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第10話 迫る影、崩れゆく壁

 森の影がざわめき、屋敷の周囲を黒い気配がうごめく。結界は微かに震え、亀裂から冷たい風と闇の力が侵入し始めた。リアンはティアラを抱き寄せ、胸の光を強く意識する。光は防壁となり、亀裂から押し寄せる闇を必死に食い止めた。


「……来るぞ」


 アルバートの低い声が屋敷内に響く。

 闇の気配がただ者ではないことを告げる。

 木々のざわめきの中から、黒い影が複数、結界の壁を押し広げるように迫ってきた。夜織――王直属の部隊だ。彼らは静かに、しかし確実に屋敷内へ侵入してくる。


 先頭の夜織が低く、冷たい声を響かせる。


「その少女は、連れ帰る。歯向かう者には容赦はしない――」


 その言葉だけで、屋敷内の空気はさらに張り詰めた。目的は明確だ。ティアラを、あの影たちは連れ帰るつもりで来ている。

 リアンは氷の刃を手元に立ち上げ、目の前の闇を牽制する。

 ユラは剣を構え、結界の亀裂から侵入する夜織たちを迎え撃つ準備を整える。

 リリスは尾を大きく揺らし、結界を補強しつつ警戒を怠らない。


 夜織たちは一人一人が鋭い殺気を帯び、互いに連携しながら屋敷を包囲していた。刃が月の光を反射し、冷たい風が襲いかかるたびに結界の光は揺れ、屋敷の空気は一瞬で張り詰めた。


 リアンはティアラを守るため、胸の光を力の限りまで引き出す。

 アルバートは窓の外へ目を向けると、鋭い視線で夜織たちの動きを読み、瞬時に味方の防御を指示する。


 屋敷内の静けさは完全に破られ、闇と光、命のせめぎ合いがその空間を支配しようとしていた。


 次の瞬間、結界の亀裂が深く、ゆっくりと音を立てた。

 ぱきり、と薄氷が割れるような乾いた音。

 次の瞬間、黒い布のような影が裂け目からうねり込み、屋敷の玄関ホールから部屋へいっきに流れ込んだ。夜織は十数名。全員が無言のまま、滑るような動きで隊列を整える。


「少女を確保しろ。迅速にだ」


 夜織の一人が、低く告げた。

それは命令というより、“決定事項”のような冷徹さを帯びていた。

 ティアラは小さく震えた。リアンは無意識に彼女を背へ隠す。


「――ここで、終わらせる気はない」


 氷の魔力が呼応し、リアンの手元に淡い蒼光が集まる。

 胸の奥の光は怒りと恐怖で脈打ち、薄い膜のようにティアラの周囲を包んでいた。

 その時――。


「動くなッ!」


 夜織の一人が床を蹴り、刃が閃いた。

 最も素早く反応したのは、ユラだった。


「くっ……!」


 剣を斜めに構え、迫り来る刃を受け止める。火花が散り、木の床に線が走る。

 ユラの銀青の瞳が揺れていた。

 “見知った”仲間だったのかもしれない。だが迷いは一瞬だけ。彼女は剣を返し、夜織の動きを逸らす。


 彼らを殺さないよう刃を鈍角に叩きつける――それだけで、尋常ではない技量だ。


「リリス、左側の侵入者!」


 アルバートの指示とほぼ同時に、銀の狐尾が弾けるように広がった。


「……はいっ!」


 リリスの尾が舞うたびに、薄紫の結界が衝撃を吸い、夜織の動きを阻む。尾が一本、二本と増えかけていた。

 怒りと恐怖で九尾化の兆しがにじむが、彼女は必死に抑え込む。


「……離さない……」


 ティアラは震えながらも、胸の前で両手を組む。

水の魔力が指先に集まり、空気がしっとりと湿りはじめた。


「《アクア……サークレット》……!」


 詠唱は震えていた。

 それでも水の輪が広がり、リアンを含む皆の周囲に淡い防御膜が浮かび上がる。

 夜織の刃がその水膜に触れ、波紋が走る。


「……護りの魔法まで使えるのか。やはり異質だな、少女」


 夜織が呟いた。

 冷たく無機質な声。まるで数字を見るような響き。

 アルバートが一歩前へ出る。


「我が屋敷を踏みにじるとは……覚悟はできているな?」


 刹那、彼の周囲で無属性の魔力が蠢いた。

 圧縮された透明の力が空気を歪ませる。

 夜織が全員で警戒姿勢をとる。


「少女は王宮へ連れ帰る。王命だ。――公爵といえど、邪魔するなら排除する」


 淡々とした声。

 そこには血も感情もない。ただ任務のみ。

 その瞬間、ティアラの身体が震えた。


「……王宮……?」


 その言葉に、胸の奥がざわめき、瞳に虹色の縁が一瞬だけ揺らいだ。

 リアンは気づき、そっとティアラに声をかける。


「大丈夫だ。絶対に渡さない」


 ティアラは、小さく息を呑んだ。

 リアンの光が、温かく、怖さを溶かすように流れ込む。

 だが、夜織たちは間合いを詰めはじめていた。

 床を蹴る音が重なる。

 黒い影が一斉に跳びかかる。


「来る――ッ!」


 リアンは氷刃を横薙ぎに振り払う。蒼い軌跡が闇を裂く。

 ユラの剣が正確に影を弾き、アルバートが透明な衝撃で複数を一掃する。

 リリスの尾が結界の穴を補い、ティアラの水膜が仲間を守る。

 それでも夜織は止まらない。

 王の影は、痛みも恐怖もなく、ただ命令だけを遂行する影。

 その冷徹な武の波が迫りくる中、リアンは息を呑んだ。


 ――このままじゃ、押し切られる。


 胸の光が脈打つ。

 ティアラの震えが背中越しに伝わる。


「……守る。必ず」


 次の瞬間、リアンの足元に氷の紋が浮かんだ。

 冷気が奔り、蒼い光が床を覆い──

 夜織たちが一斉に足を止めた。


「……これは、氷の結界? いや……もっと……」


 床一面に広がったのは、リアンだけが扱える独自の氷。ただの氷ではない、“水”と“氷”の両方が混ざった揺らぎを持つ淡蒼の魔術陣。


 ティアラの瞳がわずかに揺れた。

その魔力は“水”にも“光”にも似ている――初めて見る、やさしい冷たさだった。


 夜織たちの靴が氷に縫い付けられたように動きが鈍る。


 アルバートが驚きに目を細める。


「……リアン、その魔法を……?」


 リアンは答えない。

 ただ前へ出る。氷刃を握りしめ、襲いくる夜織へ向き直る。


「ティアラには、指一本触れさせない」


 声は震えていない。

 黒い影へ向けた蒼い瞳は、氷の刃よりまっすぐだった。

 夜織の一人が刃を構え、静かに言った。


「ならば……力ずくで行くまでだ。少女は王宮のものだ」


 夜の空気が裂ける。

 次の衝撃の波が、屋敷を襲う。


 物語は、まだ序章にすぎない。

 “光と闇”の戦いは、今まさに本当の意味で幕を開けようとしていた。






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