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論者の夢想論議  作者: 飯島鈴
第四部(仮題)
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六 自らの胸に

 メイリンのこんな顔を見たのはいつ以来だろう。

 失礼にも、そんな疑問が頭をよぎった。

「真面目な話をしているアル」

「真面目な話なら、真面目な口調で話しましょう」

 幼稚園児を叱るような口調を作って一言言い、それから静かに、冷えきっているようで燃え盛っている瞳を見据える。

「それで、なんだ?」

 問う。

「唯野は分かるアルか? 自分とは何か」

 凍えた声だった。それが自らに向けられた冷気なのか、俺に向けられたものなのか、はたまた誰か第三者に向けられたものなのかは分からない。

 ただ、ただただ凍えていた。

「自分とは何か、ね」

 それだけ漏らし、思考の沼へと落ちていく。

 ……しかし、答えは数秒で出た。

「自分は自分、俺は俺だ」

 にやりと笑みを作って答えると、メイリンも似たような笑みを浮かべる。

「それでこそ我が兄アル」

「こんな簡単な問題、誰でも解ける」

 メイリンが問おうとしたのは、こんなことではない。それくらいのことは分かるつもりだ。

「何があった?」

 それだけ問う。

「自分が何者か分からない。よくある悩みアル。そんな悩みを抱えた者は、何を悩んでいるのか。我には分からないアル」

 嫌味でも、皮肉でもない純粋な疑問符。だからこそ、当人には向けられぬ問いだったのだろう。

「自分という存在が認知できなくなる病気ならあるかもしれない。自分が他人に思えて、どうして自分の中に他人がいるのか分からなくなる。そんな怪談を聞いた記憶ならある。だが、それとは違うんだろう?」

 メイリンは頷いた。

「なら、答えは簡単だ」

 俺の目を見据える瞳が、わずかに煌く。

「存在意義が分からない。なんのために存在するのか、ひいてはなんのために産まれてきたのか。それが分からなくなる」

 まぁ、よくある悩みと言うのも無理はない。

 多くの若人が抱える悩みであり、その結果は両極にまで分かれる。俺の場合は、メイリンのことでそれどころではなく、気付けば悩むまでもなく解決していた。

「分からないか?」

 ここで答えてやるのも、一つの手ではある。

 しかし、それでは面白味がない。そもそも問うてきたのがメイリンなのだ。多少の無駄話には付き合ってもらおう。


「自分の存在が分からなくなる、なんてことがあるか? 文字通りの意味で、だ」

 二人の間には湯気を立てるコーヒーカップが置かれている。時間がなかったからインスタントだが、言うほど不味いものでもない。

「ないアル。我はここに座り、だから我はいて、ならば我は我アル」

 単純明快なことをややこしく話すスキルに長けたこいつらだが、俺もその同類になりかけているのかもしれない。

「そう。なら自分の存在そのものが分からないのではなく、存在する意味が分からなくなっているのだと考えられる」

 馬鹿げた話だ。

 メイリンもそう思ったらしく、軽く頷いた。

「存在するものの全てに意味はあるアル。観測、干渉、なんでもいいアル。外部と触れた時点で影響を与え、意味が生まれるアル。存在する意味などなく、存在しているから意味がアル」

 ふむ、と満足したように頷きを繰り返すメイリンだが、なんか語尾がおかしかった気もする。ただ、まぁ気にしないでおこう。

「それでも意味が分からないというのなら、それは意味が分からないのではない」

 これは極論だ。中には、というより、少なくない数が違う理由で自問する。

 だが。

「意味が欲しいんだよ、どうせ」

 要は、そんな簡単な話だ。

「存在していいという、証明が欲しい」

 人のためになることをしてきたか、ではない。

 人から求められるようなことをしてきたか、を重視する。

 求められるのなら、存在していい。求められないなら、存在してはいけない。

「存在を許してほしくて、認めてほしくて、意義を欲する」

 決めつけだと言われてしまえば、それまでだろう。

「……それで、我はどうすればいいアル?」

 メイリンは複雑な視線を向けてきていた。

「そんなの知るか」

 一緒にいてほしいと、それだけ言えればいい。

 しかし、それは受け売りではいけないのだ。自ら考え、本物の言葉として伝えなければ、綺麗に塗り固められた嘘でしかない。

 だから、俺には教えられない。

「分からないアル。我には……」

 困惑しきったメイリンを見るのも久しぶりだ。

 当人たちには申し訳ないが、正直に言って微笑ましい。数年ぶりの、下手をしたら初めての友人だ。存分に悩み、苦しめばいい。

「お前はどうしたい?」

 誰しも自由である、と人は言う。

 自由という鎖に縛られた、自由である。

「そんなの、決まってるアル」

「なら、答えは単純だろう?」


 久しぶりに見たリーエィの顔は、複雑に晴れ渡っていた。

 何があったのか、などとは問うまい。それは野暮というものだ。

 しかし、なんだ。

「そんな目で俺を見るな、俺たちを見るな」

「唯野、どうしたの? 僕たちも一緒でいいじゃない」

 失敗した。完全に失敗した。

 何を失敗した、などとは言うまい。それを言ったら俺の理性は崩壊する。

 それでも、まぁ。

「変な病気じゃなくてよかったよ、まったく」

 無用な心配事は捨て、俺はまた日頃の悩みに埋没していった。

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