十二話 達観と創造
教師の「夏休みだからといってしゃぎすぎないように」という言葉を聞いたのは何度目だろうか。言い方は違えど、大抵の教師が揃って言う言葉だ。まぁ、高校生と夏休みといえば、問題行動ばかりに目が行ってしまうのも仕方のないことなのだが。
「唯野、いつ海行こうか。いっそ二週間くらい旅館に泊まってもいいかもしれないね。あ、勿論宿泊費用とかは僕が出すから。姉さんたちも一緒だけど……やっぱり別部屋の方がいいかな? そうなると、やっぱりお小遣いだけじゃ足りないかな…………」
不穏なことを言いながら真剣に考えるトガミを前にして、現実逃避も限界が来ていた。俺とトガミの間で何かがあったことは明白だ。
まだ何か考えながら唸っているトガミに一言言って、携帯片手に教室を出る。先延ばしにするのも限界だろう。
「お前から呼び出すとは、珍しい」
いつもと変わらぬ様子で向かいの席に座るナガミが口を開いた。
「流石に何があったのか気になってな。何か知っている感じだったし、お前に聞くのが一番早いだろう。あと、できれば似たように記憶が飛んでる五月のことも聞きたい」
深刻な表情になったナガミから返ってきた言葉は「第一次鍋戦争だ」という意味の分からないものだった。
三週間経って、俺たちはとある旅館に向かっていた。
「海、楽しみだね。……それとも、旅館の方が楽しみ、かな?」
俺の右腕に両方の腕を絡ませた姿勢のトガミが言う。
はたから見れば痛々しいカップルなのだろうが、現実にはそこまで綺麗なものではない。ナガミ曰く、一線を越えてしまった男二人だ。もう諦めてもいいかな……。
「トガミ、ほどほどにしておけよ。バスには他の客もいるんだ」
言われたトガミは「は~い」と返事をする。勿論、姿勢は一切変えない。
残るメイリンは少し離れたところに座っていて、借りてきた猫のような状態だ。あまり慣れない遠出で緊張しているのだろう。
「でも、悪いな。俺から言っておいて金出さないで」
トガミの貞操をクラスの男どもから守るために俺の貞操が犠牲になった時、この海も確約してしまったらしい。まぁ海なんて久しく行ってなかったからいいのだが、釈然としない感じはある。それでも、俺とメイリンの宿泊代まで払うなんていう太っ腹なことをされては、嫌な気もしなくなってしまった。
「だからって遠慮しなくてよかったのに……。三日くらいなら二部屋取れたんだよ?」
これまでも濃かったキャラに、金持ちというキャラが追加されてよく分からなくなっている。だが、人神論なんてものに比べれば大したことはない。
「それだと四人で行く意味がないだろう? そういうのは二人の時な」
言ってから、拘束されていない左手を回して、トガミの頭を撫でる。
逃げられないことが確定した以上、むざむざと食われてしまうよりは、こちらから食ってしまった方が良い。主導権を握り、上下関係を教え込めばどうにかなるはずだ。
より締め付けが強くなる右腕の血流を気にしながら、窓から外を見る。一面に海が広がっている様は、夏と言われて想像するそれだった。
旅館に入って通された部屋は『秋の間』と言うらしく、部屋は白を基調にした壁紙や家具になっていた。秋といえばオレンジや赤で、白は冬だと思うが、何か理由があるのだろう。
「それで、どうする? すぐに海へ行くか?」
ナガミの提案に、時計を見てから首を横に振る。もう十時過ぎだ。これから行っても大して遊ばないで昼飯になるだろうし、何より三日もあるのだから急ぐ必要がない。
「それでは、少し探検に行くアル。唯野も来い」
メイリンが目をキラキラと輝かせながら言う。旅館で探検するとか小学生じゃあるまいし、とも思うが、ここは乗ろう。
「分かった。でも騒がないようにな。三日もいるんだし、仲居さんに目を付けられたくない」
荷物を置いて部屋を出ようとする俺とメイリンにトガミが続こうとしたが、それをナガミが引き止める。気を遣ってくれたらしい。
「唯野、最近トガミと仲が良いアルな」
部屋から出てすぐに、メイリンが極微量の侮蔑と、僅かな怒りを込めて口を開いた。
「すまないな。ナガミに頼まれたことのせいでゴタゴタがあったらしいんだ。あと、言っておくが俺はノンケだからな」
しばらく蔑ろにしてしまっていたことを反省してから、半ばムキになって言う。すると、メイリンはクスリと笑った。
「ならばいいアル」
演技臭く不遜な態度で答える姿に微笑ましさを覚える。どう見ても少し変わった程度の子供にしか見えないが、内心では葛藤があるのだろうか。それとも、全ては決められたことだと諦めて思うままに過ごしているのだろうか。
そんな感傷に浸ってしまいそうになった思考を、馬鹿っぽい声が遮った。
「あれ? 唯野さんじゃないですか」
「どうしてユウカさんって、こう意外なところにいるんですか?」
いつの間にかすぐ隣までユウカが来ていた。どうして旅館、それも海の近くにいるのか分からない。やはりエセ宗教など遊びのようなもので、しっかり青春――という年頃かは分からないが――を謳歌しているのだろうか。
「あぁ、ムーチー様を誘って海に来たんですけど、波に酔ったとかですぐにダウンしちゃったんですよね。だから、今こうして旅館を探検でもしようかと」
「それ、どこから突っ込めばいいんですか?」
そもそもエセ教主を海に誘うというところから理解不能だが、それ以上に波に酔うとはどういうことだ。それと探検なんて小学生じゃないんだから。
「そんなことより、唯野さんたちは二人で来たんですか?」
俺としては『そんなこと』で済ませられる話ではなかったのだが、まぁ「馬鹿だから」の一言で済ませても問題ないか。
「友達と……っていうか、ナガミとトガミですよ。何度か会ってますよね?」
その言葉に「あぁ」と納得したような声を上げてから、改まった様子で答えた。
「なら、邪魔するのは良くないですね。それでは」
キャラに似合わないことを言って去ろうとするユウカに違和感を覚えて、「ちょっと待った」と引き止める。
「教主もいるんだったら、勧誘でもした方が良いんじゃないですか? って、勧誘される側が言うことじゃないですけど、いつもなら強引に勧誘してくると思うんですが」
毎朝人の家の前で叫ぶほどの人間が、教主もいる状況で勧誘しないのは少し気になる。単に教主の体調がそれほど悪いのかもしれないが、そうなると部屋を出て『探検』をしている理由が分からない。
「あぁ、ムーチー様はあまり自分から出ていくのは好きじゃないみたいなんですよ。『俺が出てったら話が終わる』とか、よく分からないことを週に三回は言ってますし」
分かっていたことだが、そのエセ教主は頭がおかしい。頭のネジが一本か二本抜けている。これ以上関わるべきではないだろう。
「さいですか」
ぞんざいに答えてから、軽く会釈をして歩き出す。後ろからは二つの足音が聞こえた。一つは俺の後ろに続き、一つは廊下の奥へと進んでいく。
「唯野、少しいいアルか?」
妙に改まった様子でメイリンが口を開いた。
「なんだ?」
答えながら振り返る。
「最近我は、どうにも影が薄い気がしてならないアル」
何を言い出すんだ、こいつは。そもそも運命論とかのせいでろくに外にも出ず、人と人との会話に口を挟むことも少ないのだから、存在感が薄くなっても仕方ないだろうに。
「自業自得だ。嫌なら外へ出て会話しろ」
吐き捨てて、前に向き直って歩みを再開させる。馬鹿どもには付き合ってられん。




