四十一話 変化
とある秋の日。
秋には幾つもの色がある。食欲の秋、芸術の秋、そして読書の秋。
そういった風潮に流されたのか、あるいは忙しかった夏の反動か、図書館に来る生徒の数はいつにも増して多かった。
のんびりとした生徒たちとは裏腹に忙しかったウタの元にも、幾ばくかの休息が訪れる。
「まぁコーヒーでも飲んでゆっくりしようや」
そう言って俺が一人分のコーヒーを用意すると、それまでてきぱきと動いていたウタの動きが止まる。
「先輩、明日雪が降るんですって」
ウタが唐突にマッチの火に幻想を見る少女の眼光を宿す。
「あ、これ俺の分だった」
「冗談です。代わってくださいお願いします」
そんな茶番劇の間にも借りたい本を片手に待っている客の元へ二歩、三歩と歩き、本の裏に貼られたバーコードを一つ、二つと読み込んでいく。
「それで、何か起きたんですか?」
背後の椅子に座っているであろうウタが声を上げる。
「地震も噴火も起きてないから安心しろ」
質問の意図など分からないわけもない。これまで散々サボってきたのに何故今更手を貸すのか問うているのだ。
しかし、質問を理解できたところで、それに正直に答えてやる必要はない。これまではウタの方が効率的だし本人も嫌がっていなかったが今はそれが覆ったからだ、なんて言えば、俺の先輩としての立場が危うい。
「まぁ想像できますけど」
ウタは、ふぅと暖かい息を吐く。
「そういう気配りはできるのに、どうしてそんなに性格が悪いんですか?」
唐突に投げられた棘と呼ぶには大きすぎる言葉の棘が胸に突き刺さる。
「いや性格は悪くないが」
手元を動かしながら、口を動かす。
「悪いですよ、十分」
くすくすと楽しげな笑いが後ろから聞こえ、「あぁ」と納得するような声が続く。
「そういう気遣いがもう性格悪いんですか」
そんな言葉の意味を理解して、問おうとしたところで、また受付の窓を隔てて客である生徒が現れた。
「『未成年』が置いてあると聞いたんだが、それは本当か?」
客を装ったナガミは、そう笑った。
そこは寒々しさすらある廊下の一角だった。
ナガミは缶コーヒーを片手に、俺はペットボトルのジュースを片手に壁に寄りかかる。
「早めに終わらせてくれ」
また任せてきてしまったウタのためにも、何より俺の精神安定のためにも釘を刺しておく。今ナガミと話すのは、何か背筋が寒くなるものがあった。
「単刀直入に聞こう。神はいるか?」
ナガミは感情を一切見せない。
「分からない」
俺は無神論者でもなければ、有神論者でもない。思想らしい思想など持たず、世間一般と同じ認識しか持っていないだろう。
「それが答えか?」
その問いの意味は今一分からなかったが、俺は「あぁ」と頷いた。
「分かった」
ナガミは頷くと、それ以上何も言うことなく、なんの感情も見せることなく、行ってしまった。
「なんだったんですか?」
五分も経たず、キャップを開けてすらいないペットボトルを持って帰った俺を迎えたのは、そんな疑問の声だった。
「さてね」
俺にも答えは分からない。ナガミが何を問うていたのか。
ウタもそれ以上追及せず、「じゃあ代わってください」とだけ言った。
秋は足早に過ぎ去る。
何をしているというわけでもないのに、忙しかった夏よりずっと早く過ぎていく。
しかし振り返ってみると、案外時間が経ってないことも分かった。
まだ一週間か、いやまだ六日か、と考えていることも多々ある。
そんな速い匍匐前進のような日々の中で俺が考えていたことは、当然のようにウタの言葉とナガミの問いだった。
その意味は未だ分からない。
ウタが何をもって性格が悪いと言い、ナガミが何を思って神の存在を問うたのか。
「だからって、まぁ」
何かが変わるわけでもない。
