045 神保町ラプソディ
とある早朝、薬丸から一通のラインが来た。
「ボクを見つけて……か」
妙な誘い文句だ。
そんなことを考えてから、私服に着替え家を出る。
しばらく歩いて、初島駅前の喫茶店へ。
ここは、未だに全席喫煙可能の時代錯誤な店であり、中学時代の薬丸と俺が拠点として使っていた懐かしい場所でもある。
「よぉ」
「や、やぁ」
どうやら、俺が来ることを分かっていたようだ。
テーブルには、薬丸のココアともう一つ、少しだけ薄くなったアイスコーヒーに、ミルクを添えて置いてある。
マスターは、無愛想に競馬新聞を読んでいる。
そんな、久しぶりの風景を堪能して、俺は薬丸の正面に座った。
「それで、今日はどうした」
「欲しい本がある、一緒に探して欲しい」
デートのお誘いだった。
「古本か」
「うん。どうやら、本物の魔術書らしいんだ。
是非ともお目にかかりたくてね」
「そうか……ん? お前、眼帯はどうした?」
「な、治ったから外した。
ボクは、厨二病じゃないからな」
「じゃあ、そのオッドアイは?」
「クククッ。開眼だよ、サク。
ボクは、天界時代の力の一つを取り戻した。目の症状は、その副作用さ。
これにより、白痴の王の恐怖を直視することが出来るようになったんだっ」
相変わらず、色んな神話を行ったり来たりして忙しい奴だ。
「アザトースか? 俺には、あの御仁はニャルラトホテプっぽく見えるが」
仕草とか、振る舞いとか。
「んな……っ!
ぼ、ボクは本所誠のことだとは言ってないだろっ!」
言ってるじゃないか。
目を逸らした姿を観察する。
相変わらず病的に白い肌が、日差しに晒されている腕の部分だけ赤くなっていた。
恐らく、日焼け止めを塗り忘れたのだろう。
「これ飲んだら、先に薬局に行こう。今日は暑いぜ」
「なんで? 欲しいものでもあるの?」
……そもそも、意識すらしてなかったのか。
俺は、薬丸にスプレータイプの日焼け止めをプレゼントした。
「ありがと」
そんなわけで、俺たちは電車に乗り神保町へ向かった。
昔から、薬丸はこの町が好きだ。
曰く、遊園地、古本屋、カレー屋と、好みがすべて揃っているからだという。
「でも、なんであのカレー屋は、蒸したじゃがいもが出てくるんだろう」
俺は、やたらと真剣な顔をして考える薬丸がおかしくて、思わず笑ってしまった。
「な、なにがおかしいっ」
「いや、何も。
その答えは、ランチの時に店員から教えてもらうとしようぜ」
今日の神保町では、『夏の古本カーニバル』という催しがあるらしい。
靖国通り沿いの歩道をジャックして行われ、全国から数百万冊が出品される本の祭典なのだと薬丸は鼻息荒く説明した。
「しかし、妙だな。
カーニバルに参加するのが目的なら、事前に約束すべきだろ」
「でも、嬉しいだろ? よ、喜びなよ」
「喜んでるさ。
同じくらい、他に何か理由があるんじゃないかと疑ってるがな」
「……なら、その理由を考えるがいい」
「はい?」
「確かに、ボクにはカーニバルとは別にサクを呼び出した本当の目的がある。
ただし、それを教えるわけにはいかない」
「どうして」
「どうしても……だっ」
意味が分からん。
「つまり、キミはそれを推理するんだよ。サク。
『ボクを見つけて』。この願いは、まだ果たされていない」
……あぁ、なるほど。
「お前のエゴを探す。
要するに、こういうことかい」
「うわぁ! 一瞬で見破るなよっ!」
薬丸は、俺の肩をポカポカと叩き、深くため息をついた。
「……ボクは、サクが好きだよ。
ボクが最初に好きだった、それは絶対に譲れない」
「光栄だ」
「でも、逆に言えば、その気持ちは最初からあったんだ。
キミを想ったからここまで来れたけど、キミを想うだけじゃこの先には進めない」
「……あぁ」
「だから、知りたいんだ」
そして、彼女は俺を見上げる。
「なぜ、薬丸幸子は花朔太郎を好きなのか……を」
……。
