三十七・五話 玄い冬
青い部屋の青い窓の外には、茜色の夕焼けが広がっていた。
「もう夕方か」
俺が呟くと、「そうだね」と声が返ってくる。その声はぎこちないが、きちんと自制しているらしく、いつもの熱情は感じられない。
「夕食、姉さんが一緒に食べようって」
静かな言葉に「拒否権は?」と問うと「もう女将さんにも言ってあるって」と返される。あのブラコンが気を回したのか、それとも単なる気まぐれか、はたまたクミの策謀か。
「それじゃ、少し早いけどお邪魔しようかね」
その言葉には、やはり「そうだね」と静かな声が返ってくるだけだった。
「おやおや?」
夏の間へと向かう数十秒の移動で他の客とすれ違う確率はどのくらいだろう。
そして、その客が知人である確率と、その遭遇が二年連続である確率も問いたい。
「何故ここにいるんです?」
俺は問うていた。眼前のユウカに。
「いやぁ、素晴らしい偶然とはあるもので。私は去年と同じ理由ですけど、唯野さんは?」
俺も同じですよ、と答えながら、その偶然とやらを呪っておく。別にユウカとの遭遇がそこまで嫌なわけではないのだが、これを偶然と言い切れる性格なら宝くじで散財しているだろう。
「それで、皆さんはどちらにお泊りで?」
その問いの意味を理解するのには、数瞬を要した。普通であれば、その言葉は泊まっている宿やホテルを問う言葉である。
「俺たちは春の間に、他は夏の間ですよ」
答えると、ユウカは「まぁ!」と驚いてみせる。その驚きの理由は聞きたくない。
「ユウカさんはどちらに?」
俺も礼儀で問うておく。ユウカは「『冬の間』です」とだけ答え、また何やら考えるような素振りをした。
「お二人、まさか――」
「ありえませんよ」
さっさと一蹴して、俺たちはまた夏の間へと続く短い廊下を歩き出した。
その部屋は目が痛くなるほどに、赤一色だった。
赤い絨毯に赤いテーブル、ソファまで赤く、カーテンやスリッパも当然赤い。
更に赤い部屋に窓から茜色の光が差し込み、一層赤く染まっているように見える。
「夏は赤。分かりやすいな」
しかし、洋風だったり和風だったり、ちぐはぐな旅館である。
ついでに言えば、赤といえば夏よりも紅葉の秋を思い浮かべるだろう。断じて、白なんかではなく。
その白といえば、やはり冬だろう。
「そういや、ユウカに部屋の色を聞いておけばよかった」
青の春に赤の夏、白の秋ときたら、冬は何色なのだろうか。
「先輩、まさか知らないんですか?」
傍目にも心底悔しがっているのが分かるであろう俺に、ウタが言う。
「五行説でいえば、春は青。青春という言葉は有名ですよね?」
ウタはそのまま「夏は朱で朱夏、秋は白で白秋」と続け、「そして冬は」と言ったところで、俺の頭の中で何かが弾けた。
「すまん」
気付けば、くぐったばかりの戸から廊下へ走り出ていた。
五行説など、俺は知らない。聞いた覚えがあるような、ないような。そんな印象しか持たない言葉だ。
しかし、冬の色ならば、気になることが一つだけある。
あの少女のことを、カイリさんは確か『フユさん』と呼んでいた。そして、その少女は黒を自称した。
ならば――
俺は、『冬の間』の戸の前に立っていた。
「すみません」
その戸をノックしながら、声を投げる。
そしてユウカの声とともに開けられた部屋の中は、黒に染まっていた。




