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第24話 光の檻

 まだ朝靄あさもやの残る時刻だった。

 アルシェ家の門の外に、馬車の気配が届いた。

 石畳を叩く蹄の音が、ゆっくりと近づいてくる。

 門前に停まったのは、王宮の紋章を掲げた馬車だった。

 使者が降り立ち、形式ばった所作で書状を差し出す。

 受け取ったのは、アルバートだった。

 封蝋ふうろうを確かめ、静かに封を切る。

 目を通したその表情が、わずかに引き締まる。


「……王宮からの招待状だ。差出人は、レイヴンだ」


 空気が、静かに変わる。

 リアンは何も言わず、書状に視線を落とした。

 クラウスは肩をすくめる。


「予想はしてたが、早いな」


 応接間の奥で、ティアラが小さく息を詰めた。

 胸の奥に、理由のはっきりしない不安が広がる。

 

 出立の支度は、驚くほど静かに整った。

 玄関ホールには、全員が揃っていた。

 アルバート、エルフィナ、リリス、ティアラ、そしてユラ。

 朝の光が、高い窓から差し込み、床に淡く影を落としている。

 アルバートは、リアンの前に立ち、低く告げた。


「深入りはするな。特に、封印区画だ。そこには、決して踏み込むな」


 忠告というより、釘をさす声音だった。

 リアンは短く頷く。


「わかっている」


 エルフィナは何も言わず、ただ祈るように手を組んでいた。

 リリスは背筋を伸ばし、一歩前に出る。


「留守の間は、私が家を守ります」


 声はしっかりしている。

 けれど、その奥に、心配が残っていることを、誰よりもリアンが知っていた。


「……任せる」


 その一言で、リリスの表情がわずかに緩む。

 ティアラは、言葉を探すように一瞬だけ視線を落とし、そして――顔を上げた。

 その瞳は、迷いのない真剣さを宿していた。

 リアンを、まっすぐに見つめる。


「……気をつけて」


 無事でいてほしいと、心から願う声だった。

 リアンは、その眼差しから逃げなかった。

 短く、しかし確かに、頷く。

 クラウスは扉へ向かいかけて、ふと足を止める。

 ユラの隣で、低く告げた。


「留守の間、家のことを頼む」


 一瞬。

 ユラの胸に、ちくりとした痛みが走る。

 ――知っている。

 これから何が起こるのかを。

 それでも、表情は崩さなかった。


「……承知しました」


 いつもと同じ声音。

 だが、その言葉を吐き出すまでに、ほんの一拍の間があった。

 それが、彼女に残っていた、人としての躊躇だった。


 扉が開き、外気が流れ込む。

 朝の光の中へ、リアンとクラウスが歩き出す。

 誰も引き止めなかった。

 けれど――

 見送る背中に注がれた視線の数だけ、祈りが重なっていた。



 