「お前の小説を理解してるから……じゃないのか?」
「残念。それは、キミに惚れた理由だ」
薬丸は、イタズラに笑って目を細めた。
今までに見たことのなかった表情が、俺の心を鷲掴みにする。
……こんなふうに薬丸を見たのは、きっと初めてのことだった。
「と、ところで、魔術ってのも急だな。
何か、召喚したい悪魔でもいるのか?」
「クククッ。それはフィクションの話だよ。
現実世界の魔術といえば、蠱惑に他ならない」
……こいつ、やっぱ面白いな。
「審査員に仕掛けて、メロメロにするのか」
「賞レースは自分の力で勝ち抜くもん」
食い気味だった。
メンタルは、大分回復しているようだ。
「ボクは、嘗て魔女が作り出した術そのものに興味があるんだ。
一応の実験として……まぁ、サクにかけるけど」
「おい」
「でも、サクはボクのこと好きだしなぁ。
う〜ん、困ったなぁ。元々ボクのことを好きな相手にかけたって、効果が分かり辛いかもな〜」
久しぶりに、薬丸のウザ過ぎる能書きを聞いた気がする。
二人の頃はうんざりだったが、改めて聞いてみると存外悪いものでもない。
……薬丸は、徐に俺の手を握った。
「手、繋いでおいてあげるよ。
キミみたいな田舎モンは、逸れたら帰ってこれないからね」
渋谷でも似たようなセリフを聞いた気がするな。
あの時は、繋がなかったけれど。
「……な、なんだよ。文句あるの?」
「いや、ない」
俺は、薬丸の驚くほどに小さい手を優しく握り返した。
「歩こうか」
ひとまず、俺に出来ることは考えることだった。
牧野アメリは、『見て欲しい』と言った。
桜宮類は、『肯定して欲しい』と言った。
二人は、常に一貫している。
初めて出会った時から、どこか歪で、不安定で、やり場のない気持ちを表現するために小説を書いている。
しかし、薬丸幸子は違う。
なぜなら、他に出来ることのない彼女は、決して書くことをやめないから。
俺が発掘したのではない。
むしろ、彼女が俺の才能を発掘した。
『軌跡を剥奪する者』によって、俺を編集者として目覚めさせたのは、他でもない薬丸だった。
つまり、そもそも、彼女が俺を好きになる理由が存在しないのだ。
俺の介入の余地がない世界観と、俺がアイデアを貸す必要もない展開。
そんな作品に見惚れていただけの俺が、一体、薬丸幸子の何を見つけるというのだろう。
いつ、どこで、どのように、彼女が書き始めたのかも知らないのに。
俺は、隣にいるゴスロリ女の、小説を書いていない頃の姿を妄想した。
……見捨てないで、か。
「サクの手って、意外とあったかいね」
ふいに、薬丸が口を開く。
「意外ってなんだよ」
「もっと、鉄みたいに冷たいと思ってた」
鉄血。
そんな単語が脳裏を過ぎったが――今の俺には耳が痛くて、誤魔化すように、通がかった店頭の古本を手に取る。
「一つ聞きたいんだけど、俺を魅了してどうするんだ?」
「……へ?」
「お前が魔術を使えば、俺は蠱惑を仕掛けられるわけだろ。
けど、誑かして全肯定したって、自分が満足いく作品を書けなければ、お前は一つも喜ばないじゃないか」
「もしかして、サクってボクが呼吸と執筆しかしてないと思ってる?」
「補給と睡眠もしてるとは思うが――まぁ、そんなところだな」
途端に、不服そうな表情を浮かべてため息をつく。
「ナメてもらっちゃ困るよ。
ボクにだって、普通の女子高生らしい欲望もあるんだっ」
「例えば?」
「れ、レディーファースト?」
「なんで疑問形なんだよ」
突拍子もないことを言った自覚があるのか、薬丸は次第に顔を真っ赤にして俯いた。
「サクは、男子高校生らしいこと、考えないの?」
「男子高校生のらしさって、つまり、そういうことか?」
薬丸は、完全に黙った。
俺を好きだという美少女が三人もいるのに、妄想する必要なんてないだろう。
そんなことを思ったが、普通に最低過ぎる気がしたから何も言わなかった。




