二通目(私 → あなた)
お越し頂きありがとうございます、橘月りんごです。
本作は全編手紙形式の短編小説となっております。
「あなた」から届いた、一通目。
そしてそのお返事として綴る、二通目。
お好きな方から読んで頂いて構いませんが、作者といたしましては二通目からお読み頂くことをおすすめいたします。
読後、評価やご感想なども頂けますと幸いです。
それでは、お楽しみ下さい。
拝啓
突然のお便り、失礼いたします。
長雨の気配をはらんだ風が、夏を思わせる季節となりました。
引っ越しに際し家の中を整理していたら、あなたの手紙を見つけました。
かつての私は内容を受けとめきれず、一度はしまい込んで、それからずっと、目を背け続けてきました。
ですが、いつまでもこのままではいけない、きちんと向き合わなければと思い、この度、お返事を書くことにしました。
今更だと、あなたは笑うかも知れませんが、お話させて下さい。
まず何よりも、ごめんなさい。
あのときの私はどうしても、あなたのもとへは帰れませんでした。
なぜ何も言えなかったのか。
なぜ、一方的に関係を終わらせてしまったのか。
当時私に何があったのかを、お話したいと思います。
もう、二十年以上も経ってしまいました。
あなたも知っている通り、当時私は就職の時期にありました。
これと言ってやりたいこともない、夢も、目標も分からない、よくいる若者だったと思います。
それでも何となく、好きなことが仕事にできたなら、それが一番いいのだろうと、漠然と考えていました。
人生で初めて選んだ、自分だけの道。
周囲の大人たちは「厳しい道だよ」「簡単じゃないよ」と、聞き飽きるほどに、私を心配してくれていました。
けれど、大抵のことは要領よくできた私は、自分なら大丈夫、どうにかなると、安易な、根拠のない自信を持って、楽観的に考えていました。
そんな私が挫折を経験するのに、ひと月と掛かりませんでした。
好きなことと選んだはずの、その道の先。
そこに私の好きなことなど、何ひとつ、ありませんでした。
起きては慌てて家を出て、帰ればベッドに倒れて眠るだけ。
食事も何もおざなりで、憧れた世界にただすり潰されていくだけの毎日。
甘い考えを打ちのめされるには、十分すぎる時間でした。
選んだ道を歩み続けるためには、自分を前に進ませる強い動機が、その一歩を支える「なにか」が、必要なのだと知りました。
でも、良く考えずその道を選んだ私の中に、その「なにか」は当然、あるはずもありませんでした。
だんだんとひび割れ欠けていく心を、支えられるものがない。
そう思い知らされて、気づかされて、私は、自分の輪郭が崩れていくような、消えて無くなってしまうような、そんな恐怖に駆られ、自己嫌悪に震える、抜け殻のようになっていきました。
大人たちの忠告を真剣に聞いていればと思っても、あとの祭り。
布団の中でうずくまり、毎晩枕を濡らしても、また朝が来る。
まぶたを開くことすらも恐ろしく、何も見えなくなって、気づけば私は、責任も何もかもを放り出して、逃げ出していました。
情けない話です。踏み出す前にあった自信は張りぼてで、仕事を、社会を、人生を甘く見ていた私を、支えてなどくれません。
逃げ出すことでしか、私は自分をたもてませんでした。
多くの人に迷惑をかけながら、私は実家へ逃げ帰りました。
自分には何も無いと思い知らされた私は、虚ろで、空っぽで、ずっと部屋に閉じこもりきりで、半年近く、何もできませんでした。
ログインしなくなったのも、この頃ですね。
部屋でひとり、悶々とした日々を過ごしていた、そんな中です。
私がもう、あなたのもとへは帰れないと、考えるようになったのは。
単純に、恥ずかしかった面もあります。
社会人としての最初の一歩を、情けなく踏み外した自分がみじめで、応援してくれたみんなに、あなたに、合わせる顔がなかった。
