二十四話 二人の合理性
机と本棚を往復する足音や、本のページをめくる音。仲間内の小さな話し声に、漫画かラノベを読んで肩を揺らす笑い声。
図書館は文化祭とカボチャ祭りの余波が過ぎ去り、ようやくいつもの静けさが戻っていた。
「神様がいるかいないか、ですか。面白そうですね」
そんな心地良い図書館に一つのおかしな言葉が飛んだ。
「どこが面白そうなんだよ……」
自分で無神論だの人神論だのと変態姉弟の思想を説明しておいてなんだが、面白い類いの話ではなかったはずだ。
「そんな壮大な話、ワクワクしません?」
「しない」
即答してやると、クミは残念そうにため息を漏らした。
「まぁ、正直な話をすると、そういう話は聞いたことあるんですけど」
ため息を振り切るように小さく首を振ったクミが、秘め事でも告白するかのように呟く。ただでさえ図書館だからと小声で話していた声から更に潜められた声は、本のページをめくる音にすらかき消されそうに小さかった。
「言ってませんでしたっけ?」
そう言って声量を元に戻して笑うが、その言葉は誤魔化しにもならない。
「一瞬前の言葉と矛盾してるようにも聞こえるが、まぁいい」
追及する意味もないから、「それで?」と問いを投げる。
クミは再び笑った。
「身内が……っていうか、姉がそういうこと好きだったんですよ。神様がどうとか、そんな話を小学生だった私に散々言ってきて、その時はほとんど分からなかったんですけど、今なら少しは分かるかなぁ、と」
そして、誤魔化すように三度目の笑みを浮かべる。誤魔化すくらいなら言わなくていいし、そもそも笑う以外に誤魔化す手段を考えてから話した方がいい。
しかし、それ以上の疑問によって、その意見は言葉にならなかった。
「姉がいたのか」
言葉はそこまでで切る。続けてナガミと重ねて一つ言いたかったが、知りもしない相手を悪く言うのは良くないだろう。
「……?」
そんな俺の内心を察したわけでもないだろうが、クミは首を傾げた。
「知らなかったんですか?」
先ほどの見え透いた誤魔化しではない、素っ頓狂とも言える疑問の声だった。
「俺がお前の家族を知ってるわけがないだろ」
これまで度々話してきたが、踏み込んだ話はしたことがない。俺の口からメイリンの名前が出たことすらなかったはずだ。
「ごめんなさい。てっきり知ってたのかと……」
「謝るようなことじゃないし、そこまで普通に謝られると反応に困るんだが」
複雑な表情を浮かべるクミに言葉を投げる。薄々……というか当然のように気付いてはいたが、最近は初めて話しかけてきた時より素に近付いているらしい。
「……それじゃ、話を戻そう」
何故か沈んでしまった空気を変えるために、改めて口を開く。
「お姉さんのことは知らないが、その人から散々言われたのに、『面白そう』なのか?」
問うと、俺の意図を察したクミは「はい」と元気に頷いた。
「ええと……、姉には本当にしつこいくらい言われたんですけど、そうやって話すのも楽しそうだったんですよ」
そこまで言うと、少し笑みが崩れる。
「姉はあたしみたいにパッとしなかったんですよ。地味で、多分クラスの後ろで本でも読んでるようなタイプで。それでも、そういう話をするようになってから無駄に明るくなって、なんだか楽しそうだなぁ……っていつも思ってました」
たはは、と笑って吐き出された言葉は、いやに重かった。自然な流れで自分も地味だと言われると否定できず、一歩踏み込んで否定しようとしても互いに理解していることを覆すだけの言葉は見つからない。
「地味だからって変なテンションを押し付けるのはやめてくれよ。頭のおかしなテンションはトガミだけで十分だ」
仕方なく、毛色の違うネタで返す。
それも理解してくれたクミは「ごめんなさい」とおどけて笑った。こうも笑い続けているのに、楽しそうに見えないことも珍しい。
「でも、だから、嬉しかったです」
しかし、その内心を嘲笑うかのように、満面の笑みを浮かべる。