 王宮の馬車は、来た時と同じように門前へと回されていた。

 白い車体に刻まれた光の紋章が、薄い朝光を受けて淡く浮かび上がる。

 リアンとクラウスが乗り込むと、御者は何も言わずに手綱を引いた。

 扉が閉じられ、外界との距離が一段、引き離される。

 馬車が動き出す。

 蹄が石畳を打つ音は一定で、規則正しい。

 窓の外、王都ルミナ・アストラは、まだ完全には目覚めていなかった。

 白石の建物が朝の光を受け、淡く輝いている。

 整えられた街路。

 清潔な外壁。

 魔導ラインが、道の両端でかすかに青白く光っていた。

 美しい。

 あまりにも、整いすぎている。

 その均質さが、かえって息苦しさを生んでいた。

 やがて馬車は、中央大通り――光道へと入る。

 幅広の道の先に、王城が見えた。

 白と光で築かれた威容。

 近づくにつれ、胸の奥に、静かな重さが沈んでいく。



 やがて、王城ルミナス・パレスの全容が、朝靄の向こうに姿を現した。

 白銀に近い純白の大理石で築かれた巨大な城郭。

 朝の光を受け、その外壁は淡く、しかし冷ややかに輝いている。

 城壁は高く、滑らかで、影が入り込む余地すらない。

 装飾は最小限。美しさはあるが、温もりはない。

 外壁には、光属性の魔力線が幾何学模様のように走っていた。

 昼のそれは控えめだが、確かに存在を主張し、夜には星の列のように発光すると聞く。

 天空へ向かって伸びる六つの塔が、均等な間隔で配置されている。

 祈りのための建築というより、

 ――理と秩序を天に示すための構造物だった。

 正門が近づく。

 白銀の双扉には、光の紋章が深く刻まれていた。

 扉の継ぎ目からは、柔らかな光が、呼吸するように漏れ出している。

 門兵は声を発することなく、視線と動作だけで通過を許可する。

 その無言の所作が、この城の本質を雄弁に語っていた。


 ――ここは、牢獄のようだ。


 馬車が門前で減速する。

 リアンの胸の奥に、理由のない重さが沈んだ。

 懐かしさではない。

 だが、確かに知っている空気だった。


 王宮の正門前で、馬車は止まった。

 先に立っていたのは、レイヴンだった。

 淡い金の髪が、朝の空気の中でわずかに揺れる。

 表情は変わらない。

 だが、その視線は確かにリアンを捉えていた。


「来たな」


 短い言葉。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 王宮内は、外の光景とは対照的に静まり返っている。

