044 わたしを肯定して
× × ×
「翌日、再開発計画の始動と同時に、菫坂さんは学校を休学することになりました」
桜宮は、静かに涙を流している。
「その後、何が起きたか……朔太郎なら、分かってしまうのでしょうね」
「お前が、無視されるようになったんだろ」
「……けれど、それ自体は大したことじゃなかったんです。
だって、わたしは菫坂さんを救えなかったんですもの。決して忘れないよう、その罰として受け入れました」
唇を噛み締め、嗚咽を堪える桜宮。
「本当に辛かったのは、高等部に上がり、菫坂さんが復学した時です」
「ほう」
「どうやら、学校側の配慮もあり、無事に進級出来たようです。
その報告を知り、わたしは菫坂さんのところへ一目散に向かいました。でも――」
俺は、きっと桜宮が見たであろう光景を想い、深いため息をつく。
「彼女は、安心院さんのグループに参加し、わたしの言葉も聞こえないふりをして、その場を去ったのです」
「そうか」
「なにか理由がある。
そう思って、なんとか二人きりになれる状況を作りました。
ずっと、辛い思いをしてきたはずです。それでも、学校に戻ってきたのだから、またやり直せる。
わたしは、そのようなことを伝えましたが――」
そして、桜宮類は目を閉じる。
「彼女は、泣きながらこう言ったんです。
『二度と、あんな思いはしたくないから』って」
……。
「その言葉に、いくつの意味が込められていたのか、もう知る術はありません。
しかし、ハッキリと分かったのは、わたしを拒絶したことと、安心院さんの『お友達』になったこと」
心が締め付けられる音が、聞こえたような気がした。
「わたしは、もう耐えられなかった。
唯一の友人が、自分を貶めたかもしれない人間と、教室で楽しそうに話すあの光景が……っ」
だから、桜宮は転校したのだ。
彼女が耐えられなかったのは、裏切りや虐めなどでは断じてない。
虐げられた者が権力者にへりくだり、おもねり、嘘をつき続ける姿の惨めさの、その苦しみを受け止めきれなくなったからだった。
「……わたしは、誓いました。
いつか、『ロビンソン・クルーソー』を超える物語を書いてみせる。
ペンの力で、菫坂さんの世界を救ってみせるんだ……って」
自虐的な笑み。
天井を見上げ、尚も涙を流し続ける桜宮。
「けれど、結果は知っての通りです。
わたしには、その才能もありません。『ロビンソン・クルーソー』どころか、一本の凡作すらあまりにも遠い」
「……そうだな」
否定は、出来なかった。
「ねぇ、朔太郎。
わたし、生きてる価値あるのかな」
「どうして、そんなことを訊く?」
「だって、そうでしょ?
両親に相手されず、友人を救えず、好きになった男を満足させることも出来ない。
おまけに、積み上げることすら叶わないんだもの。
……本当、嫌になる」
……。
「あ……っ」
俺は、桜宮の肩を抱き寄せ、優しく頭を撫でた。
「価値は、自分で決めること。
そんな綺麗事を言う奴が世の中にはたくさんいるが――俺は、そいつらが嫌いだ。
なぜなら、人を悩ませる要素は必ず相対的だからだ。
他者に承認されなければ、どれだけ高尚な信念だってゴミになる」
「……うん」
「だから、俺のために書け。桜宮」
彼女は、静かに俺を見上げる。
「何者でもない今は、ただ、俺の価値になればいい。
いつか、他の誰かに認められ、自分を赦せた時、初めて自分の価値を探せばいい」
「うん……うん……っ」
「それまでは、ここにいろ。
俺が、お前を勝たせてやるから」
もう、止まることなど出来ない。
桜宮類を、必ず幸せにしなければならない。
これは、たとえ安心院と同じ方法を使うことになったとしても、成し遂げなければならないことだ。
……俺は、悪魔に魂を売る。
「おいで、桜宮」
この、凡人を勝たせるためなら、どんなことだってしてみせる。
「今なら、桜宮類にしか書けないものがあるはずだ」
……彼女は、呆れたように、しかし、救われたように笑う。
「初めてを迎えるんだと思った」
「お前には、やるべきことがあるだろ」
