表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お嬢様の命令で男装侍従になったら、隣国の王子殿下に溺愛されています  作者: 岸根しき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/11

第2話 図書室のアル様



 セシル様の授業が始まると、わたしは一般図書室へ向かった。


 これが、男装して見つけた最大の利点だ。


 女の侍女は、主人の付き添いでしか書架に近づけない。けれど男性の従者は、主人の授業中、付き添いなしで図書室へ入れる。


 男装そのものは、わたしが選んだものではない。


 それでも、図書室で何を読むかまで、セシル様に決められるつもりはなかった。


 午後の図書室には、乾いた紙と、少しだけ埃の匂いがした。


 奥の書架から古ヴェルディア語の航海記録を抜き、いつもの窓際へ座る。


 海洋国家ヴェルディア。


 十九歳になったら、一人で渡ると決めている国だ。


 男物の上着の内ポケットには、掌ほどの手帳を隠している。


 題して、出発帳。


 貯めた船賃、必要な試験料、向こうで読みたい本。自由になったらしたいことを、思いつくたびに書き足している。


 嘘だらけの毎日で、ここだけがわたしの本当の気持ちを吐ける場所。


 今日は、古い写本の一行を写した。


 直訳すれば、『潮に乗って帰る者』。


 前後とどうにも意味がつながらず、二週間もわたしを足止めしている一文だ。


(さて。今日こそ降参させてみせましょうか)


 写本を相手に、気持ちだけは腕まくりした、そのときだった。


「――それは弔いの言葉だ」


 背後から声がした。


 振り返ると、書架に肩を預けた長身の青年がいた。


 夜のような黒髪に、金色の瞳。手には、ヴェルディア語の原書を抱えている。


「海で死んだ船乗りを指す。だから、その行は『帰らぬ者』と訳す」


 いきなり現れて、二週間考えたわたしの訳を、たった二言で片づけようとしている。


 なるほど。


 たいへん興味深い意見だ。しかし――


「いいえ」


 わたしは写本を持ち上げた。


「それでは、次の行と合いません」







 見知らぬ男性へ、真正面から反論する。


 侍従リュシエルとしては、おそらく不正解だ。


 けれど二週間も考えた一行を、根拠も聞かずに引っ込めるのは、わたしとしてはもっと不正解だった。


 青年は怒るどころか、楽しそうに片方の眉を上げた。


「次の行?」


「積み荷の目録です。香辛料が三樽、塩漬け肉が二樽。追悼文の直後に、樽の勘定はしないでしょう」


「故人が運んでいた積み荷かもしれない」


「それなら三十頁前の用例はどうなります? そちらは明らかに入港の記録です」


 頁を繰り、該当箇所を示す。


 青年はわたしの隣から写本を覗き込んだ。


 近い。


「……本当だな」


「ですから、弔いへ意味が変化する前の、さらに古い用法があるのではないかと思うんです。ただ、肝心の一語が掠れていて――」


「待て。その頁も見せてくれ」


「ここです。それから、同じ筆記者の別の航海記録では――」


 気づけば、わたしは椅子を勧めることも忘れ、立ったまま早口で説明していた。


 声も、いつもより高い。


(しまった。いまのわたしは“リュシエル”だ)


 慌てて口を閉じる。


「……失礼しました。僕は、つい」


「なぜ謝る?」


 青年は当然のように向かいの椅子を引き、写本を自分のほうへ向けた。


「面白くなってきたところだ。続けてくれ」


 こちらを見下ろす目が、子どものように輝いている。


「俺は、弔いの意味しか知らずに育った。お前の説が正しければ、ヴェルディアの古語学者が何人か椅子から落ちる」


「では、先に床へクッションを敷いておいてください」


 一拍置いて、青年が吹き出した。


 しまったと思ったけれど、もう遅い。


 わたしも、少しだけ笑ってしまった。


 それから閉館の鐘まで、わたしたちは一冊の写本を挟んで言い合った。


 彼は自国の言い回しを知っている。わたしは古い用例を拾っている。


 どちらも決め手に欠け、結論は出ない。


 それなのに、妙に楽しかった。


 正しい答えがわからないとき、誰かの機嫌を正解にしなくていい。


 そんな話し方をしたのは、いったい何年ぶりだろう。


「そういえば、名乗っていなかったな」


 青年は写本を閉じた。


「アルだ。ヴェルディアからの留学生だ」


「……では、アル様と」


「様は要らない」


「主人以外を呼び捨てにする癖がつくと、いつか人前で困りますので」


「……なら、好きに呼べ。――で、お前は?」


「リュシエルです」


「家名は?」


「ありません。孤児ですので」


 用意された答えは、するりと口から出た。


 ところがアル様は、わたしの顔を数拍見つめた。


「その顔は、何か隠しているな」


 ――ぎくり、と心臓が鳴った。


 無意識に、視線が扉のほうへ逃げていく。自分でも呆れるほど、分かりやすい動きだった。


 そんなわたしへ、アル様はあっさり続けた。


「まあ、いい。話したくないなら、聞かない」


「……それで、よろしいのですか」


「よくないと言えば、話すのか?」


「話しません」


「なら、聞くだけ無駄だ」


 秘密を見つけた人は、それを暴こうとするものだと思っていた。


 けれどアル様は、閉じた写本を指先で軽く叩いただけだった。


「秘密より、こっちの答えのほうが気になる」


 その時、遠くで、使用人を呼ぶ鐘が二度鳴った。


 セシル様の合図だ。


「すみません。主人が呼んでおりますので」


「明日も来るのか?」


「主人の予定次第です」


「なら、来られたらでいい。その代わり、来たら続きを聞かせてくれ」


 来い、ではなかった。


 来られなかった日のわたしを、責めずに済む言い方だった。







 その夜、屋根裏の自室で、わたしは出発帳を開いた。


 読みたい本の欄に、『ヴェルディア古語用例集』と書き足す。


 その下へ、『古い港湾規定を探す』と書き足す。


(明日、アル様に聞いてみようかしら)


 考えてから、首を横に振る。


 明日行けるとは限らない。期待して、行けなかったら悔しい。


 だから、期待はしない。


 ただ翌朝、図書室へ向かうわたしの足が、昨日より少し速かったことについては――男物の靴が歩きやすいせいにしておいた。


 ――そういえば、昨日。


 図書室を出る間際に、司書たちの立ち話が耳に入った。


「近々、ヴェルディアから使節団がお見えになるらしい」


「まあ。では、あちらの高貴な方々も?」


 ヴェルディアの、高貴な方。


(まさか、ね)


 あの生意気な留学生と、遠い国の高貴な方。


 どう並べてみても、同じ頁には収まらない言葉だった。


 ……ちなみにこの見立ては、数日後、見事に外れる。




第2話もお読みいただき、ありがとうございます!

次回アル様の正体が…?


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