二十五話 自問する少年
街にコートやマフラーを身に付けた人の影が増えた。もう晩秋も晩秋なのだから当然なのだが、雪もあまり降らない我が家の近くでは冬になっても半袖半ズボンのおっさんを見かけるために、少し珍しく思えてしまう。
「……ん? 何かが違う」
自分の思考に違和感を覚え、呟きつつ稼働率を上げる。
「そうか。半袖で自転車を疾走させるおばちゃんもいた」
しかし、よくよく考えるとどちらも小太りだった気がする。そうなるとあれは、この地域の暖かさではなくメタボ予備軍特有の暖かさなのだろうか。
だが、しかし。街ではミニスカートのスリムな女性をよく見かける。それに高校へ行けば、大半の女子が校則違反のミニスカだったはずだ。
「ん? それは若さと女の意地か?」
稼働率を上げたせいで冷却が追いつかない思考を一旦抑え、夏の名残で作り続けてしまっている麦茶を飲み込んで物理的に冷やす。ただし冷えるのは喉と腹。
「女子高生から中年まで暖かいとなると、やはりこの近辺が暖かいのか」
あぁいや、冷静に考えると俺は寒い。そろそろ薄手のコートでも出そうか悩んでいた記憶もある。
「あれ? 薄手で済むなら、やっぱり暖か――」
「唯野、何か考えているところ悪いが」
ようやく出そうになった結論がメイリンの言葉によって飛んでしまう。
「悪いと思うなら気を遣ってくれ」
言いながら声の聞こえた方向、リビングと廊下と繋ぐ戸へと目を向ける。
そこには、俺の携帯電話を持ったメイリンが立っていた。
「ずっと鳴ってたアル」
そう言って携帯を投げるメイリンの表情は、よく見れば苛立っている。
「すまん、聞こえてなかった」
謝ってから「何分鳴ってた?」と何気なく問うと、メイリンは心底嫌そうな顔をして、吐き捨てるように言う。
「二十分」
誰からの電話だった分かっちゃったんだけど、これは気付かなかった振りでもしよ――
「た~だ~の~っ!?」
玄関から響き渡る声は、当然だがいつものユウカのものではない。それは声だけ聞けば女子のものだと勘違いしてもおかしくない、可愛らしさすらあるものだった。
そして俺は、時間稼ぎに衣装箪笥の奥から引きずり出した薄手のコートを着て晩秋の街を歩いていた。
隣で歩くのはサイズの合っていないコートで膝下まで隠したトガミ。丈と同じく長すぎるであろう袖は二、三回折っているらしく厚くなっている。
「唯野、どこか行きたいところはある?」
上機嫌のトガミは足取りも軽く、躍るような歩みだ。
「行きたいところがあったらこんな重い足取りじゃないんだよな」
二十分も電話をかけ続け、出ないと判断するやいなや俺の家に向かってきたトガミは、強引に俺を連れ出して楽しげだ。
「それはつまり、早く終わっちゃうのは嫌だからのんびりってこと? そんなに嫌ならいっそ明日の朝まで――」
「ちょっと寒いしその辺でコーヒーでも買わないか? いっそ喫茶店なりファミレスでもいい」
可及的速やかに衆目のある場所へ行かなければ何かが起きてしまう。大体の事案は起きてからでも解決できるのだが、悲しいことに一部の事案は起きてしまったら取り返しがつかない。
「うんうん、喫茶店は良いね」
言葉とともに何度も頷くトガミは、そのままポケットからスマートフォンを取り出し、何かを打ち込んでいく。
一分ほど待つと、トガミは満足したように再び頷く。
「この近くにチェーン店じゃないところがあるね」
言ってから「ほら」とスマホの画面をこちらに向け、同時に身体まで近付ける。更に一緒に覗き込むような形で密着を図ってくるのだが、隠す気がないのなら偶然を装う必要もないと思う。
「ここでいいかな?」
上目遣いの問い。これがトガミでなければ、ついでにクミでもなければ嬉しいのだろう。
「一応聞くけど、俺に拒否権は?」
「勿論ないよ」
きっぱり言い切って、それから笑って見せる。今日も今日とて可愛くない。
控えめな暖房が効いた店内に、ゆったりとした曲が流れて眠気を誘う。
俺とトガミの間にある丸テーブルに置かれたコーヒーとカフェラテから湯気がゆらゆらと上り、それもまた眠気を誘っていた。
それでも、眠ることは許されない。
まず喫茶店で寝るとか常識的に有り得ないし、そうでなくともトガミの前で寝るのは危険すぎる。
しかし、当のトガミはのんびりと、柔和に笑っていた。
「唯野」
その柔和な笑みを崩さず、静かに話を始めた。
「最近、楽しい?」
静かな言葉には、言うまでもなく幾重にも追及や皮肉が張り巡らされている。
「楽しいと言えば楽しい。楽しくないと言えば楽しくない」
こういう時は張り巡らされた意図を全て読み取れない限り、無難な答えを返すしかない。……のだが、相手が相手なだけに無難な答えなど分かるわけもなく、正直に答えるしかなかった。
「随分と曖昧だね」
袖の中に隠したナイフの刃を少し見せるかのような、チクリと刺す言葉。こういう場での基本的な言葉だが、それだけに対処が難しい。
「そりゃまぁ、特段何かがあるわけでもなく、だからって何もないわけでもないからな」
困った時は正直に話すのが一番だと心理学入門の本で読んだ。後で嘘がバレた時の対処を考えると、無難ではある。……もっとも、正直に話して納得してくれるような人物はわざわざこんな遠回しの追及などしないのだが。