「唯野さんが私にその話をしてくれたのは、一緒に勉強したり考えたりしたいって思ってくれたからですよね?」
うんうん、と小声で頷きながら言われると、頷きを返すしかない。実際は暇潰しに愚痴をこぼす程度の考えだったとしても。
「だから、あたしは嬉しいです。多分、この話じゃなくても嬉しかったんでしょうけど、この話だからもっと嬉しいです」
そして「頑張って一緒に考えましょう!」と小声で叫ぶ。
「……」
反応に困って沈黙してしまう。
「……あれれ?」
ふとした疑問の声に続くのは「もしかして、空回りしてます? あたし」という、遅まきながらに状況を理解する言葉だった。
「同志よ、それは新人かね?」
放課後の図書館でクミが空回りした翌日の昼休みに話しながら昼飯を食べている俺たちの前の席に、一人のそこそこ整った顔立ちの男子生徒が現れた。
「……」
「…………」
謎のテンションにどう答えればいいかと悩んでいる間にも、テーブルには沈黙が流れる。
「カイリさん」
仕方なく、そこそこモテそうな先輩に答えを投げる。
「食道楽には新人も玄人もありませんよ」
流れてしまった沈黙を誤魔化すために意味深な声音を意識して言うと、相手は愕然の表情を浮かべた。
「……しまった。そうだ、そうではないか。僕としたことがそんなことも失念してしまうとは……、なんとも情けない」
中途半……ではなくそこそこ男前なカイリさんを目の前にしたクミが「また変な人が……」と呟いた気もするが、カイリさんの面目のために気付かなかったことにしておく。あと変人であることはクミも変わらないと思う。
「それで、今日は何を食べているんだ?」
カイリさんは問うてくるが、向かいに座っている以上、問うまでもなく分かるはずだ。俺が唐揚げ定食でクミがソースカツ丼、対するカイリさんはラーメン。
「見ての通り、唐揚げです」
訊ねる必要はなくとも礼儀的な問いという形を重視する人は間々いる。無駄に格式張った言葉遣いをするカイリさんもその一人なのだろう。そうなると合理性の欠片もないように思えてくるが、俺は何も知らない聞いてない。
「ふむ。唐揚げか……」
答えを聞いたカイリさんは考え込むような声を発するが、さして考えている様子はない。
……これは、もしかして儀礼とか格式以前の問題なのだろうか。
「カイリさん。失礼を承知で訊ねますが、話題に困ってます?」
常識的に考えれば、ここはストレートに質問などせず、自然に話題を提供し会話を広げるべきだ。
しかし、俺としてはこの人に嫌われることになんの抵抗もないので、面倒な気遣いをする気にはなれない。
「……」
「…………」
再びの沈黙が流れる。
「あのー……、唯野さん?」
その沈黙は居心地が悪かったのか、クミがおずおずと声を上げた。
「話は終わりましたか?」
前言撤回。居心地が悪いのではなく、話の一切を理解できていないらしい。どう考えたらこの状況で話が終わったと思えるのか分からないが、とりあえず答えておく。
「あぁ、終わった」
一瞬耳を疑うような表情を浮かべたカイリさんを無視すると、クミは「よかった」と小さく漏らす。
「いや、ずっと思ってたんですけどね……?」
期待と不安を押し殺すような声。
「唐揚げ、一つ貰えませんか?」
「断る」
からあ、まで聞いたところで続きは予想できたのだが、礼儀として最後まで聞いてから一蹴する。
「答えるのが早すぎませんか?」
些か不満げな声。こういう人種は本当に困る。
「一応確認しておくが、唐揚げ一つがどれだけ大事か分かるか?」
俺のお盆の上に置かれた皿に乗った唐揚げは五つ。この中の一つとなれば、自販機で買ったジュースの一口とは桁が違うのだ。
「むむむ、唐揚げの大切さですか……」
そうして顎に手を当て唸る。
クミは更に十秒ほども唸り続けてから、思い付いたように顔を上げた。
「あたしのカツと交換しましょう!」
胸を張るように吐き出された言葉に、即座に頷く。
「喜んで交換し――」
