十六話 転換
暑さで目が覚めた。
見慣れない木造の屋根に違和感を覚えたところで、ここが山にある小さな宿だったと思い出す。
そして、残暑もあるとはいえ秋夜の山では不自然な暑さの原因にも気付いた。トガミが全身で絡み付いてきているのだ。
どうにか引き剥がしてから枕元に置いておいた携帯電話に手を伸ばし、時刻表示を見る。二時二十分。
「丑三つ時か」
山で夜で小さな宿といえばホラーや探偵ものの基本だが、日頃から散々無神論と運命論を洗脳かの如く聞かされていれば、そんな非科学的なものに怯える気にもなれない。まぁ人神論なんぞよりはずっと現実的だろうが。
「少し外で風に当たるか」
機械的に呟いて立ち上がる。このままトガミの横で寝る勇気はない。
立ってから部屋を見渡すと、ナガミの姿が見えないことに気が付いた。
果たして、沼の辺にナガミの姿を見つけた。ナガミが立っているのは、昼間トガミと話していたところからも遠くない場所だ。
「トガミから逃げ出してきたか」
足音で気付いていたのか、ナガミが振り向かずに声を上げた。
「ま、そんなところだ」
見たのなら助けてくれればよかったのに、と小言を言いたくなったが、言うのも面倒臭くなってやめた。
「この山を見ていると、一つ面白いことを思い出す」
この姉弟は沼の辺で語るのが好きなのだろうか。
……まぁ、暇潰しに聞いておくとしよう。
「唯野はこの山を人間が焼き払ったら、それを自然破壊だと思うか?」
質問の意図は分からないが、「勿論」と答える。
「なら自然発火で、雷なり噴火なりで燃えたら、それは自然破壊か?」
やはり質問の意図は分からないが「違うな」と答える。
「これは現実的じゃないから例え話として捉えてほしいが、仮に鳥がライターを持ってきて、何かの拍子にそれの火がついて山火事になったら、それは自然破壊と言えるか?」
まだ質問の意図が分からない。
ナガミは『ライターという人間の道具が原因』という意味で言っているのか、『鳥が何かしらを運んできたことが原因』という意味で言っているのかも分からない。
「まぁ……、自然破壊じゃないだろうな。偶発的な事故だ」
事故であっても人間が原因なら自然破壊と言えなくもないが、それは意見が分かれるはずだ。それなら、事故と言い張ることができる。
「最後に聞こう」
ナガミがようやく振り返った。
「人は、人類は他の生物より上に立っていると思うか? それらから超越した、全く別の、あるいは上位的な生物だと思っているか?」
唐突に話が変わったように思えたが、一瞬遅れて、一連の質問の意図が分かった。
「思わないな。人はどうしようもなく自然の一部でしかない」
ナガミは笑った。
「面白いだろう? これだけじゃない。鳥が違う国の、違う大陸の植物の種を持ってきても自然の活動だからと言われるのに、人が持ってくれば外来種だと唾棄するんだ。あたかも人は自然から超越した、自然を管理する存在かのように」
超越、管理。その単語は何度も聞いた覚えがある。
しかし、その聞き慣れた話ではなく、自然と人間の話が続けられた。
「そのくせして、人は特別じゃないと嘯くから面白い。明らかに矛盾している。猿の行動が自然の、延いては地球の活動であるなら、人の行動も地球の活動の一部なのに、地球温暖化がどうのと騒ぐ。ああいう連中は地球のためと謳っているだけなんだよ」
ひとしきり笑うと、ナガミは笑みを消した。
「……と無駄な話はこのくらいにして」
そして、こちらを見据える。
「人神論に興味はあるか?」
やはり聞き慣れた話に戻るか。
「トガミには申し訳ないが、ない」
「ならトガミには?」
「ないわけじゃないが、恋愛やら性やらの対象として見ることは全くない。断じてない。有り得ない」
「だろうな」
他愛のない問答を終えると、ナガミは「提案がある」と指を立てた。
「トガミの神になる気はないか?」
意味が分からない。
「話しただろう? 空想上の神は、その神への信仰は、現実の人間に力を与える。それと同じだ」
事実としての神ではなく、偶像としての神か。
しかし、まだ分からないことがある。
「それがどうして俺なんだ? 俺が偶像になって、なんになる?」
なれるかどうか、という問題は置いておくとしても、これは避けられない。
「唯野には意味がないだろうな。これはあくまで、トガミの姉としての質問だ」
トガミのためを考えた発言ということか。俺に意味が感じられないのも道理だ。
「無神論者から言わせてもらうと、人神論など完成するはずがない。そもそも存在しないものに、どうやったら人間がなれるのか考えるのだから当然だろう。ユウカに言わせれば答えの出ない問いの答えを探すのが哲学なのだろうが、私には可哀想に思えてな」
無神論も人神論も本質は変わらない。証明ができるはずのない話をしているのだ。
「唯野ならあいつを幸せにできると思ったんだ。……無論、騙すことになったとしても」
偶像になる。騙すことになる。幸せにする。
「それはつまり、あれか? エセ宗教で教徒を騙して洗脳に近いことをした挙句に『教徒は幸せだと思っている』なんて言うクソみたいな犯罪者になれと言ってるのか?」
エセ教主は二人もいらん。
「ん? 貴様は前からそうした行動をしていると思っていたが……?」
何を言っているんだ、こいつは。
「海の時なんかトガミの頭を撫でていたじゃないか。その気がないなら、手玉に取ろうとしたのだろう?」
そういえば、そんな記憶がある。……しかし、よく覚えていたものだ。
「お前も損はしないと思うぞ? いつ押し倒されるかも分からん状況が続くより、時々飴をくれて後は放置するだけの方がいいだろう?」
こいつは本当に弟のことを考えているのだろうか。弟がメリーバッドエンド状態でもいいとかどういう神経をしているのか分からない。
「まぁ、なんだ、考えておくよ」
適当に答えて宿へ戻ろうかと考えていると、後ろで物音がした。
「やっぱり二人とも外にいたんだ。いくら暖かいからって、風邪引くよ?」
なんだトガミか。
「まぁ、ちょっとな」
野良犬じゃないかと恐怖した内心を隠すように言う。
……そういえば、俺の方を向いていたナガミはもっと早く気付いていたんじゃないだろうか。
「む……、隠すような話でもしてたの?」
無駄に勘が良い。まぁ、あれだけ焦って隠せるわけもないか。
「いや、そんな話はしてない」
慎重に返すと、トガミは疑うような目を向けてきた。
「なら、なんの話をしていたの?」
少し考えてから、問いに答える。
すると、トガミは笑った。
「そっか、うん。それじゃ、宿に戻ろ?」




