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論者の夢想論議  作者: 飯島鈴
第一部
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十三話 夏と海と恋愛と

「あつい」

 上からは太陽の、下からは砂の熱さが襲ってきていた。そうでなくとも四方八方からは夏の暑さが襲ってくる。時計は午後の二時を指しているし、最高のあつさは殺人的だ。

「ジュース買ってこようか?」

 気遣うようなトガミの声。

「オレンジジュースを頼むアル」

「あ、じゃあ私も。炭酸じゃないジュースにしてくれ」

 メイリンとナガミの答えに、トガミが不機嫌そうな声を上げた。言うまでもなく、先ほどの言葉は俺だけに向けられていたのだ。

「サイダーでも買ってきてくれ」

 一緒に行くか、とでも付け足せば好感度がより上がるのだろうが、二重の意味で面倒だからやめておく。

「僕の分も入れれば四つか。一人じゃ持てないな……」

 隠すことすらやめた猛攻は、逆にあしらいやすい。

「メイリン、手伝ってやれ。俺はパラソルを立てないといけない」

 不承不承といった様子でメイリンが頷き、トガミは諦めるように歩き出した。

「その感じだと、やはり片方は私が立てるのか」

「この中で二番目に力と体力がありそうなのはナガミだからな、仕方ない」

 この双子は色んな意味で性別を間違えてしまったのではないかと思う。トガミが女だったらどれだけ嬉しいか。……いや、あの性格は女でも抵抗があるな。

「男が両方立てるという選択肢はないんだな。分かった」

 ナガミがため息をついて、スタスタと歩みを進めた。


 サイダーを(あお)る。当然だが、割高なくせに味は変わらないどころか、ぬるくてあまり美味しくない。砂糖のせいで喉の渇きにも効果がないし、まだ炭酸が抜けていないことがせめてもの救いだ。

「唯野も来なよ~!」

 離れたところからトガミの声が飛んでくる。浅瀬でトガミとメイリンが遊んでいるのだ。

「そのうちな~」

 自分が思ったよりはるかに小さく元気のない言葉は、恐らくトガミに届いていないが、そこは手振りで補う。

「行ってくればいいじゃないか」

 今度の声は、二つの椅子とテーブルを挟んだところからだ。ナガミが本から顔を上げていた。

「朝からずっとトガミの相手をしてたんだぞ。無理に決まってるだろ」

 その朝より前はテンションの上がったメイリンの相手をしていた。バスで少し寝たからどうにか大丈夫だが、不要な体力消費は避けたい。そもそも明日、明後日もあるのだから、焦って遊ぶことはないのだ。

「それで、今晩はお楽しみか。そりゃあ体力も温存しとかないとな」

 ナガミが本を閉じながら呵々と笑う。冗談じゃない。

「お前は行かないのか? 一応水着は着てるんだろ?」

 真剣に答えても無意味だと判断して話題を変える。

 ナガミの格好は短パンに半袖のTシャツだ。その白いシャツから透けて見えている黒いそれが、恐らく水着だろう。

「濡れると砂を落とすのが面倒だろう? ……それと、私の胸元ではなくトガミの胸を見てやれ。そっちの方があいつも喜ぶ」

 一瞬ドキリとしたが、焦ることは何もない。水着の確認をするために胸元を見ただけだ。

「……って、ちょっと待て。あいつの胸を見てどうする。男だぞ、あいつは」

 言ってから、大きくため息をつく。ナガミは軽く鼻で笑ってから、再び本を開いた。

 暇潰しにメイリンとトガミの方を見ると、まだ同じように遊んでいた。メイリンは子供らしいフリルの付いた水着で、トガミは海パンとTシャツという格好だ。トガミは男だから海パンだけでいいはずだが、ナガミが強引に着させたらしい。まぁ日焼けで痛くなることがないから、それなりに意味はあるのだろう。

 ……さて、暇潰しが終わってしまった。


 パラソルと一緒に借りた浮き輪でぷかぷかと浮きながら、水平線を眺める。泳いだり水遊びをしたりする気にはなれないが、こうしてぼけーっとしているのは案外悪くない。ただ、少しずつ「波に酔う」という気分が分かってきた。

「唯野~、浮き輪貸して~」

 唐突に重みが増す。水平線に意識がいっていたせいでトガミの接近に気付けなかったらしい。

「おい待て、お前ここまでどうやって来た? 足届かないよな。浮き輪ないと泳ぐしかないよな。ここまで泳げるって、お前浮き輪必要ないよな」

 浮き輪の中に侵入してこようとするトガミと格闘しながら言葉を吐く。対するトガミは、そんなことも楽しんでいるかのように、幸せそうな笑みを浮かべていた。こんな表情を見てしまうと、少しくらいは許してしまいそうになる。