「少し待つんだ」
俺の言葉を遮ったのは、言うまでもなくカイリさんの声。
「冷静に考えてみろ。唐揚げ一個とカツ一切れが釣り合うと思うか?」
続く言葉に、少し辟易としてしまう。今の一言でナガミが打算先輩とまで呼ぶ理由が分かった。
「まず、唐揚げ定食は唐揚げ五個で六五〇円、ソースカツ丼はカツ六切れで七五〇円だ。当然唐揚げとカツの他に白米の量も違うが、これは実質おかわり無料なので無視する」
俺の無言の返答など気にする様子のないカイリさんは、頼んでもいない説明を始めた。その表情は嬉々としている。
「そうすると、単純計算で唐揚げ一個一三〇円に対し、カツ一切れは一二五円となる」
言われて自分でも計算してみると、その数字は正しい。クミと俺の会話から一分足らずでそこまで考えたことは凄いのだが、それが意味のある凄さかといえば、そんなことはないだろう。というより、たった五円で釣り合う釣り合わないと言い出すことが馬鹿げている。
「そうですね」
自信満々に俺の答えを待つカイリさんに時間稼ぎの言葉を吐き捨てる。……が、時間稼ぎなど必要ないほどに答えは単純で明快だった。
「その五円で唐揚げとカツを同時に食べられるなら、安いんじゃないですか?」
「ええと、唯野さん?」
お盆を片付けるために歩く俺の横で、同じようにお盆を持ったクミが口を開いた。
「あんな人とも知り合いだったんですか……?」
あんな人と呼ばれてしまったカイリさんは、あの会話から徐々に箸が皿と口を往復する速度が上がっていき、気付けば学食から姿を消していた。
「その『あんな人』たちの中にお前も入っていることは自覚しているか?」
学食は昼休みが終わる数分前ということで、慌ただしい雰囲気と閑散とした雰囲気が同居した不思議な空気になっている。まぁ毎日のことなのだが。
「唯野さん、時々……ていうか、度々口が悪いですよね」
愚痴をこぼすかのような声音で口を尖らせたクミは「なんか扱いがぞんざいですし」とか「二人称もお前ですし」などと不満を吐き出し続ける。
「いっそどっか行ってくれていいんだけどな、俺は。変な奴は一人でも少ない方が良い」
トガミとかユウカとかトガミとか正直どっか行ってほしいのだが、その二人に限ってどこにも行ってくれそうにない。せめて厳しく優しい生徒会長と眼鏡巨乳の委員長だったらといつも思う。無論一年の間に役員が変わることなどないから未だにパッとしない男子なのだが。
「ほら、そうやってつれないこと言います」
そして、今度は「なんか考えてることがアレっぽい目ですし」だの「裏ではあたしのことをそういう目で……見てくれてはいなさそうですね、はい」だのと言う。わざわざ口に出す必要はない気もするのだが、それは触れないのが礼儀だろう。
「だが、無神論ならともかく、他の胡散臭い理論だか屁理屈だかを勉強するとなると、嫌でも否定的な性格になりそうだぞ?」
特に人神論は危ない。あんなのを真剣に考えれば話の全てを否定しても物足りないくらいに否定的な思考回路になれる。
「別にいいですよ」
返ってきた言葉は、思っていたより遥かに優しく、拗ねたような声だった。
「そうするのが唯野さんに一番近付くのなら」
一瞬の躊躇の後に紡がれた声はいつもとは違う印象を抱かせる。抱かせるのだが……。
「そういう恋情を公言するキャラはトガミだけでお腹いっぱいです」
そもそも普段から狙ってますオーラを出しまくっている奴が言ったところで、さしたる効果はない。ついでにクミは前科五犯なので更に意味がない。
「ようやくあの人の気持ちが分かりましたよ、まったく」
忌々しげに言い捨てて、クミは俺を置いて早歩きで去っていく。
「あの人って誰かねぇ……?」
その背中を眺めながら、小さく呟く。見え透いたような、わざと見せるような言動のクミが考えていることは、分からない。それは恐らく、トガミほど単純でもない。
しかし、それでもそれを知っているような気がするのは、何故だろう。




