十
「彼は笑った。自らを」
一つ、声が響いた。
「だからこそ救えた。自らを」
軽快な声だった。
「人は自らのうちに沈んでいく。本当の自身を探し、自身の本質を探し、自身の奥深くへと進んでいく」
笑っていた。我が子に童話を読み聞かせる母親のように。
「そして戻れなくなる。深い深い海の底。そこで腐り、果てていく。誰かに手を差し伸べられなければ」
子供ははしゃぐ。早く寝なさい、と言う母親を傍目に、物語に入り浸る。
「彼はいつも笑っていた。泣いた時、怒った時、笑った時。いつでも笑っていた。その笑い声が唯一の光だった」
童話とは恐ろしいものだ。常識というものが軽薄になる。動物が喋り、太陽が笑う。
「沈んでいく時、彼は笑っていたという。自らが溺死しようが、彼は喜んで笑っただろう。死ぬ間際に泣き叫ぶと分かっていながら、笑っただろう」
それは平和なようで、幸福なような、狂気の世界だ。
「彼は差し伸べられた手を掴んだ。だから彼は沈まずに済んだ」
それが笑い話であると信じ込むのは子供だ。大人は子供向けの話だと納得する。
では、どちらでもない者が見るのはなんだろう。
「彼は踏み出せなかった。当然だろう。自分の中に違う自分を飼っているのだから」
それは真実だ。子供が幻想を見て、大人が現実を見ている時、そのどちらでもない者は真実を見る。
見てはいけないものを見る。
「彼が飼っているのか、彼が飼われているのか、それは分からない。ただ一つ言えるのは、彼は自らを助けてしまったということだ」
いずれ忘れる。大人になる頃には、現実的な納得に落ち着き、そして多くの中に埋没する。
「他者に助けてもらわなければいけなかった。他者から差し伸べられた手を掴む勇気を持たなければならなかった」
だが。
「だから彼は歩けない。手を引いてくれると、一緒に歩いてくれると、そう言ってくれる者の手を掴む勇気が、彼にはない。一度救ってくれた自らの手を、彼は離せない」
動物が喋り、太陽が笑う世界から抜け出せなくなった者は、どうなるのだろうか。




