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第29話 言葉にされなかった信頼

 そこは、王宮の奥深くに設けられた静養室だった。

 かつては、客人を迎えるための部屋だったという。

 だが今は、誰も長く留まらない場所になっている。

 静かすぎる空気が、それを物語っていた。


 クラウスが扉に手をかけ、静かに押し開く。

 薄暗い室内。

 中央の天蓋付きの寝台に、青白い顔をしたティアラが横たわっていた。

 その傍ら、椅子に座る一人の少女の背中が目に入る。

 黒と白のクラシックなメイド服。

 肩から腕にかけて包帯が巻かれ、そこから血が滲んでいた。

 その姿だけで、誰であるかは分かった。


「……ユラ」


 名を呼ばれ、ユラは小さく肩を震わせた。

 顔だけをこちらに向け、クラウスとリアンの姿を認める。

 その奥に、もう一人の人影があることに、遅れて気づいた。

 そして、慌てて立ち上がる。

 その反動で、痛みが走ったのだろう。

 一瞬、顔を歪めた。


「クラウス様、リアン様……申し訳ありません」


 俯いたまま、ユラは言った。

 クラウスは静かに首を振り、彼女の前に進む。

 そして、何も言わずに、その頭に手を置いた。


「謝ることはない」


 その一言に、ユラの瞳が揺れた。


「……いえ、私は……皆さんを、裏切って……」


 声が、わずかに震えた。

 ユラはそれを隠すように、俯いたまま言葉を続けようとする。

 だが、続きを紡ぐ前に、クラウスの手が、そっと頭に触れた。

 拒絶でも、問い詰めでもない。

 ただ、そこにいることを確かめるような、静かな温度だった。

 彼女の身体能力。

 影から注がれる、常に気配だけを残す視線。

 気づかぬはずがなかった。

 それでも、クラウスは留守を任せた。

 疑わなかったのではない。

 その事実を、問わないと決めていた。


 ――その沈黙に込められたものを、ユラは知らなかった。


 ユラの肩から、力が抜ける。


 責められるのは、当然だと思っていた。

 留守を守ると約束し、それを果たせなかった。

 そして、ティアラを王宮へ行かせてしまった。

 それだけでなく――


「怪我は……ひどくないか」


 思ってもいなかった問いだった。

 責める声でも、確認でもない。

 ただ、痛みが残っていないかを気にかける、低く穏やかな声。


「……はい。私は、大丈夫です」


 そう言いながら、ユラは無意識に、自分の腕を押さえた。

 メイド服の袖は所々裂け、白布の下から滲んだ血が、黒地を暗く染めている。

 クラウスは、その様子を一瞥すると、静かに外套を脱いだ。

 そして何も言わず、ユラの肩にかける。


「……血で、汚れてしまいます」


 小さく、遠慮がちにそう告げると、

 クラウスは気にした様子もなく、肩をすくめた。


「気にしなくていい。……それより、アルシェ家の皆は」


「……皆さん、無事です」


 一つひとつ、短く返すたびに、胸の奥が苦しくなる。

 自分のことではなく、誰かの無事を問われていることが。


「それだけで十分だ。ありがとう」


 その瞬間だった。

 張り詰めていたものが、音もなく切れた。

 ユラの瞳に溜まっていたものが、零れ落ちる。

 拭うことも、堪えることもできず、ただ、頬を伝って落ちていった。


 リアンは、寝台の傍へ歩み寄る。

 青白い頬に、そっと手を伸ばした。

 淡い光が、僅かに立ち上がる。

 それは、彼の手のひらへと吸い込まれていった。

 胸の奥に、鋭い痛みが走る。


「……ティアラは」


 リアンが口を開きかけた、そのとき。


「ティアラ様は……」


 ユラが、かすれた声で告げた。


「無理をして魔力を使いすぎ、精霊核にひびが入っています」


 胸の奥に、冷たいものが沈んだ。

 それは、言葉より先に感じていたものだった。


 あの夜。

 焚き火の向こうで、言葉になる前に感じた違和感。

 追いつけなかった、淡い光。

 壊れた音はなく、何かが起きたとも断言できなかった。


 それでも――

 光の輪郭が、ほんの一瞬、乱れた感覚だけが残っている。


 あれは、未来を見たのではない。

 異常を、先に身体が拾っていたのだ。


 そう理解した瞬間、呼吸が、胸の奥で止まりかけた。


 言葉のない時間が、ただ流れた。


「……ひびを修復できなければ、このまま目覚めることなく……」


 その先の言葉を、ユラは口にできなかった。

 

