかった。

 小さく頷き、踵を返す。

 扉は、来たときと同じように、静かに閉じられた。

 足音が、廊下の奥へ遠ざかっていく。

 静養室には、再び沈黙が戻った。

 寝台の上で、レイヴンはまだ動かない。

 精霊が、そこに眠っている――

 そう“見える”状態を、最後まで保ったまま。

 時間を稼ぐ。

 それが、彼に選べる唯一の役割だった。



 王の謁見室――《アストレアの間》。

 白銀と黄金が交差する光の柱が、玉座の背後にそびえ立つ。

 降り注ぐ光はあまりにも強く、玉座に座す王の表情は、影の中に沈んでいた。

 そこに立つだけで、膝を折らされる。

 理屈ではなく、本能がそう命じる。


 マティアスは、定められた位置で膝をついた。


「……精霊の様子は」


 声は、空間そのものから響いたようだった。

 感情の欠片も含まない、光の響き。


「静養室を確認いたしました」


 マティアスは顔を上げない。


「精霊は寝台に横たえられております。意識は戻っておらず、状態に変化はありません」


 王は、わずかに指を動かした。


「精霊核は」


「損傷したままです。 回復の兆候は、現時点では確認できておりません」


 事実のみ。

 推測も、憶測も交えない。

 光の柱が、わずかに脈打つ。


 王はしばらく言葉を発さず、静養室のある方角へ、ゆっくりと視線を向けた。

 見ているのは、距離ではない。


 ――光だ。


 王の瞳が、わずかに細まる。

 静養室の中の光。

 そこに、ほんの僅かだが、異質な揺らぎが混じっている。

 白銀ではない。

 黄金でもない。

 それは、王自身の光とは、わずかに“波長が違う”。


「……」


 違和感は、ある。

 だが、それはまだ、確信に至るほどではなかった。


「引き続き、監視を続けろ」


 命令は、淡々と下される。


「異変があれば、即座に報告せよ」


「は」


 マティアスは深く頭を下げた。

 退室の許可が出る。


 扉が閉じられたあとも、王は玉座から動かなかった。

 静養室の方向を、なおも見据えたまま。

 光が、わずかに違う。


 ――理由は、まだ分からない。


 だが。

 王の内に、名も持たない引っかかりだけが、静かに残っていた。



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