七 運命とは
ぺらぺらと、コツコツと、そんな音たちがふとやんだ。
指で一定のリズムを刻みながら読書をするという不思議な行動を中断したメイリンは、眼前の人物までもが同じ行動をしているかのような目をしていた。
「なんだよ」
言っておくが、俺は不思議な行動などしていない。にもかかわらず、メイリンは不思議そうに覗き込んできた。
「言いたいことがあるなら言うアル」
そんな言葉を投げられ、はたと沈黙してしまった。
メイリンに問われてようやく、自分が思案にふけっていたことに気付いたのだ。
「……」
しかし、その思案の末に浮かんだ問いを口にするのは躊躇われた。
それでも、見据えられたメイリンの目を見ているうちに、その躊躇いが邪魔な気遣いなのではないかと思えてくる。
「お前は……、どうやって運命論に辿り着いたんだ?」
疑問に思わなかったと言えば嘘になるだろう。一秒前に全てが決められるという理屈。今となっては否定するつもりもないが、以前は否定しようと躍起になっていたのかもしれない。
だから、その自分が疑問を抱いていることに薄々気付きながら、後回しにしていた。
メイリンは運命論者である。
では、いつ運命論者になったのか。
「嫌なことが、あったアル」
答えは唐突に紡がれ始めた。
「それは些細なことだったアル。子供の戯れ合い。いいや、戯れ合いですらない、ただの挨拶のようなものだったアル」
すらすらと、その答えは紡がれていった。
予定していたかのような、練習していたかのような、原稿を読むようでいて、しかし感情の込められた声。
俺が問うたことなど、何度も自ら問うたのだろう。
何度も問うて、何度も答えたのだろう。
だから、メイリンからすれば、これは今までの繰り返しに過ぎないのだ。
メイリンは学校で嫌なことがあったという。
それはイジメとか、そういう程度の話ではない。ただ少し、ほんの少しだけ、クラスメイトと考えが合わなかった。それこそ俺とナガミの間にある乖離と同じ程度のものだったと予想できる。
しかし、幼いメイリンには大きな溝に思えた。
その溝の向こうにいるクラスメイトと付き合っているのが嫌になって、逃げ場を探した。
子供に許された逃げ場など、そう多くはない。
メイリンはあまりに少ない逃げ場の中から、本を選んだ。年齢にはあまりに合わない本だった。
そして、熱中したのだ。
気付けば、ふと問うていたという。
「神とは何か。人類史とともにある問いアル」
メイリンは過去に向いていた目を俺に向ける。
「神とはなんだと思うアルか?」
「その問いに対する答えは沢山あるね」
素直に答えてはやらないよ、と言外に笑う。
「なら、少し変えるアル。完全なる神に必要な条件とは、何アルか?」
答えは一気に狭まった。
ついでにこれまで考えていなかった方向からの問いだったせいもあり、ふと考えてしまう。
「そうだな、力か?」
冗談めかして言っておく。メイリンが求める答えは違うと分かった上で。
「トガミも苦労するアルな」
メイリンも笑う。
「全てを知っていることアルよ。過去に起きた全てを、今起きている全てを知っていることアル」
そうでなければ神は名乗れない。メイリンはそう言い捨てた。
「それで、無神論的運命論者さんは、その神をどう扱ったんですかね」
嫌味な口調で返す。メイリンはわざとらしく嫌そうな顔を作り、それから嬉しげに頷いた。
「その神にできることを考えたアル」
全てを知る神に、できること。膨大にありそうだが、深く考えてみると、これは引っ掛けに近い。
「そう、そんなには多くないアル」
メイリンは嫌味な笑みを返してきた。
「ただ知っているだけの存在に、死にゆく子供を救えるか? 私たち日本人だって戦争で亡くなる子供たちを知っている。だが、救うことなどできやしない」
力強く、メイリンは唾棄した。
「そんな神にできることがあるとすれば、そう、未来を見通すことくらいアル」
いつもの冷ややかな調子に戻ったメイリンは、やはりいつものエセ中国人口調で再開する。
「未来を見通す?」
「分からないアルか?」
ようやく、繋がりが見えてきた。
「過去の全てを知るアル。その上で今を知れば、過去が今にどう影響するかも知ることができるアル。なら、過去と今が未来にどう影響するかも推測できるアル。それも、間違いのない未来視アル」
何度も教え込まれた考えだった。
俺は俺のことを一番知っている。しかし全ては知らない。
では全てを知っている第三者がいたらどうだろう。
俺の生活、思考、行動パターンを知り尽くし、俺の知らない癖まで理解した者がいるなら、その者は俺の行動をほぼ全て推測できる。勿論、外的要因による不意の行動は読めないが。
そして、メイリンの言う神は、その外的要因すら知り尽くしている。
ゆえに――
「神は未来を見通せるアル」
昔話が長すぎたアルな、とメイリンは呟く。
「ここから先は簡単アル」
コツ、コツコツコツと机を鳴らす。
「神が見通す未来。それは一つアル」
神が知っている過去と今、それはすなわち前提だ。
その前提から弾き出される結論は一つ。未来は一つというわけだ。
そして。
「それが運命アル」
神が知っている過去と今、そして見通せる未来は繋がった一つの線だ。その線が運命という糸であり、糸が存在するなら……。
「そこに神という観測者は、不要アル」
最初は神から始まったという。
神とは何か。
そんな問いから始まった一人の論議は、始まりである神の排斥によって幕を閉じた。
「神という観測者がいるからこそ運命が存在すると考えられ、運命という決まった道が存在するなら神は存在しなくても同じであると言えるアル」
有名な猫がいる。
猫は観測されなくとも、死ぬ。
猫は観測されなくとも、生きる。
観測されているかどうかなど、猫からすれば優先度の低い話だということだ。
「まぁ、これが我の運命論の由来アル。調べれば数秒で出てくるような話アルがな」
数百、数千、数万、数億。
数えきれない先人と、一人の人間が生き抜くことなどできない時間。
その二つの産物に、一人の若者の一年や二年で到達できるわけがないのだ。
そんな現実を前にして、メイリンは笑っていた。
サッカーや野球をする少年のような、ままごとやおしゃれをする少女のような笑みを、浮かべていた。