けれど、それ以上に、きっと笑顔で受けとめてくれる、きっと温かくなぐさめてくれる、そう容易に想像できてしまう、あなたの優しさにすがる自分が、当時の私にはどうしようもなく、耐えがたいものでした。
今思い返しても、本当に、酷く、身勝手でした。
一体どれほど、あなたを傷つけたでしょう。
どんな言葉を重ねても、お詫びのしようもありません。
できることなら、叶うのなら、楽しかったあの頃へ帰りたいと、何度も夢に見ました。
今となっては、何もかもが懐かしい。
私とあなたが、初めて出会った頃のこと。
始まりは高校入学の頃、友人の誘いで始めたオンラインゲーム。
ずっと興味のあったその場所で、あなたは初め、その友人を通じた同じ集まりに所属しているだけの、赤の他人でした。
日に何度か、お決まりの挨拶を交わすだけの、知らない人。
まだチャットのタイピングにも慣れていない頃だったから、私の印象は随分と暗かったと思います。
目に映る全てが新鮮で、世の中にはこんなに楽しいことがあるんだと、ひとり夢中で駆け回っていた私の後ろを、あなたはいつしか、当然のように着いてくるようになりました。
当時のあなたの印象は、正直言って最悪でした。
ログインすると、あなたはすぐに私のところへ飛んできて、誘いもしていないのに、どこへ行くにも、何をするにもずっと、執拗なほどに着いてきた。それはもう、ストーカーのようでした。
あるときは突然プレゼントだと言って、あなたは頼んでもいない大量のアイテムを持ってきました。
誕生日でも、何かの記念日でもない、ごく普通の日にです。
欲しくもない物、当然、私は受け取れないとお断りしました。
するとあなたは何も言わずにどこかへ行って、しばらくして戻ってきて、私にこう言いました。捨ててきた、と。
「受け取ってもらえないなら、いらない」
そんな子どものようなことを言って、あなたはふてくされて、結局あのあと、私は広いマップを必死に駆け回り、あなたが捨てたアイテムを拾い集める羽目になりました。
一体この人は何なのだろう、どうしてこんなことをするのだろうと、いつにも増して、胸の奥がもやもやとしたのを今でも覚えています。
あなたはいつもそうでした。
ことあるごとに選択肢を出して、いつも私に判断を委ねてきて、私が答えるまでずっと黙っていて、いつも気まずかった。
私が言おうとしてることを先に言われることも多々ありました。
他にも、聞いてもいない自分語り。
言いたいこと何でも言ってと器の大きさアピール。
いつも反応が大げさで、私の好みも何度言っても間違えて。
友人皆で集まって、何をしようかと話し合ってるときも、任せるって言ってるのに、希望を言うまで無言で圧をかけてきて、仕方なく答えたら、他の人の意見も無視して私の希望を最優先。
、、、案外、覚えているものですね。
今思えば、あなたのおかげで、人との苦手な会話が苦ではなかった。
それでも当初の私は、あなたのことが嫌いだったと思います。
ずっと付きまとってくるあなたにうんざりして、いっそアカウントを消し、別のサーバーでやり直そうかと、真剣に考え始めていた、そんなときでした。
突然、あなたがぱたりと、ログインしなくなったのは。
初め私は、気にも留めていませんでした。
久しぶりにひとりで、のびのびと羽を伸ばせる。
思わず鼻歌が出てしまうくらいの、軽い感じに考えていました。
けれど、あなたの不在が二日、三日、四日と続くにつれて、だんだんと、心配のほうがまさっていきました。
何かあったのではないか、病気、怪我、あるいは事故。
まわりの友人たちに聞いてみても、誰も事情は知りませんでした。
当時はまだネット上の赤の他人、画面の向こうにいるあなたの連絡先を、聞こうと思ったこともありませんでした。
