表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
論者の夢想論議  作者: 飯島鈴
第四部(仮題)
60/66

八 同じ穴の狢

「七面倒臭い話はやめにしよう」

 ガラスのグラスを机に叩きつけるように置いた嘉喜が、怒号にも似た喜悦の声を上げる。

 その笑顔を見たシキは目をまん丸く見開き、見たこともないような笑顔を浮かべたものの、他の一同は真逆の顔をしていると言っていい。

 頭のネジが数本飛んでいる兄妹の喜悦に、ユウカまでもが絶句していた。

「まずいで――」

「誰もが語る話になど興味はない」

 最上級の警告であるユウカの声を、落ち着いた嘉喜の声が遮った。

 始まるのだと、全員が理解した瞬間だ。


「人は何に意味を求める? 何を欲し、何に満足する?」

 心からの喜びを隠しきれない嘉喜は、目を輝かせて問う。

「僕が断ずるに、それは欲だ。人間は欲に手足が生えたようなものだからねぇ。そうは思わないかい?」

 シキは蛇のような視線を俺に向けた。

「さて、難しい問題だな」

 ペースに呑まれてはいけない。それだけを意識し、言葉を紡ぐ。

 だが、しかし少女の可憐にして毒々しい目が一瞬で曇った。一種の失望であると、子供でも分かるだろう。

「忘れたか? 俺の性分を」

 咄嗟にそう言っていた。人に、とりわけこの少女に嫌われることを、本能的に嫌ってしまった。

 失望の色を浮かべていた瞳に、倦怠感にも似た粘っこい光が灯る。あぁ、失敗した。

「傍から言わせれば、そんなの自分たちの勝手にしろ、としか言えないが、まぁそうだな」

 仕方なく、答えを口にする。

「自分だろう。自らに意味を求め、自らを欲し、自らに満足する」

 究極的に、人は自らを嫌いにはなれない。嫌いになるとしたら、それは思考回路に異常が発生しているのだ。

「……唯野さん、本気で言ってます?」

 おずおずと、横合いから声がかかる。当然といえば当然か、嘉喜の狭い城に馴染んでいるのはクミだ。

「屁理屈ではある。……が、根本の結論を求めるなら、そうなる」

 俺に向けられる視線の半分が諦めに染まり、半分が歓迎に染まっていくのが分かる。クミとシキはその両方を同時に宿していた。

「むぅ……。僕は違うと思うんだけどな」

 静寂と言っていいほどの沈黙の中に声を漏らしたのは、俺の横でシキを視界から外そうとしないトガミ。

「人が求めるのは情だよ、情」

 情。それが意味することがなんなのか。考えるべきではないのだろう。仮に考えたところで、答えが同一のものになるとは思えないが。

「いいや、人が欲するのは証明だ。それが真実であるという証明を欲する」

 じろりとした視線を嘉喜から外そうとしないナガミが、吐き捨てるように言う。

「欲に自身、情に証明。否定はしない。するつもりはないし、したところで意味もない」

 嘉喜が、やはり落ち着き払った声を上げる。

「物事は本質を見なければいけない。分かるだろう? 形や色ばかりを見て語るのは馬鹿のすることだ」

 俺を見据える目は、凍えていた。先ほどの熱情が嘘かのように、ただただ静かな思考を映している。

「君はどうかな? 唯野……、ええと、唯野なに君だったかな?」

 にやりと笑ってみせたその顔は、もう熱気も冷気も感じさせなかった。


「本当に入らないんですか? 入ったら面白いと思うんですけど」

 玄関先で置きっぱなしの折り畳み椅子に座ったユウカは、ペットボトルのジュースをストローで飲んでいる。

「あの人、分からないんですよね」

 形は分かる。色も分かる。しかし、それは本質ではない。

 本質とは、外から見た形や色などとは無関係に存在するものだろう。

 嘉喜はその本質を見せようとしない。ありもしない形を装って、ありもしない色で塗り固めている。

「まぁ唯野君は何か勘違いしているけどね」

 目を逸らしたくなる程度には薄着のシキは、俺に寄りかかったまま「何か、どころか、ほとんど全てを誤解している」と笑って言う。本当にこの子、帰りはどうするんだろうか。俺が親御さんなら、絶対に家から出さないけど。

 ……というより、部屋からも出さないしなんなら風呂上がりでも許さない。

「勘違いに誤解か。何がどう違っているのかね」

 少なくとも、あの貝なのか餅なのか分からない奴の頭がおかしいということは、まず間違いないと断言できる。

「そうですねぇ、構えすぎなんですよ、唯野さんは」

 ユウカはひらひらと手を振って柔和に笑う。

 小学生に簡単な算数を教えるような言葉と、柔らかな笑みと仕草。当人にその意味を問うても意味はないと分かっているから、俺は寄りかかってくる少女に目を向けた。

「そのうち」

 少女はわざとらしく俺の袖を握り、そして身を寄せる。

「そのうち、教えてあげるよ」

 小悪魔的な微笑が間近に迫った頃、視界の外から静かな、あまりに静かな怒号が飛んできた。トガミだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