四十話 急転する論議
「君に紹介したい人がいる」
シキが俺を呼び出し、そう言ったのは、もう残暑も去った秋口のことである。
そこはいつもの喫茶店で、よく座る窓際の席。俺の向かいにはシキが座り、俺たちは二人でいつもの如く向かい合っていた。
「まさか親とか言わないよな?」
なんと返せばいいか分からず、そう冗談めかして言った。
「なに、もっと大切な人さ」
冗談を理解したはずのシキは、しかし冗談など意に介さず告げた。
「無論、そういう意味ではなく、いつか親にも紹介するだろう」
それも、とシキは続ける。
「僕の最愛なる友人として、また論議の相手として」
面と向かって、しかも真面目な顔で言われてしまうと、目を逸らしたくなるほどには恥ずかしさがこみ上げてくる。
「少し買い被ってないか?」
結局、俺に返せた言葉はその程度だった。
「買い被ってなんかいないさ。過小評価も過大評価もなしで、唯野君は最愛なる友人にして良い話し相手だ」
そもそも友人に『最愛なる』なんて言葉を使うこと自体が大げさだと言いたいが、言ったところで答えも変わらない。
「それは誰なんだ?」
仕方なく、話を切り替える。
「まだ教えられない」
シキは静かに笑う。その笑みはいつもの悪戯っぽい嫌味なもので、ひどく穏やかだった。
「いつ教えてくれる?」
続けて問うと、「会う時に」と返ってくる。そして「いつ会うんだ?」と問えば「またいつか」と返ってきた。
「今はまだ秋だ。青年」
シキは唐突に言う。その言葉の意味は分からないが、時期尚早ということだろうか。
「最近の秋は短い。夏が終われば冬が始まるという気象予報士までいるくらいだ」
冗談で言ってみたが、事実として秋はそう長くない。元々夏や冬のように明確な特徴がある季節ではないのだ。春ほどの話題性もなければ、気付けば過ぎ去っている一瞬に過ぎない。
「なに、冬は長いさ」
つまりは春ということか。春といえば、特にシキにとって重要な意味を持つ時期だ。
「あぁ、誰に会わせるつもりか分かったよ」
そう笑って言うと、シキも笑う。ようやくか、と。
喫茶店から出ると、ヒュウと生暖かい風が吹いた。この風が冷たくなれば冬の始まりである。
そんなことを思っていると、ふと頭をよぎることがあった。
「あいつはどうするつもりだったんだろうな」
シキは、どのような気持ちでこの風に当たったのだろうか。秋らしい紅葉などとは無縁の街で、何に秋を感じたのだろうか。それとも、何も感じられずに過ごすはずだったのだろうか。
問うたところで意味はない。
それは俺に分かることなどではなく、恐らくシキにも分からぬことだろうから。
「唯野さん?」
そう結論付けた俺の元に、一つの声が飛んできた。
「どうしたんですか? 悲しい顔して」
声の主、ユウカは消え入るような声で問うてきた。
「そんなに悲しい顔をしてますか?」
意識してみれば、目元が熱い。一人で勝手に感傷しているところを見られるほど格好悪いこともないだろうに。
「えぇ、とても」
ユウカは俺の調子に安心したのか、いくらか元気な声で答えた。
「この秋が最後の秋になるのなら、それはどんな秋なんだろう、と思いまして」
そうですね、とユウカは思案顔を浮かべる。それはあまりに真摯で、いつものふざけた調子が冗談か何かではないかと思ってしまう。
しかし、俺とて知らぬわけがない。そういった表情を浮かべる時にユウカが考えそうなことくらい。
「それは、とても良い秋で、とても嫌な秋だと思いますよ」
それもそうだ、と納得してしまう。それ以上でも以下でもなく、それしか正解のない問いだ。
「そうでした、唯野さん」
話す前より更に感傷的になってしまった俺に、声音を変えたユウカが問う。
「ムーチー教に入りませんか?」
長く長い沈黙が流れた。
いつもなら一蹴するはずの問いに即答できなかったのは、何も感傷的になっていたからではない。