「それは喜んでいいのかな? それとも悲しんだ方がいいのかな?」
ようやく発せられた本心からの言葉に「そこで先に喜ぶ方が出てくる時点でダメだろうが」と笑って返す。皮肉の切り返しには、トガミも自然に笑った。
「正直に聞くから、正直に答えてね?」
トガミは声音と表情から刺々しさを消す。
「最近はクミと一緒にいることが多いみたいだけど、そういう関係になったのかな?」
前置き通りの直球な言葉。あまりに直球すぎて逆に怖いのだが、どう答えたものか。
……いや、どう答えるも何もないな。
「お前がどんな関係を想像したのか知らないが、知人以上の関係になったつもりはない」
もしかしたら友人くらいにはなっているのかもしれないが、まぁ大差ないだろう。とにかく、一般に言う『そういう関係』になどなっていないのだ。
「でも、随分楽しそうだったけど?」
「お前はアレか? ストーカーか? ハロウィン以降三人で会った記憶がないんだが、どうして話している時の様子を知ってるんだ?」
悲しいかな、こいつならストーキングくらいしてもおかしくない気がする。というか、普通に盗み見と盗み聞きしただろ。
「なんでそんなにムキになって答えるのかな?」
これはアレだ。浮気を疑って尾行した彼氏にそのまま浮気がバレた後で、「尾行するなんて最低!」とか言い出す頭がアレな女の手口だ。残念なことにトガミは女ですらないが。
「ふむ……」
ここで下手に答えれば因縁を付けられて面倒なことになる。
「さっき正直に答えろと言ったか?」
追及の声が繰り返されるまでの数瞬で頭をフル回転させ、結論を導き出す。トガミは一瞬だけ怪訝そうに目を細めてから頷いた。
「なら正直に話そう。そうやって馬鹿みたいに勘ぐって疑ってくる奴は嫌いです。トガミが本気で疑ってるなら……、流石にちょっと傷付く」
これも女の卑怯な手の一つである。明らかに自分が悪いのに相手が悪いかのように言って馬鹿な男を騙す常套手段だ。
「本気で言ってるの?」
「少なくとも正直な意見ではある」
即答すると、場は沈黙した。
予想以上に上手く騙せてしまって申し訳ない気持ちがわいてくるが、そんな気持ちは熱いコーヒーとともに飲み込む。
「お、美味いな」
俺が家で淹れるコーヒーとは比較にならないのは当然として、そこらの店と比べても相当だろう。少し家から距離があったが、時々足を伸ばすのもいいかもしれない。
「…………」
しかし、俺に倣ってカフェラテを口元に運んだトガミは、ほとんど味も分からぬような表情で沈黙したままだった。なんで馬鹿な女がやるような手口を男にやられて動揺するのか分からない。
「それで、なんでそんな質問したんだ?」
仕方なく、追撃を兼ねた助け舟を出す。会話が進まなければ俺も困ってしまうが、下手に譲歩するのは良くない。やる時は非情に、と犬の躾の本で読んだのだ。犬の躾の本は案外役立つ。
「唯野、最近冷たい」
子供が悪戯を叱られた時のような、反省しつつも自分は悪くないと言いたげな声音。
「俺が冷たいのは今に始まったことじゃないはずだが……」
思わず本音を漏らすと、トガミは「前は違った」と口を尖らせる。本当に拗ねた子供のようで、あまりに大人気ない。
「それを変な気遣いせずに付き合えるような距離感まで近付いた、とは考えられないのか?」
親切心で助け舟を出すが、相手の表情は変わらない。面倒臭いことになってしまった。
「唯野、クミと話すようになってから冷たくなったし」
ぼそぼそといじけた声。嫉妬だの劣等感だの恋愛感情だのは本当に面倒臭い。
「それを俺が否定しても、納得はしないと?」
トガミはこくりと頷いた。
「なら、俺にはどうしようもない。身に覚えのない窃盗の罪を着せられて、盗んだ物を出せと言われている状況に等しい。俺にできることは冤罪だと叫ぶか、誤解が解けるのを待つかの二つだけ」
具体的な例え話を持ち出して言うと、再びこくりと頷きが返ってきた。
「……唯野が嘘を言ってないのは分かってる」
しかし、吐き出された言葉は些か矛盾していた。
……いや、矛盾ではないのか。
「でも、僕にはどうしてもそう見える。唯野は嘘をついてない。でも、それが事実とは限らない。唯野の主観では嘘じゃなくても、客観的に見れば嘘かもしれない」
トガミは「だから僕には分からない」と添えて、それきり沈黙してしまう。
言葉は矛盾してはいないのだろうが、それでもやはり、矛盾していた。
「それに俺は関係ない。自己矛盾に他人を巻き込んだところで、解決はしない。むしろややこしくなるだけだ」
敢えて突き飛ばすように言うと、トガミは力なく頷くだけだった。
「カフェラテ飲んで糖分摂ったら家に帰ってナガミにでも相談しろ。ここで話しても意味はない」
これが例えば、トガミが俺との関係を疑ったクミだったらどう対応していただろうか。また全く別の好みの女子ならどうだっただろうか。
答えは変わらない。
相手が重要な人物であればあるほど、最善を選ぶ。仮に真逆、どうでもいい人間であれば、それはそれで同じように帰らせただろう。
どの道、俺の選択肢の中に、この場で一緒になってトガミと話すという行動はなかったのだ。




