二十六話 靉靆の中で
あれから暫くしても、トガミの態度に大きな変化はなかった。
少しぎこちない空気が流れ、それを取り繕おうと躍起になる姿がより一層空気を不自然にしていたが、それも気にするほどではない。むしろ今までが常識外れに自分勝手だったのだと、今になれば楽しく思う。
……いや、冷静に考えれば楽しくもなんともないな。
そんな不毛な思考を続けながら、コートの襟を寄せる。寒くないと思っていたが、やはり寒い。寒くないなどと思っていた自分が馬鹿らしい。
しかし、そんな寒い冬の日々も、ある種の暖かさによって幾分か緩和されている。
こうして街が光とスイカ色に埋め尽くされる時期になると、無意識に慣れ親しんだリズムを口ずさんでいることがあるのだ。その大半は一昔前に流行った恋愛ソングで、残りは幼稚園で歌った童謡だった。
小さい頃はあわてんぼうなサンタクロースさんが二十四日にプレゼントを持ってきて、普通のサンタクロースさんが二十五日、ついでにのんびり屋のサンタクロースさんが二十六日に持ってきてくれればいいのに、などと考えていた記憶がある。
それはそれで欲張りすぎる気もするが、少なくとも今よりはずっと楽しかっただろう。
懐古主義にはなりたくないな、なんて一人で笑って、一緒に歩いているはずなのに他人かのような距離感で歩く変人の群れに目……ではなく耳を向ける。
「周知の通り、クリスマスとはキリスト教のイベントなんですよ」
「それはそうだが、そんなことを言えば大抵の祭りは何かしらの宗教的行事になってしまう。大体は神に安全や豊作を祈るのが元だろう」
「いえいえ、クリスマスは日本に来たことによってキリストどころか仏や牛さん、八百万の神々とか色んな偉い人たちが飲めや歌えやの大宴会をするイベントになったはずですよ?」
「大体の宗教ではクリスマスを否定することでアイデンティティーを確立しようとしますが、我がムーチー教では祭りは経済への影響の大きさを考え、どんな宗教のどんな祭りでも大歓迎という立場を取っております」
「ですから唯野さん、飲めや歌えやキャッキャウフフ、いっそ一夜の間違いもあるよ!? ということで、どうです? 一杯」
「故に、クリスマスをキリスト教の行事だからと唾棄することで自らの知性をアピールしようとする行動はあまりに浅はかであり……って、なんだ? 真面目な話じゃなかったのか?」
こんなふうに女が集まるとうるさいというのは、とうの昔に証明されたことである。互いに互いの話を聞いているように見えて、全く聞かずに自分勝手なことを喋っているあたり、コミュニケーション能力は尋常ではない。
ここまで自由だとストレスも少ないだろうな、と考えて、自由なのにストレスと戦っている身内を思い出したところで、現実逃避が終わった。
「あ、みんな一緒だったんだ」
三人の女がかしましく話しているところに現れたのは、女のような男。最近は放課後のホームルームが終わってすぐに下校していたが、毎日こうして出歩いていたのだろうか。
「ええっと……、どういう理由で一緒にいるのか聞いても、いい?」
トガミはぎこちなく首を傾げて問うが、俺の頭ではろくな説明を思い付かない。
「俺が一人でそーっと帰ろうとしたところにストーカーが一匹現れて、他人の不幸を笑うことを趣味とする女も当然のようにくっついてきて、気付けば変な宗教勧誘に捕まっていた、という状況だ」
我ながら理解できない状況だと思う。
「なんだ、いつもの感じか」
トガミは安堵の表情で呟く。仲間外れにされたと被害妄想するくらいなら黙って先に帰るな、と言いたい。無論口には出さないが。最近は事なかれ主義が定着してきて困る。
「それで、トガミは何をしてるんだ? 何か目的があるようには見えなかったが」
話を終わらせても困りはしないのだが、半ば義務的に言葉を紡いでいた。あれからトガミとの間に流れていた微妙な空気には辟易としているのだ。
「うん。……目的はないんだけど、なんだか少し歩いてるのもいいな、って。ほら、もうどこでもクリスマスムードで、雰囲気だけでも楽しいじゃん?」
すぐ近くで鳴り続ける会話を成立させる気すらない声の群れを背景に、会話は続く。
「それは否定しないが、なんだか感傷的すぎやしないか?」
分からないことに苦悶して自問自答を繰り返すのは勝手だし、そういう時期があるのも自然なことなのだが、だからといって放置して次の日にリストバンドでもつけていたら気分が良いはずはない。過保護でお節介かもしれないとしても、気は遣う。
「大丈夫だよ? そんなに心配しなくても」
些かの沈黙の末に、トガミは顔色を窺ってきた。
「心配するのはタダだとメイリンに教わったからな」
同時に無意味な心配は損でしかないとも教わったが、今は忘れておく。
「唯野って、いつも何かを心配してるの?」
更に続く配慮と詮索の声は「いいや」と一蹴させてもらう。
「残念ながら事なかれ主義なだけだ。保身に保身、そして保身。高校に入ってから何故か保身だけは上手くなった」
どれもこれも人の頭をかき乱すだけの輩が増えてしまったことが原因だ。勿論、類は友を呼ぶという先人の知恵も今だけは忘れておく。できれば未来永劫忘れたい。
「それじゃあさ、唯野」
トガミが一歩踏み出す。
しかし、言葉はそれ以上続かなかった。
「唯野さんっ!」
その原因は、トガミが更に一歩踏み出せなかったことなのだろうが、同時にクミのせいであるとも言えてしまう。自己欺瞞を繰り返す者には、後者が便利だ。
「紆余曲折あって、これから唯野さんの家で前夜祭をしようということになったんですけど、何か食べたい物はありますか!?」
背景音楽となっていた言葉の乱舞はそんな結論に終わったのかとクミたちの方に目を向けるが、ナガミは呆れたように首を振り、ユウカは虚空に向けて拳を握って力説していた。ここまでの速さでバレる嘘を何故ついたのだろうか。
「そうだな……」
悩む振りをして、トガミの方に目を戻す。
「今日はどう考えても前夜じゃないし、前夜祭なんてやったら当日にやることがなくなっちゃうから、普通にクリスマスにパーティーじゃダメか?」
視線でトガミに問うてから、即座にクミの方に語尾を振る。細かな気遣いは中学で必死に学んだことだ。
「え……? あれれ? なんだか素直ですね……」
訝しむ目でジロジロと見てきたクミが「まさかっ!?」と言うのを待ってから、「違う」と切り返す。
「前回……、ハロウィンの時はそっちでやってくれたからな。今度はお返しをしようと思っただけだ」
それだけ言って、静かに笑う。
クミは分かりやすく喜ぶ仕草をし、トガミも理解が追いつかないように喜んだ。少し離れたところではユウカがようやく我に返り、ナガミが苦渋の表情を浮かべていた。
みんなと別れたら、本屋にでも寄ってから帰ろう。




