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第33話 小さな龍と選ばれし道

 小さな龍は、音もなく宙に留まっていた。

 青白い回廊の中央で、空気そのものに支えられているように、静止している。

 翼は揺れず、鱗は淡く光を返す。

 水気はない。

 だが、乾いているわけでもなかった。

 触れれば、現実と境界が曖昧になる――そんな気配だけが、周囲に満ちている。

 大きさは、人の胸ほど。

 それでも、幼さは感じられなかった。

 小さいのではない。

 削ぎ落とされ、ここに残された存在だと、直感が告げていた。

 神聖で、そして古い。

 この回廊の静けさそのものが、形を与えられたようだった。

 小さな龍は、ゆるやかに首を巡らせる。

 視線のようなものが三人をなぞり、最後にリアンで止まる。

 その瞬間、胸の奥で、青白い光が、かすかに応えた。


 ――それで。


 声は、耳ではなく、意識に落ちてきた。


「何を、求めて、ここへ来た」


 短い問い。

 だが、言葉を選ぶ余地は与えられていない。

 リアンは、小さな龍を見返す。

 光で形作られたその身体は、まだ完全ではない。

 それでも、金の瞳だけは澄み切っていた。

 言葉より先に、在り方を見抜く眼。


(……誤魔化したら、終わる)


 息を吸う。

 胸の奥だけが熱かった。


「ブルードラゴンの血を」


 言葉は、思ったより静かに出た。


「もらいに来た」


 空気が、変わる。

 隣で、クラウスの気配が強張った。


「……おい」


 低い声。


「正直すぎるだろ」


 咎めるというより、思わず零れた本音だった。

 ルカは言葉を失い、息を詰めたまま、リアンを見る。

 視線が揺れている。

 だが、小さな龍は、何も言わない。

 ただ、黙っていた。

 金の瞳が、リアンを捉える。

 外側ではなく、内側を。


(……見られている)


 考えも、恐れも、覚悟も。

 まだ言葉になっていない迷いまでも。

 時間の感覚が、薄れていく。

 やがて、小さな龍が告げた。


「その血を」


 静かな声音。


「何に、使う」


 リアンは、視線を逸らさなかった。

 ここに来たのは偶然じゃない。

 飛び込んだのも、導かれたのも。

 その先に立つのは、自分だ。


「救いたい命がある」


 言い切る。

 震えはなかった。

 小さな龍の尾が、わずかに揺れる。


「命、か」


 評価も、感情もない。

 ただ、事実として受け取る声。

 リアンは、続けた。


「そのために対価が必要なら――」


 短く息を吸う。


「俺が、差し出せるものなら――すべてだ」


 選ばない。

 残すものも、守るものも。

 測るための言葉ではない。

 差し出す覚悟だけを、そこに置いた。

 空間が、静まる。

 水の回廊の光が、わずかに後退する。

 青白い輝きが、足元から引いていった。

 ルカは、思わずリアンを見た。

 驚きと、不安と、言葉にできないものが混じる。

 クラウスは、何も言わない。

 ただ、リアンの横顔から視線を離さなかった。

 小さな龍は、しばらく動かない。

 試すでも、威すでもない。

 受け止めている。

 やがて、ほんのわずかに高度を下げた。


「……よい」


 それだけ。

 許可でも、約束でもない。

 先へ進むことを、拒まなかっただけの言葉。


 先ほど垣間見えた“奥”とは違っていた。

 近づいたのではない。

 まったく別の層へ、足を踏み入れた感覚だった。

 通路は、洞窟のように続いている。

 光はあるが、影の輪郭が曖昧だ。

 ただ、この場所が――

 リアンの言葉を、確かに受け取った。 



 静寂が、ほどけた。

 拒まれなかったという事実だけが、余韻として残る。

 小さな龍の輪郭が、淡く揺らぎ――

 次の瞬間、青白い回廊の奥に、細い道が浮かび上がった。

 水でも、光でもない。

 空間そのものが、裂けて続いているような通路。

 さきほど垣間見えた“奥”とは、位相が違う場所へ踏み込んだ感覚だった。

 洞窟に似ているが、岩肌はなく、壁はただ深い蒼に沈んでいる。

 進めと言われたわけではない。

 だが、戻る選択肢は消えていた。

 リアンは一歩、踏み出す。

 足裏に、確かな感触があった。

 クラウスとルカも、無言で続く。

 三人分の気配だけが、静かな通路を進んでいく。

 奥へ行くほど、空間は広がっていった。

 圧迫感はない。

 むしろ、息が楽になる。

 やがて――

 視界が、ひらけた。

 思わず、足が止まる。

 そこは、巨大な空洞だった。

 天井は見えず、壁の輪郭も曖昧で、ただ蒼が満ちている。

 水は、ない。

 だが、ここが湖の最深部であることを、理屈ではなく理解してしまう。

 中央に――

 それは、いた。

 山のような胴体。

 幾重にも重なる蒼の鱗は、光を宿し、ゆるやかに呼吸している。

 長い首を折り、身体を丸めるようにして、眠っていた。

 巨大な水の龍。

 ブルードラゴン――アクエリオン。

 威圧は、ない。

 殺気も、ない。

 ただ、在る。

 長い時間、ここに在り続けた存在の重みだけが、空間に沈んでいる。


(……見られている気が、する)