 高い天井。

 白い回廊。

 均一な明るさを保つ光魔石の灯り。

 音が反響しないよう計算された空間が、歩くたびに足音を吸い込んでいく。

 案内されたのは、一般に開放されている図書塔だった。

 高く積み上げられた書棚。

 整然と並ぶ背表紙。

 だが――

 ページをめくっても、探している名は出てこない。

 精霊国。

 精霊核。

 光の器。

 触れてはならないもののように、そこだけが抜け落ちていた。


「……見事に何もないな」


 クラウスの声が、低く落ちる。

 レイヴンは答えず、しばらく棚を眺めていたが、やがて静かに口を開いた。


「ここにはないな。やはり、封印区画の最奥――王家封蔵庫ならあるとは思うが」


 その名が出た瞬間、空気がわずかに冷える。


「だが、俺は行かない」


 即断。


「立ち入り禁止区域だ。危険を冒す義理もない」


 クラウスが、ちらりとリアンを見る。

 そして、レイヴンに向き直る。


「来なくていい」


 一拍置いて、続けた。


「光の転移魔法で、俺たちを飛ばしてくれ。それだけでいい」


 レイヴンの眉が、わずかに動いた。

 躊躇。

 そして、諦めに近い溜息。


「……無茶を言う」


 わずかな沈黙ののち、レイヴンは小さく息を吐き、二人から半歩、距離を取る。

 淡い金の髪が揺れ、青い瞳が静かに細められた。


 白い光が、彼の足元から静かに滲み出す。

 魔法陣は描かれない。

 詠唱もない。

 ただ、光そのものが意志を持つかのように、空間を満たしていく。


「動くな」


 低く、短い声。


 次の瞬間、光は一気に濃度を増し、

 リアンとクラウスの輪郭を溶かすように包み込んだ。



 光が、視界を満たした。

 転移は一瞬だった。

 次の瞬間、足裏に伝わったのは、冷え切った白石の感触。

 音が、ない。

 足音も、衣擦れも、呼吸の反響さえも、どこかに吸い込まれている。


 ――王家封蔵庫。


 自然光は一切届かず、

 弱い魔力灯だけが、石壁に穿うがたれた壁龕へきがんをぼんやりと照らしていた。


 一冊ずつ、隔離されるように納められた文献。

 背表紙に題名はない。

 刻まれているのは、王家の紋章だけだ。

 それらは、語ることを拒むかのように沈黙していた。

 手に取った書を開くたび、胸の奥に微かな既視感が積み重なっていく。


 精霊国との契約。

 記録から削除された条文。

 犠牲と引き換えに成立した均衡。


 アルシェ家で目にした内容と、本質は変わらない。

 ――だが、どれも決定的な部分が、巧妙に欠けている。


「……やはり、核心は伏せられているな」


 低く呟いたクラウスの声が、静寂に沈んだ。

 リアンは答えない。

 無言のまま、次の壁龕へ手を伸ばす。

 そこで、指が止まった。

 ひときわ古い一冊。

 黒ずんだ紙。

 革表紙は擦り切れて所々破れている。

 それでも――

 その書だけが、異様な重みを放っていた。

 頁を開く。

 薄れかけた文字が、ゆっくりと視界に滲む。

 記されていたのは、簡潔な一文。

 精霊国、退位した王。

 獣人国ミストフォルン――迷いの森にて、生存を確認。

 それ以上の説明はない。

 だが、頁の端に、かろうじて残された補遺があった。

 ――その治世において、精霊国は理をもって全てを裁く国ではなかった。

 精霊たちは、喜び、怒り、哀しみ、そして愛を、不安定な揺らぎではなく、生の証として抱いていた。

 王はそれを統べる支配者ではなく、感情と世界の均衡を見守る、ただ一つの支点だった。


 当時の精霊国は、アストラル王国とも、獣人国ミストフォルンとも、対立ではなく、調和によって関係を結んでいたと記されている。


 ――理は道標であって、鎖ではなかった。


 知りたいと思った部分ほど、文字が存在しない。

 そこにあるのは、元精霊王が生きているという事実だけだった。


 息が、わずかに詰まる。

 退位した精霊国の王。

 感情を尊んだ時代の、最後の象徴。


 もし、その人物に会うことができたなら。

 王家が封じ、精霊国が切り捨て、誰も語らなくなった真実に――

 触れられるのかもしれない。

 そう考えた瞬間、胸の奥に、微かな引っかかりが残った。


 ――それだけだろうか。


 知りたい、という言葉では足りない。

 この記録に、この「退位した王」という存在に、自分はなぜ、ここまで強く惹かれている。

 感情を尊んだ精霊国。

 理よりも、心を重んじていた時代。

 その中心に立っていた者。

 もしこの王が、

 すべてを失うと知りながら、それでも王位を手放したのだとしたら。

 それは、逃げでも、敗北でもない。

 何かを守るために、

 何かを選び取った結果だ。

 胸の奥で、静かに共鳴するものがあった。

 理由はわからない。

 言葉にもならない。

 それでも、はっきりしている。


 ――この王に、会わなければならない。


 答えを求めるためだけではない。

 ただ、自分の中に芽生えた違和感の正体を、確かめるために。


 その時だった。

 空気が、わずかに歪む。

 クラウスの胸の奥を、鋭い感覚が貫いた。


 「……アルシェ家の結界に」


 クラウスが、弾かれたように顔を上げる。


「亀裂が入った。しかも、深い」


 言葉が終わるより早く、二人は顔を上げ、視線を交わした。


 確認は、それだけで十分だった。


 二人は即座に踵を返した。

 だが――

 一歩、踏み出した瞬間。

 空間が、光に閉ざされる。

 部屋全体が光の結界に覆われ出口は、完全に塞がれていた。

 見えない圧が、静かに強まっていく。

 遠くで、アルシェ家の結界が軋む気配がした。

 その亀裂は、確実に深くなっている。

 ここに閉じ込められている間にも。



 そろそろ、だ。

 レイヴンは歩みを止め、感覚を澄ませた。

 王家封蔵庫に残した二人の気配は、まだ安定している。

 時間も、十分に与えたはずだった。

 調査は、終わった頃だろう。

 彼は迷いなく術式を組む。

 転移魔法。

 封蔵庫内部と、ここを結ぶための、いつもの光。


 ――だが。


 術式が、繋がらない。

 光が、行き先を見失ったように散った。

 レイヴンは、眉をわずかに寄せる。

 再度、詠唱を短く区切り、精度を上げる。

 それでも、光は封蔵庫の“外縁”で、静かに弾かれた。

 そこで、ようやく気づく。

 王家封蔵庫そのものが、別の光に覆われている。

 重ねられた結界。

 内と外を、完全に断つ構造。


 「……いつの間に」


 レイヴンは、視線を上げた。

 封蔵庫を包む空間に、微かな圧が走っている。

 それは防衛でも、警告でもない。

 「閉じる」ための光。

 レイヴンはその場を動かず、意識だけを封蔵庫の外縁へと重ねる。

 視界には何もうつらない。

 だが、感覚の中で、幾重にも重なった光の層が立ち上がった。

 そこへ、自身の光を通そうとした瞬間、明確な拒絶が返ってきた。

 術式を変える。

 解呪。

 上書き。

 だが、結界は一切、揺らがない。

 胸の奥が、静かに冷えていく。

 この構造。

 この精密さ。

 王家の光属性を知り尽くした者の――

 いや。

 王自身の光だ。

 答えは、否定しようもなかった。

 王が、封蔵庫を封じた。

 中にいる者を、出させないために。


 レイヴンは、結界の前で立ち尽くした。

 動けなかったのではない。

 動いても、意味がないと理解してしまった。


 自分の光では、この結界を越えられない。

 術式の問題ではない。

 権限でも、工夫でも、時間でもない。


 それは――

 同じ光属性でありながら、

 決定的に位相の異なる力だった。


 王家封蔵庫は、いつの間にか、ただの保管庫ではなくなっていた。

 王の光によって閉じられた、逃げ場のない、静かな檻。


 光は、本来、境界をもたない。

 だが今、それは確かに、中にいる者を隔て、閉じ込めるための光の檻に変わっていた。



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