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第2話 追われる精霊、守る者たち

 少女の光は、まだ不安定に脈打っていた。

 精霊の粒子のような微光が、その周囲を漂う。


「リリス、周囲を確認してくれ。兄さんは——」


 クラウスは無言で一歩前に出る。足元の落ち葉が、まるで何かを避けるように静かに散った。

 次の瞬間、周囲の空気が“歪む”。


「零界封結。」


 低く囁いた途端、半透明の壁が広がり、森の音が途切れた。

 リリスが息を呑んだ。


「……すごい。外の気配が全部、消えた……」


 クラウスは結界の外を鋭く見据えた。 


「誰かが追ってくる可能性はまだある。護りを固める。」


 空間が一瞬だけ“切れた”。

 潜んでいた黒い影が、枝ごと滑り落ちる。

《無刃・虚軌断》――音も衝撃も存在しない斬撃。


 「……近寄らせない。」


 その声音は静かだったが、確固たる意志が込められていた。


「……大丈夫、誰も追って来ないな。

 でも、この子……ただの人間ではないな」


 クラウスが低く言った。

 リアンは少女の額に触れる。熱が高い。けれど、ただの発熱ではない。


「力を使い果たして……それで倒れたみたいだ」


「精霊術……ですか?」


 リリスがそっと少女の頬に触れ、はっと手を引っ込めた。


 「……光の粒が、私に触れました。こんなの、初めてです」


 リアンは少女の掌を優しく握った。細く、かすかな温度しかなく、息遣いも弱々しい。


 抱き上げた瞬間、強く鼓動が跳ねる。

 理由は分からない。ただ、放ってはおけないと本能が告げていた。


 その時、少女の瞼がかすかに震えた。

 薄く開いた澄んだ紫の瞳が、ゆっくりとリアンを映す。

 その色は、水底の光のように静かで——

 そしてどこか、ひどく寂しげだった。


「……あなた……は?」


 掠れた声が森の風に溶ける。


「無理に喋らなくていい。もう大丈夫だ。僕たちは敵じゃない」


 リアンが言うと、少女の睫毛が震え、ほんのわずか安堵の気配がこぼれた。


「精霊……が……あなたに……」


 少女の言葉は途中でちぎれた。意識が再び落ちる。


「寝かせてあげた方がいいな。屋敷に連れ帰ろう」

 

 クラウスが言う。


「ユラに見てもらえば安心です」


 リリスも小さく頷く。

 リアンは少女をそっと抱き上げた。

 腕に伝わる重さは、驚くほど頼りない。

 まるで抱いているのが、身体ではなく光そのもののようだった。


「名前……分かるか?」


「お洋服には何も……家紋も紋章もありません」


 クラウスが首を振る。


「……かわいそう」


 リリスが落ち葉の中の少女の足跡を見つめ、しゅんと肩を落とした。


「こんなに小さな体で……よく頑張ったね」


 胸の奥が、じわりと締めつけられる。

 リアンはリリスの肩にそっと手を置いた。


「大丈夫。俺たちが助けたんだ。必ず良くなる」


 リリスは小さく笑い、肩の力を抜いた。その表情には、まだ幼さが残っている。


「……リアンお兄様がそう言うなら、きっと大丈夫です」


 三人は少女を守りながら、森を引き返し始めた。夕暮れが深まり、森の影が長く伸びる。風が通り、少女の髪の銀色が淡い光を受けて揺れる。

 

 その光が、どこか懐かしかった。

 まるで、ずっと前から知っているもののように。


「……リアン。気をつけろ」


 クラウスの声に振り返ると、森の奥で何かが動いたような気配がした。

 

 風が止まる。

 森の奥から、確かな視線を感じた。


「何か……見ている」


 リリスの狐耳がぴんと立つ。

 リアンは少女を抱え直し、静かに森の暗がりへ視線を向けた。

 ただの獣ではない。

 その気配は、三人ではなく——

 腕の中の少女だけを、正確に捉えていた。


「……帰ろう。今は、この子をまず守る」


 リアンの言葉に、二人が頷いた。

 