「……それでも、先にわたしを肯定して」
桜宮は、俺に覆い被さると静かに唇を奪った。
……。
翌朝、俺は桜宮の書き上げた三話までの原稿を読んでいた。
桜宮は、いつもの縦ロールをセットしている。
どうやら、このお嬢様モードは、虚勢から彼女の作家としての仮面になったらしい。
彼女の視線は、真っ直ぐに俺に向いている。
俺は、読み終わると同時に、素直な感想を述べた。
「面白い」
「や……った」
しかし、咳払いをして居直ると、今度は胸を張って言い直した。
「当然ですわっ!」
この物語の主人公は、決してロビンソン・クルーソーになれない。
誰よりも利己的で悲観的な少女による、貴族社会を終わらせるための極めて露悪的な復讐譚だった。
「ユニークなのは、主人公が追放されたことによって『喪心病』を患った点だろう」
これにより、主人公は誰のことも信用出来ないという『蝕み』を受ける代わりに、人々の『不吉』を察知することが出来るようになっている。
「上手いのは、この設定を問題の回避ではなく、自ら頭を突っ込むために使っていること。
お陰で、バックドアに罠を仕掛ける展開に無理がない。
悪趣味な成敗が、ひょっとすると一番の見所かもな」
「こ、これって悪趣味ですの?」
「『露悪的な趣味はない』と言ってた奴が、ここまでエグいやり方を思いつくなんて信じられん」
一体、普段どんな妄想をしていれば、『ステータス魔法を敵の頭の中に流し続けて脳みそをパンクさせる』なんて攻略法を思いつくんだよ。
「ま、まぁ、それはいいでしょうっ!」
あ、誤魔化した。
「とにかく、わたくしのやりたいことはアウトプット出来ているようですわね。
斬新と言われる作品も、よく見ると新しいのは一部でしかないことが多いでしょう?」
「そうだな」
「なので、わたくしが意識したのは二つ。
一つ、ストーリーは王道であること。
二つ、応用するのは既存のものであること。
これが、ゼロから作れないわたくしの、新しい物語の作り方ですわっ」
「いや、三つだ」
「……え?」
「この主人公はお前だろ、桜宮。
だからこそ、こんなにも熱のある作品に仕上がった」
処女作とは、筆者の趣味趣向性癖を技巧なんて考慮せず、全力投球出来る唯一無二の作品である。
「それを隠す必要はない。
お前は、お前の冒険を読者に楽しんでもらう作家だ」
「……それ、朔太郎以外にバレたら恥ずかしいからバラさないでちょうだい」
桜宮は、優しく笑った。
彼女の踏み出した一歩が、今、ようやく小説になり始めた。
その事実が、俺は心から嬉しかった。
……。
家に帰ると、祭が俺の部屋にいた。
どうやら、完全に不貞腐れているらしい。ベッドの上から俺をチラッと見ると、枕に顔を埋めて無視した。
「ただいま」
「……」
「次に行く時は、お前を連れてってやるから」
相当に怒っているようだ。
祭はなんの反応も見せず、ボーっと算数のドリルを見つめている。
……そういえば、そんな約束してたな。
「分かった、教えてやる。
何が知りたいんだ?」
「……えへへ。
えっとね、掛け算がやりたい」
俺は、祭にも分かるよう乗算を教えた。
「なんか、お兄ちゃん、いつもと違うね」
「そうか?」
「うん、優しい」
「兄ちゃんは、いつだって優しいだろ」
「優しくないよー。
いつもは、なんかウワノソラで面白くなさそーだもん」
「……難しい言葉、知ってるな」
「本読んでるんだよ、祭もっ」
そういえば、定期的に本棚から文庫本がなくなってる時がある。
母さんか父さんが勝手に読んでるんだと思っていたが、まさか祭の仕業だったとは。
「……祭、海行かなくていいや」
「急にどうした」
「お兄ちゃん、なんか頑張ってるんでしょ?
衣と霞に聞いたよ。お姉ちゃんたちに、色んなこと教えてあげてるって」
教えてるってのは語弊があるけどな。
「祭、邪魔しないの。お姉ちゃんだから」
「……なら、代わりに兄ちゃんとデートするか」
「え〜、やだ〜」
まだ、夏休みは長い。
俺は、急激に大人びていく長女の姿を見て思わず笑うと、再び計算ドリルのページを開いた。