それも一つの理由だったのだろうが、それ以上にユウカの声音が原因だった。
「何が言いたいんですか?」
答えなど決まっていると言外に告げる。それでもユウカは笑みを崩さず、それどころか一層柔和に笑ってみせた。
「救いだなんて言いません。宗教には偽薬の役割は持てても、薬や毒の役割は持てません」
その言葉に違和感を抱いたが、そんなことなどお構いなしにユウカは続ける。
「でも、手助けにはなりますよ? ムーチー様も唯野さんなら歓迎するでしょう」
なんの手助けだというのだろう。
メイリンは学校へ行った。トガミは理性的になろうと努力している。シキは考えを改め、日々は平穏に過ぎ去っていく。
どこに助けなど必要だろうか。
「分からないなら、まだいいです。分かる時になったら、答えを聞かせてください」
そう言うと、ユウカはさっさと行ってしまう。
その背に問うことなど、できるはずもなかった。
ぐらりぐらりと思考が回る。
何を問うているのか問い、何を答えようとしているのか答える。
二重三重の婉曲な思考はゆらゆら巡り、気付けば一つの影を見つけた。
「偶然、じゃないな」
俺は言う。眼前に現れたクミに向かって。
「気付くの早すぎません? まだ一言も喋ってませんよ?」
あっけらかんとクミは言う。
俺の言葉は半ば勘だった。誰かに会う。それなら誰に。
婉曲な思考が弾き出した答えはクミだった。
俺は何かを知っている。気付けていないだけで知っている。その答えを探そうとした時、クミが口を開いた。
「唯野さん」
その声は誰かに似ている。
「好きです、唯野さんのこと」
それはあまりに深刻な声で、先ほどのあっけらかんとした調子とは別人に思えた。
だからなのか、思考が回った。
「何として?」
答えが出た次の瞬間には、そう問うていた。
「……今日、少しいつもと違いますね」
クミは悲しげに、そして嬉しげに笑う。
「姉にとって彼が偶像だったように、私にとっての偶像……ってほど大げさじゃないですけど、とにかく姉にとって彼が大切だったように、私にとっては唯野さんが大切です」
その言葉は俺の思考に劣らず婉曲だ。俺はクミの姉を知らないし、姉が偶像として見た誰かのことなどもっと知らない。
だが、しかし。
やはり思考は答えを出していた。
「つまり、どういうことかな?」
俺は問う。何を問うているのか分からぬままで。
「ごめんなさい。だから唯野さんとは付き合えません」
「え? なんで振られてんの? 俺告白したっけ?」
それまでの空気はどこへやら、気付けばいつもの空気が流れていた。
「バレました?」
「バレないわけがないよね?」
仕方ありませんねぇ、また出直しますか、などとクミが言う。
「でも、やっぱり今日の唯野さんはいつもの唯野さんよりずっと好きです」
そう言うと、クミは顔を赤く染める。恥ずかしがるなら言わなければいいのに。
言わなければ、気付かれなかったのに。
「誰に聞いたんだ? 俺のこと」
俺は、静かに問うていた。
クミの表情が強張り、そして固まる。
しかし、その次の瞬間には解氷するように笑みがこぼれ、それから吹き出すように満面の笑みを浮かべた。
「唯野さん、最高ですっ!」
耳まで赤くしたクミが「どうして分かったんですか?」と首を傾げる。
「分かったも何も、まだ答え合わせが済んでない。間違ってるかもしれないよ?」
そう、まだ答えを聞いていない。答えを聞くまで、確信などできない。
「なら、そうですね」
クミは楽しげに言う。今にも踊りだしそうな表情は、それこそ告白に頷いたように喜んでいた。
「やっぱり、唯野さんがそうしたみたいに、先送りにしましょう」
クミの言葉は答えに等しかった。それはクミも理解して言ったのだろう。
「そうか、それなら答え合わせはまた今度」
俺は、クミの姉を知っていた。