 三人は足早に森を抜け、夕暮れの小屋へと向かった。

 気配はそこで消えたはずなのに——

 リアンの背中に残る冷たいざらつきは、しばらく消えなかった。

 そして、腕の中の少女はそのたびに微かに光を揺らし——

 まるで何かを、必死に伝えようとするようだった。



 森を抜けても、足取りは自然と速いままだった。

 空は群青に沈み始めている。

 それでも、背後の気配が完全に消えたとは、誰も言えなかった。


 遠くの湖面に薄い光が揺れ、

 アルシェ家へ続く石畳の道が、静かに延びている。


 リアンは少女を抱き直した。腕の中の温もりは弱く、胸元で淡い光がかすかに揺れていた。


「早く帰ろう。ユラなら、何か分かるかもしれない」


 クラウスが歩幅を合わせながら言った。


「ユラさん……家にいるかな……」


 リリスは不安げにリアンを見る。肩を小さく震わせながら。

 リアンは優しく答えた。


「大丈夫、俺たちが帰ってくるまで待ってると言っていたし、きっといる」


 リリスは少しだけ安心したように微笑んだ。


 湖を越えた先に、白亜の屋敷が見えてくる。

 塔と回廊が夕光に淡く染まり、透明な結界が敷地を包む。


 彼は胸の奥で小さく息を吐いた


 ——父上がいれば、この少女はきっと助かる。


 そのとき、先に歩くクラウスがふと足を止めた。


「来たな。……ユラ」


 空気が揺れた気がした。影が一度ぶれ、次の瞬間には少女が現れる。


 深藍の髪が夜風に揺れ、銀青の瞳が淡く光る。

 白黒のメイド服。ひざ丈ギリギリのフレアスカートが風にひらりと揺れていた。

 華奢な体に似合わず冷静で、姿勢はまっすぐだ。


「リアン様、クラウス様。リリス様。……想定より、遅いですね」


 声は淡々としている。

 しかしその一瞬、クラウスを見たときだけ、微かに瞳が揺れた。


「ユラ、頼みがある。この子を部屋へ運びたい。体温が不安定で……」


 リアンが言うと、ユラは少女を見つめ、細く息を飲んだ。


「……精霊光が、漏れています。

それも、隠そうとして失敗した痕。……誰かに、追われていた」


「分かるのか?」


 クラウスが尋ねる。


「詳しくは、中で。誰かに見られる前に——早く」


 ユラの声が少しだけ切迫していた。


 三人はユラに導かれ、裏口から広い屋敷へ入った。

 磨かれた白い床石、淡い光が漏れる廊下。


 リアンは何度も見てきた自分の家なのに、今はまるで別世界に感じた。


 ユラが指したのは、医務室として使われている一室。


 公爵夫人は、王命によりミストフォルン王国へ赴いている。

 屋敷の采配は、いまユラが預かっていた。


「ここなら父上もすぐ来られる。……ユラ、準備を頼む」


「はい」


 ユラは慣れた手つきで薬箱と布、精霊術具を揃えた。

 その横顔を、クラウスが静かに見つめる。

 リアンは少女をベッドにそっと寝かせると、ラベンダーの髪がシーツに広がり、光の粒のようなものがまだ微かに浮かんでいた。


「……苦しそう」


 リリスが胸を押さえる。

 白銀の尾がしゅんと垂れた。

 ユラが少女の額に手を当て、集中する。

 その瞳に、いつもの冷静さが戻る。


「魔力の流れが……歪んでいます。人間のものとは違う。精霊適性が極端に高い……いえ、それ以上」


 クラウスが近づき、空気を読むように手をかざす。

 彼の“空の魔力”が、少女の魔力の波を感じ取る。


「これは……精霊核の反応だ。人間では、ほぼあり得ない」


 リアンは驚きで息を飲んだ。


 ——精霊核。


 その言葉だけで、胸の奥がひやりとした。

 クラウスの声が、わずかに低くなる。


「人間が持つものじゃない」


「クラウス兄さん……彼女、精霊の……?」


「混血だろうな。それも、純度が高すぎる」


 部屋が静かになる。

 そのとき、少女の指先がかすかに動いた。


「……ぁ……」


 微かな声。

 リアンはベッドに寄り、そっと手を握った。  


「大丈夫だ。君は安全な場所にいる」


 少女は薄く瞳を開け、何かを言おうとした。

 けれど言葉は形にならず、再び眠りに落ちる。


 ユラが小さく言う。


「……彼女、追われていますね。この魔力の乱は……長距離逃走の痕。敵の気配も……消されていましたが、痕跡がありました」


 クラウスの表情が少しだけ険しくなる。


「森で感じた影……あれか」


 リアンは静かに息を吐いた。


「彼女は、俺が守る」


 たとえそれが、王の理に背くとしても。


 ユラがリアンを見つめる。

 その瞳は冷静でありながら、どこか柔らかい。


「……分かりました。私も協力します」


 リリスは胸に手を当て、頷いた。


「リアンお兄様……わたしも。絶対に守ります」


 クラウスはふっと微笑む。


「そう言うと思った。リアン、父上にも報告しよう。

 彼女の力は特殊だ。あの人なら、最善を選ぶ」


 リアンは小さく頷いた。

 義母なら、どう判断しただろうか。


 ——父上なら、きっと彼女を助けてくれる。


 その瞬間、少女の胸元で光がふっと揺れた。

 まるでリアンの言葉に応えたように。


 だが、その意味をリアンはまだ知らない。

 それが、王国の理を揺らす最初の選択になるとは——

 まだ誰も知らない。




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