「一緒に入りたいなら、明日はもっと大きな浮き輪を用意するように」

 ため息混じりに言うと、すぐに元気な声が返ってきた。このくらいなら過ちにはならないだろう。

 浮き輪への侵入をやめたトガミは、そのまま浮き輪に腕を乗せ、先ほどまでの俺と同じようにぷかぷかと浮かびながら水平線の方を向いた。

「唯野はさ、小さい頃、あの向こうにはどんな世界が広がってるんだろう、とか考えた?」

 軽やかな口調とは裏腹に、その声音は真剣だった。しかし、それほど重要な問いでもないらしい。

「さてな、覚えてない。まぁこれでも人並みの子供だったから、多分思ったんだろう。トガミはどうだったんだ?」

 質問された時の基本は、簡単に答えてから同じように聞き返すことだ。大抵の質問は自分のことを喋りたいだけだから、自然な形で相手にバトンタッチすればいい。

「僕は特に何も考えなかったな。育った家が家だから、小さい時でも『そういうこと』って分かってたし」

 予想とは違う答えに、少しだけ驚く。トガミを一般と同じ物差しで測ったところから間違いだったか。

「それじゃあ、あの水平線の向こうまで行っちゃいたい、なんて思うことは?」

 遠回しにからかってみると、今度は予想通りの言葉が返ってきた。

「それってプロポーズ? 駆け落ちしたくないか、っていうプロポーズだよね!?」

 しかし、先ほどと同じだった。口調で繕っていても、その裏では違う感情が渦巻いている。いつのもの面倒――じゃなくてハイテンションとは、何かが違うらしい。

「何かあるなら言ってほしいものだな。駆け落ちは無理でも、話を聞くくらいならできるぞ」

 言ってすぐに、無駄なお節介だったかと気になってきた。やはり、夏と海は感情を乱れさせる。

「さて、そろそろ戻るぞ。正直な話、酔った」

 トガミが「うん」と頷き、浮き輪を持ったまた足だけで泳ぐ。帰りは楽ができるらしい。


 眼前に色取り取りの海鮮が並び、肉とはまた違った昂りが襲う。しかし、残念だが――

「本当に食べなくていいアルか?」

 そう、俺の前に置かれているのは海鮮ではなく、一人用の鍋とその具材だ。

「ええと、お刺身とかダメだったの?」

 不安そうなトガミの声。知っていれば近くの飲食店に行くこともできたのに、と悔しがっているようだ。どうしてトガミが悔しがるのかは分からないが。

「悲しいかな、大人の事情で食レポができないんだ。明日は食べる。明日こそは食べるから、気にしないでくれ」

 本当に、残念だ。


 白い畳に敷かれた布団に寝そべり、冷静に状況を考える。さほど狭くない部屋だから四人分の布団を敷いても十分に余裕があったはずだが、何故かトガミが真横にいる。それどころか、俺の布団に侵入してきているのだ。

「もっと……!」

 不穏な寝言を吐くトガミを前にして、数刻前にも出した結論を再び出す。

「身が危険だ」

 言った直後、鼻で笑うような音が聞こえた。ナガミは起きているらしい。起きているのに何もせず笑っているらしい。絶対に許せない。

「ほ、ほら、トガミ、いくら夏でもそんな状態で寝たら風邪引いちゃうぞ」

 念のため口に出して言ってから、トガミを押しのけてタオルケットをかける。すると、すぐにその布を抱きしめるようにして俺とは反対側に寝返りを打った。あのタオルケットが俺だったら、なんて考えたら眠れなくなりそうなのでやめておく。


「来年も行こうね~!」

「また今度アル」

「すまない」

 三重奏の別れの挨拶を聞いてから、すぐに家へと足を向ける。三日の苦行を乗り越えて、身も心も疲れきっているのだ。……というか、謝るのなら最初から手助けくらいしてくれよ。

「メイリン、今日明日明後日の飯は自分でやってくれ。ユウカの宗教勧誘も頼んだ」

 恐らく後ろを歩いているであろうメイリンに言葉を投げてから、歩みを早める。一刻も早く寝たいのだ。流石に健康に影響が出るほどの睡眠不足は辛い。

「お疲れ様アル」

「あぁ、本当に疲れた」

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