 まだ目は閉じられている。

 それなのに。

 この場に足を踏み入れた瞬間から、逃げ場はなかった。

 リアンは、ゆっくりと近づく。

 一歩、また一歩。

 距離が縮まるにつれて、胸の奥の青白い光が、かすかに脈打ち始めた。

 呼応している。

 そのとき。

 巨大な瞼が、わずかに動いた。


 ――ゆっくりと。


 長い時を越えて、意識が浮上するように。

 蒼の瞳が、開かれていく。

 感情は、映らない。

 だが、その眼は、すでにすべてを知っているようだった。

 リアンたちを。

 ここに至るまでを。

 そして――この先を。

 巨大な龍の視線が、三人を包む。

 逃げることも、試されることもない。

 ただ、観測されている。

 その事実だけが、静かに突きつけられていた。

 蒼の瞳が、三人を捉えたまま、動かない。

 言葉はない。

 それでも、空間が応えているようだった。

 そのとき、リアンの視界の端で、微かな光が揺れた。

 振り返る。

 通ってきたはずの通路の入り口――

 そこに、あの小さな龍がいた。

 宙に浮かび、静かにこちらを見ている。

 大きさは、変わらない。

 だが、今はもう、別の存在に見えた。


(……違う)


 否定ではない。

 上下でもない。

 役割が、違う。

 小さな龍の金の瞳が、かすかに細められる。

 問いを投げていた眼ではない。

 判断を終えた者の眼。

 次の瞬間。

 小さな龍の身体が、淡くほどけた。

 光が、羽毛のように散り――

 蒼の空間へ、静かに溶けていく。

 それは消失ではなかった。

 還る、という感覚に近い。

 同時に。

 巨大な龍の胸奥で、低く、深い脈動が走る。

 空洞全体が、わずかに遅れて応えた。

 水のないはずの空間に、見えない波紋が広がる。


(……同じ、だ)


 あの光。

 あの気配。

 問いを投げ、境界に立たせた存在。

 それが、分かたれていたのだと、今なら分かる。

 試すための形。

 通すための眼。

 門として、切り出された一部。

 本体が、直接見る必要のないものを、代わりに見る存在。

 そして――

 目の前に在るのが、本体。

 観測者。

 循環の中心。

 ブルードラゴン、アクエリオン。

 巨大な蒼の瞳が、リアンへと向けられる。

 逃げ場のない静けさ。

 だが、そこには拒絶も、威圧もなかった。

 ただ、確かめるような――

 いや。

 すでに知っている者の眼だった。


(……ここまで、見ていたのか)


 過去を問うでもなく。

 未来を縛るでもなく。

 ただ、この瞬間に立つ存在として、リアンを見ている。

 門は、役目を終えた。

 あとは、本体が応えるだけだ。



 巨大な蒼の龍が、静かに首を巡らせた。

 洞窟を満たす圧が、三人を等しく包む。

 逃げ場はない。

 龍の瞳が、リアンを捉える。

 迷いなく。

 逸れることなく。


『血は、渡そう』


 低く、重い声が、空間に沈んだ。

 クラウスが、はっと息を詰める。

 ルカの視線が、反射的にリアンへ向いた。


『その代わりだ』


 蒼白い光が、龍の眼窩がんかで強まる。

 次の言葉は、はっきりと告げられた。


『――お前の目を、もらおう』


 “お前”という言葉と同時に、

 龍の視線が、リアンから一瞬も離れなかった。

 それだけで、十分だった。

 クラウスの表情が、凍りつく。

 ルカは、思わずリアンの袖を掴んだ。

 止める言葉も、理由も、形にならないまま。

 それでも、手だけは離せなかった。

 疑いようがなかった。

 龍が求めたのは、リアンの目だ。

 リアンの視界が、わずかに揺れた。

 蒼白い光が、瞳の奥に滲む。

 龍は、それを確かめるように、静かに告げる。


『拒めば、ここで終わる』


 洞窟の闇が、ゆっくりと脈動した。



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