何もできず、刻々と、ただ心配だけが積み上がっていくばかり。
さらに数日が過ぎると、私はなぜかうわの空で、人の少ないマップの片隅でひとり、ぽつんと座り込んでいました。
あんなにわずらわしいと感じていた、あなたがいない。
思いがけず降ってわいた、自由な時間。それなのに、私の心はぽっかりと穴が空いたようで、気分は沈んでいく一方で、なぜこんな気持ちになるのか、自分でもよく分かりませんでした。
何をするでもなく呆然としていたそのとき、同じ集まりの友人が、「どうしたの?」と、声をかけてくれました。
位置表示が動かないからと、気にかけてくれたようでした。
相談すれば、少しは気持ちの整理ができるかもしれないと、私はすがるような思いで、その友人に胸の内を全て打ち明けました。
あなたのこともよく知るその人は、静かに話を聞いたあと、「どうせあの人のことだから、しようもない理由だよ、きっと」と、私を元気づけてくれました。
それでも浮かない反応の私に、その人は最後、こう聞きました。
「いま、一番したいことは?」
少しの間、黙って考えていた私は、気づけば「あいたい」と、無意識にキーボードを叩いていました。
画面に浮かぶその文字を見てようやく、私はこの胸のもやもやが 寂しさ だったのだと、知りました。
衝撃でした。
押してだめなら引いてみろ、なんて駆け引きの常套手段、あなたのことだから、まったく考えてはいなかったと思います。
けれど、自分でも気づかないうちに、私の中にはいつの間にか、あなたがふてぶてしく居座っていました。
結局その数日後、あなたは何事もなかったように戻ってきました。
原因はただのパソコンの故障。
そのしようもない理由に、私は気が抜けてしまいました。
ほっと力が抜けて、少しだけむっと、頭に血が上って、また私の周りで、「ただいま」とはしゃぐあなたを見て、私はかっと顔が熱くなって、ぎゅっと、胸が締めつけられる思いでした。
私の中でいつの間にか大きくなっていた存在を自覚してしまって、どう返事をしたらいいのか分からなくて、言葉がすぐ出てこなくて、しばらくは、随分とそっけない態度をとってしまいました。
以前にも増して口数少なく、無愛想な態度をとる私に、それでもあなたは何も変わらず、いつも通り着いてきて、あんなにわずらわしかったことが、どうしようもなく、嬉しくて。
所詮は画面越しの繋がり、顔も名前も知らない、赤の他人。
電源を落とせば簡単に切れてしまう関係だと、分かっていた。
それでも、気持ちは日に日に、抑えきれないほど膨らんでいって。
そうしてついに、私はいても立ってもいられず、勢いそのまま、あなたが帰ってきてから十日もしないうちに、思いを伝えました。
あのときはもう、自分の体が自分のものではないみたいに震えて、心臓が爆発してしまうかと思った。
私はなんて返事が返ってくるか、不安で押し潰されそうでした。
なのにあなたはそんな気も知らず、随分長いこと固まっていて、十分近く黙って動かないから、私は息が詰まって死にそうでした。
それから少しして、滲んでぼやけた画面にようやく浮かんだ、「よろしくおねがいします」の文字。
私は嬉しいよりも安堵のほうが大きくて、返事も忘れて、しばらく椅子の上で膝を抱えて、子犬のように震えていました。
体の中身が全部出てしまうんじゃないかと思うくらい、ため息が出て苦しかった。
その日からずっと、私とあなたは一緒でした。
あなたは何も変わらなかったけど、私もすぐにあなたを探して、どこへ行くにも、何をするのも、いつも、あなたの隣りにいた。
サーバーを変えようかと真剣に考えるくらい嫌だったのに、感情ひとつでここまで変わるんだと、とても不思議な感覚でした。
どこへ行こうかと話せば、あなたと一緒ならどこへでもと考え、買い物へ行けば、あなたが喜びそうなものを自然と探している。