ウタは悪意があって言ったわけではなさそうだし、ナガミの理解に苦しむ問いなどいつものことだ。
それなのに、そうだと分かっているのに、何故だか頭から離れなかった。
「やぁ」
トガミは静かに、しかし元気よく声を上げた。
「なんだ?」
問うまでもなく、それは挨拶だ。
しかし、何故ここにいるのかと問いたかった。
ここはいつもの喫茶店である。ここにトガミが来るはずなど、来るはずなど……。
「そういえば、ここはお前と来たのが最初だったか」
思い出して言うと、トガミは満足そうに頷いて向かいに座った。そこは初めて来た日にトガミが座った席だ。
「懐かしいね」
そう言われて、俺は「そうか?」とだけ答える。
「うん、そうだよ」
それから沈黙が流れた。
長い長い沈黙は、しかし苦痛ではなかった。
「唯野はさ、人神論、信じてくれる?」
沈黙を破った問いは、雑談のように思えて、何よりの核心だった。
「信じちゃいない」
今つく嘘は、善意ゆえであっても許されないだろう。
それに、この答えで傷付くようなら、トガミを気遣う必要もない。
「残念だな」
トガミは、やはり静かに頷いた。
「でも、少しくらい信じてはくれないの?」
その問いに含まれた感情を、俺は読み取れなかった。
だから、素直に答えていた。
「俺は無神論者だからね。人神なんて理解できない」
そして、トガミの術中にはまったのだ。
「いいや、違うよ」
トガミは笑って首を振る。
「唯野はね、無神論者なんかじゃない。姉さんとは違うんだよ?」
その声はひどく楽しげで、だから気付けた。あぁトガミは心から今の仕返しを楽しんでいるのだ、と。
「何が違う? 俺は神を信じてないが?」
それがなんの仕返しなのか、俺には分からない。しかし、仕返しなのだ。やられたからやり返す、そんな単純なことだった。
「だって唯野は、神がいないことも信じてないでしょ?」
五分でも、十分でも続く言葉を待とうと思った。
眼前の少年とも女とも見える男は全てを見透かすのだとさえ思った。
しかし、そう難しいことでもない。
ナガミから聞いたのだろう。俺の答えを。
「じゃあお前は、俺がなんだと言いたい?」
無神論者でもなく、人神論者でもない。
「唯野ね――」
そして、トガミはそれを口にした。
「不可知論者だよ」
何を言っているのか理解できなかった。
理解できないまま、時は過ぎた。
それからの秋も、やはり匍匐前進をしていた。
変わったことといえば、これまであった早足で過ぎ去っていく感覚などなく、ただただ遅々としか進まなかったということか。
その秋の日の夕暮れ、我が家は騒がしかった。
「メイリンさん、ちょっと手加減してください!」
「ダメアル。ゲームは正々堂々やらなければいけないアル」
「ならハンデを! システム的に許されたハンデを!」
「この回で勝てたらアル」
「無理ですよっ!」
「これ、俺いらないよね……?」
メイリンが珍しくリビングでゲームをしている。これまた珍しく友人と一緒に。
何故か誘われたが完全に蚊帳の外の俺は、静かにメイリンに向かってトゲトゲの甲羅を投げる。
トップを独走していたメイリンの目が敵意に煌くが、システム上許された妨害なので俺は無罪だ。
「唯野さん、ナイスです!」
そんな光景を眺めながら、俺は思う。
メイリンは変わった。トガミも変わった。
ほとんど知らなかったリーエィという少女も変わり、シキという少女も変わっていくのだろう。
しかし、ナガミはどうだろう。父さんやコウさん、ユウカはどうだろう。
そして俺は、どちらだろう。
そう考えた時、分からざるを得なかった。
俺も変わっていくのだと、変わっていかなければいけないのだと。
「あっ、手が滑った」
などと言いつつ、俺はまた甲羅を投げる。
一方的に勝ち続けていると友人が減るぞ、と心中で説教しながら。