 少し離れた場所で、レイヴンはティアラを見つめていた。

 青白いその顔から、なぜか目を逸らすことができない。胸の奥に、鈍い痛みが走った。


 一方、ルカは寝台の周囲を一周し、足を止めた。

 初めて目にする精霊を、興味深そうに見下ろしている。

 沈黙を破ったのは、ルカだった。


「そんなに深刻にならなくてもいいんじゃない?」


 あっけらかんとした声だった。

 深刻さを感じさせない、思いつきのままの軽い口調だった。


「精霊核、だったっけ。ひびが入ったなら、直せばいいだけでしょ」


 その言葉に、リアンははっとしたように顔を上げる。


 ――確かに、そうだ。


 壊れたのなら、修復すればいい。

 それが可能ならば。

 だが、ユラは首を横に振った。

 その表情は、先ほどまでよりもずっと硬い。


「……確かに、直せないわけではありません」


 ほんのわずかな沈黙のあと、言葉を選ぶように続ける。


「ですが、回復魔法では不可能です。精霊核そのものに刻まれた傷は、別の力で――」


 そこで、言葉が止まる。


「……ブルードラゴンの、生き血が必要になります」


 静養室の空気が、再び重く沈んだ。

 ユラが言い切るよりも早く、リアンが口を開いた。


「取りに行こう」


 即答だった。

 迷いも、躊躇もない。

 ただ、選択肢を一つに絞った声。

 クラウスが、低く息を吐く。


「ドラゴンに血を分けてくれと言って、素直に応じてくれると思うか?」


 現実を突きつけるような口調だった。


「そもそも、今では伝説として語られるだけの存在だ。本当に生きているかどうかすら――」 


「だからこそ、面白そうじゃない?」


 言葉を遮るように、ルカが笑う。

 その場で軽くステップを踏み、無邪気に目を輝かせていた。

 レイヴンは何も言わない。

 ただ、寝台に横たわるティアラから、一瞬も視線を外さなかった。

 ユラが、静かに続ける。


「ネヴァリス山脈に囲まれた、アクエリオ湖です」


 記憶をなぞるように、確かな声で。


「そこに、ブルードラゴンを見たという記述が、古い書物に残っていました」


 そして、少しだけ視線を伏せる。


「……ただ、今もそこにいるのか。生きているのかまでは、わかりません」


 リアンが、静かに口を開いた。


「ここで、じっとしていても何も変わらない」


 ティアラから目を離さぬまま、続ける。


「わずかでも望みがあるなら、行くべきだ」


 それは、誰かを説得するためというより、

 自分自身に言い聞かせるような声音だった。

 クラウスは一瞬だけ考え込み、やがて肩をすくめる。


「仕方ないな」


 苦笑にも似た息を吐き、視線を上げる。


「伝説のドラゴン様のご尊顔を、一度くらい拝みに行くとしようか」


 その軽口に、場の緊張がほんのわずかに緩む。


「僕も行く」


 即座に名乗りを上げたのは、ルカだった。

 迷いのない声。

 面白そう、というだけではない覚悟が、そこにはあった。

 しばらく沈黙していたレイヴンが、ようやく口を開く。


「……俺は、ここに残る」


 短い言葉。

 だが、その視線は、ずっとティアラに向けられたままだった。


「誰かが、そばにいなければならない」


 それ以上は、語らなかった。

 語る必要がないほど、理由は明白だった。

 静養室に、短い沈黙が落ちた。

 その中で、ユラが一歩、前に出る。


「……私も――」


 言葉は、そこで途切れた。

 クラウスが、静かに首を振る。

 視線はやわらかく、しかし迷いはなかった。


「ユラ。お前は、無理をするな」


 包帯の巻かれた肩に、目を向ける。


「怪我をしている。今は、安静にしていろ」


 それだけでは終わらなかった。


「それに……ティアラのそばに、誰かが必要だ」


 静かに、しかし確かに。


「頼む。ここで、彼女についていてやってくれ」


 命令ではない。

 役目を、託す声だった。

 ユラは、唇を噛みしめる。

 行けないことよりも、

 必要とされたことに、胸が詰まった。


「……はい」


 かすれた声で、そう答える。

 そのとき、リアンが振り返った。


「ユラ。レイヴン」


 名を呼ぶ声音は、いつもより低く、静かだった。


「ティアラを、頼む」


 それだけだった。

 だが、その一言には、すべてが込められていた。

 レイヴンは、短く頷く。


「……ああ」


 視線は、今もティアラから離れない。

 ユラは、寝台へと戻り、そっと手を伸ばした。

 冷たい指先を包み込み、離さない。

 託された役目の重さが、胸に残っていた。





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