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お嬢様の命令で男装侍従になったら、隣国の王子殿下に溺愛されています  作者: 岸根しき


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4/11

第4話 王子殿下は、今までどおり

 歓迎式典に続く交流会で、わたしは早速、王子殿下用の台本を必要とすることになった。

 

「アルヴィス殿下。お目にかかれて光栄でございます」


 セシル様が、花がほころぶように微笑んでいる。


 わたしはその後ろで、昨日までの三倍深く頭を下げた。


「先日は、わたくしの侍従がお世話になったそうですわね」


「世話になったのは俺のほうです。彼がいなければ、古語の誤りに気づけなかった」


 アルヴィス殿下の視線が、まっすぐわたしへ向く。


「なあ、リュシエル」


「身に余るお言葉でございます、殿下」


 顔を上げない。目を合わせない。


 人前の殿下は、図書室のアル様ではない。そしていまのわたしは、口の減らない読み手ではなく、慎ましい侍従リュシエルだ。


(台本にない注目は、毒よ。ここで余計に喋れば、どこから嘘が剥がれるか分からないもの)


 わたしは完璧な角度で頭を下げたまま、完璧な沈黙を守り抜いた。


 ……守り抜いた、つもりだった。


「先日の略語の件だが、続きの資料が届いたぞ」


「本当ですか」


 食い気味に、顔を上げてしまった。


 殿下が、してやったりという顔で、口の端を上げている。


(――嵌められたわ……!)


 慌てて咳払いをして、頭を下げ直す。周囲の令嬢たちが、扇の陰でひそひそと囁き交わす気配がした。


 交流会のあいだ、アルヴィス殿下は女性の案内係へは丁寧に礼を言った。


 けれど、縁談を望む令嬢たちが笑顔のまま距離を詰めると、金色の瞳から、すっと温度が消える。


 どうやらこの方は、女性そのものより、好意を包んだ“作られた笑顔”がお好きではないらしい。


 だとすれば――セシル様の天使の微笑みが通じる相手とは、とても思えなかった。


「この子は、幼いころからわたくしだけに仕えてくれておりますの」


 セシル様は、わたしの襟を直しながら微笑んだ。


(……あら?)


 行き倒れの孤児は、いつのまに幼馴染になったのかしら。


 台本の管理が甘くてよ、お嬢様。


「人には言えない秘密も、わたくしたちだけで分け合っておりますのよ。ねえ、リュシエル?」


 男装のことだ。


 反射的に体が強張る。


「……はい、お嬢様」


「この子は、最後には必ず、わたくしのもとへ戻ってくるのです」


 アルヴィス殿下が、わたしの襟元に触れている指を見た。


 その目が、わずかに険しくなった気がした。







 翌朝、図書室へ行くと、アルヴィス殿下はいつもの向かいの席を空けていた。


 わたしは机から三歩離れた場所で、最敬礼する。


「昨日までの数々のご無礼、どうかご寛恕いただきたく――」


「どれだ。弔いの解釈を否定した件か、俺を怪しい留学生と呼んだ件か」


「すべてでございます、アルヴィス殿下」


「やめろ」


「はい?」


「人前では殿下でいい。だが、ここではいつも通りアルだ。そこにも座れ」


「できません」


「では俺も、今日からお前をリュシエル殿と呼ぶ」


「それは……たいへん落ち着きません」


「俺も同じだ。交渉成立だな」


 成立していない。


「……交渉というのは、双方が条件を出し合うものです」


「ほう。では、お前の条件を言え」


 言ってしまってから、少しだけ迷った。


 けれど、この席でまで台本を読むのは、もう嫌だった。


「ここでは、身分の話をしないでください。敬語も、議論の邪魔になる分は省きます。それから――間違いは、間違いだと申し上げます。お相手が王子殿下でも」


「全部、今までどおりじゃないか」


「ええ。ですから、“今までどおり”が、僕の条件です」


 アル様は一瞬目を丸くして、それから、いかにも満足そうに頷いた。


「成立だな。今度こそ」


「そもそも、どうして式典より前から図書室にいらしたのです」


「使節団より先に入って、素の学院を見たかった。王子が来ると分かっていれば、皆、俺の前では台本どおりにしか動かないからな」


 台本、という言葉に、内心で少しだけ肩が跳ねた。


 アル様は写本を開き、向かいの椅子を引いた。


「身分を黙っていたのは悪かった。だが、王子へ頷くだけの相手なら、ほかにいくらでもいる」


 アル様の目が、まっすぐわたしを見る。


「また、ここへ座ってくれるか?」


 命令ではなかった。


 命令だったら、たぶん、こんなに困らなかった。


 この人と、また答えの分からない一行を読みたい。


 そう気づけば、もう迷う理由はなかった。


 わたしは「はい」と答える代わりに、空けられた席へ腰を下ろす。


「では、アル様。昨日の注記ですが、一か所、根拠が弱いです」


「座った途端にそれか」


「今までどおりでよいのでしょう?」


 アル様は一瞬黙り、それから声を立てて笑った。







 議論が一段落したころ、アル様が急に深刻な顔になった。


「リュシエル。言いにくいことだが」


「はい」


「主と侍従の恋は、幸せになれないぞ」


「はい?」


 思わず、いつもの声より高い声が出た。


「セシル嬢と、将来の約束をしているんだろう」


 どこから訂正すればいいのだろう。


 セシル様は恋人ではなく、わたしは男でもなく、そもそも望んで侍従をしているわけでもない。


 訂正箇所が多すぎて、欄外に収まらない。


「していません。絶対に」


「だが、あの親密さは」


「お嬢様が望む主従の演出です。恋ではありません」


「……そうか」


 アル様の肩から、目に見えて力が抜けた。


「なぜ、そんなに安心しているんです?」


「友人の将来を案じていただけだ」


「僕たち、いつから友人に?」


「違ったのか」


 今度は、アル様が本気で困った顔をした。


「……いいえ。友人で、構いません」


「そうか」


 嬉しそうに頁をめくる横顔を、わたしは一拍だけ見つめた。


 その日の夜。


 セシル様は、金の縁取りがある招待状をわたしへ差し出した。


「殿下は、あなたをずいぶんお気に召しているようね」


 微笑んでいるのに、声は冷たい。


「ですから、あなたが連れてきなさい。今度は、殿下とわたくしの恋物語を始めるの」


 わたしの新しい配役は、恋の仲介人らしい。


(その配役、ものすごく向いていないと思うのだけれど)


 招待状を胸元にしまい、一礼して部屋を下がる。


 廊下の窓の外は、もうすっかり暗かった。


(お断りします、とは言えない。……でも)


 台本どおりに演じることと、台本の結末どおりになることは、別の話だ。


 仲介人がどれほど口を尽くしたところで、あの方の心までは動かせない。なにせあの方は、好意で作られた笑顔が、何よりお嫌いなのだ。


 それを知っているのは、この学術院で、たぶんわたしだけ。


(わたしは演じるわ。命じられたとおり、完璧に。……そして台本は、勝手に破綻する)


 我ながら、性格が悪くなってきたと思う。


 七年も他人の筋書きを読まされていれば、行間の読み方くらい、嫌でも覚えるのだ。


 ――ただし。


 破れた台本のあとの、白い頁。


 そこに誰が何を書き足すのかだけは、七年分の行間読みをもってしても、さっぱり読めなかった。


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