いつも胸の中にあなたがいて、私はそれをずっと抱きしめている。
熱くて、やけどしてしまいそうで、でも、手離したくない。
あなたに灼かれるなら、それすら愛おしいと、本気で思っていた。
我ながら若かったと笑ってしまうけど、ただあなたといるだけで、毎日が嬉しかった。
あの頃は確かに、あなたの隣が私の居場所でした。
その後、高校を卒業して、專門学校を経て就職。
ここからは、先に書いたとおりです。
あなたはきっと、だめな私でも許してくれる、受けとめてくれる、そういう人だと、分かっていました。
挫折を経験して、自分には支えがないと思い知らされて、自分の力で生きて行かなければいけないのに、自分の足で立って、歩いて行かなければいけないのに、誰もが当たり前のようにこなしている、そんなことすらできず、あなたの優しさに甘えて、すがりつこうとする自分がみじめで、どうしても許せなくて、認められなくて。
だから私は、あなたから離れることで、逃げることで、自分を、守ろうとしました。
卑怯で、浅はかで、愚かでした。
本当に、ごめんなさい。
もっと早く伝えるべきだった。伝えなきゃいけなかった。
私があなたのもとを去ってから数年後、頼まれたからと、友人が手紙と一緒に、あなたの訃報を届けてくれたとき、私はぞっとして、血の気が引きました。
その手紙に一体どんな怒りが綴られているのか、どんな恨みが吐き捨てられているのかと思うと、確認するのが怖くて、しばらく、封を開けられなかった。
開けずに捨ててしまおうかとすら思いました。
けれど、ひと月ほどが経ち、ようやく覚悟を決めて開いたその手紙には、そんなこと、一言も、書いていませんでした。
最初の数行を読んだとき、私は混乱しすぎて目眩がしました。
それでも続きが気になって、私は背筋の冷たさも忘れて、無我夢中で最後まで目を通しました。
そうして手紙を読み終えたとき、私は激しく後悔しました。
視界も何もかもが歪んで、崩れ落ちる体を支えることすらできず、あふれる涙が痛いと感じたのは、あのときが初めてのことでした。
あのときは、あまりのことに受けとめきれず、目の届かないところに押し込んで、背を向けてしまいました。
そのままずっと、二十年以上も放ったらかしにしてしまって、ごめんなさい。
私はあなたのこと、何ひとつ知りませんでした。
自分のことで頭が一杯で、ずっと独りよがりで、本当のあなたを、見ようとすらしていなかった。
本当にどうしようもない、最低の、大馬鹿者でした。
ごめんなさい。
もう、取り返しはつきません。
苦しくて、悔しくて、胸が張り裂けそうです。
だけど、この手紙が、あなたが遺してくれた言葉があるなら、私、頑張ります。頑張って、顔を上げます。
長い間、目を背けてきたことを今、しっかりと受けとめて、きちんと胸に刻んで、前を向きます。
実は、もうすぐ結婚します。
人生の節目を迎えて、これまで色々な苦労や葛藤もあったけど、今は何とか、人並みの平凡な暮らしができるようになりました。
結婚したら、これからもっと大変になるんだろうなと、気が重くなる日もありましたが、今の私には、あなたが遺してくれた、この手紙があります。
あなたが背中を押してくれるなら、あなたが遺してくれたものを胸に、これからも、私にできるペースで、この大変な人生を、歩いていこうと思います。
どうか、見守っていて下さい。
最後にもうひとつだけ、伝えさせて下さい。
あなたの隣で、あなたと一緒に過ごした、あの頃の僅かな時間。
あのとき間違いなく、私は幸せでした。
この思いは、これから先、何があったとしても、変わることはありません。
来世があるなら、いつかまた、あなたと巡り会えるそのときを、心待ちにしています。
そのときはどうか、もう一度、謝らせて下さい。
忘れません。
ありがとう、ございました。




