037 文芸部は夏合宿がしたい
夏と呼ぶに相応しい、爽やかな青空の日だった。
中間考査を終えて、学生たちは一様に夏休みを待っている。
幸いなことに、文芸部員はみんな赤点を回避。これで、牧野と薬丸は『K文庫大賞』の恋愛部門とホラー部門の、桜宮はウェブ用の原稿に集中することが出来る。
放課後になり、いつも通り部室へやってきた。
狭いこの部屋は風の通りが悪い。扇風機には、今日もフル稼働してもらわなければならないだろう。
健気なモーター音を聞いて、俺は四人分の麦茶を用意した。
「ありがと、花」
水泳の授業で湿った髪の牧野が答える。
薬丸と桜宮は、互いをうちわで扇いでグデーと萎んでいた。
「ねぇ、朔太郎。
お姉様が、五日後に海外出張へ行くのよ」
「ほーん」
「だから、夏合宿をしましょう」
「何を言っとるんだ、お前は」
別荘地に住んでいる桜宮の姉が、八月はヨーロッパで暮らすことになったから、その留守番を頼まれた。
毎日掃除をしろ。水回りも使って欲しい。来客があったら対応しろ。
その代わり、金は好きなだけ使っていい。
端的にまとめると、桜宮の話はこうだった。
「お前の姉ちゃんって何やってんの?」
「『グレース』の編集長ですわ」
「へぇ!! すごーい!!」
反応したのは牧野だけで、俺と薬丸はポカンだった。
調べると、世界中で有名なファッション誌のようだ。どうやら、桜宮の姉はバリバリのキャリアウーマンとして活躍する有名人らしい。
……この自信満々な顔付きで激烈なシスコンというのは、グッとくるものがあるな。
「話は分かったが……それ、俺が泊まる必要ないだろ。電車で通える距離だし」
「おほほ、バレましたか」
あと、好きな奴とはいえ、男が混ざるのは普通につまらんだろうぜ。
「……ただ、この部室は暑くてかなわんのも確かだ。
お言葉に甘えて、夏の間は桜宮の姉ちゃんの家で活動させてもらおう」
「私はお泊まりしたいなぁ。
ねぇ、類ちゃん。一緒にお料理しようよ。いいでしょ?」
「名案ですわね、是非やりましょう」
「ぼ、ボクも作ってみたい。
料理とかしたことないから」
「もちろん、よろしくお願いしますわ」
いつの間に、そんなに仲が良くなったのだろう。
俺の勝手なイメージだが、三人は良くも悪くも距離のある関係だと思っていたよ。
「楽しみっ!!」
そんなこんなで、あっという間に夏休みがやってきた。
「お兄ちゃん!! どこ行くの!!」
靴を履いていると、ちょうどリビングから出てきた衣に見つかってしまった。
扉の奥には、顔にシールを貼り付けられてヘラヘラしている父さんと、退屈そうにふてくされる祭・霞の姿がある。
「内緒」
「ズルーい!! 衣も行きたーい!!」
いつも通り適当にあしらおうと思ったのだが、ふと、今日の夜に起きるであろう出来事が頭を過ぎる。
娘の言いなりにしかならない親父。仕事から帰ってきたクタクタの母さん。用意されてない夕飯。洗われていない浴槽。適当に取り込まれた洗濯物。
……衣一人でもいなければ、少しは余裕が出来るだろうか。
「よし、分かった。お前は連れてってやる」
俺は、母さんにラインを打ちながらそう言った。
「きゃーっ!!」
その後、祭と霞の「ズルい」コールを存分に浴びつつ、幾らでも機会はあるから一人ずつ連れて行くという約束を交わして、俺は待ち合わせ場所の甘楽町へ向かった。
「衣ねぇ、ちょうど海に行きたいって思ってたんだよ」
「そりゃよかった」
言い忘れていたが、今回の目的地は海岸線に立ち並ぶ高級住宅街の羽山だ。
日本離れした白い町並みが特徴で、立ち入るにはその地域に住んでいる証明が必要なビーチがあるらしい。
俺は、先に目的地で待つ桜宮に衣のことを伝え、牧野と薬丸を待った。
「やっほ〜……あ、かわいい!!」
キャリーケースを転がす牧野を見ると、衣は急に静かになって俺のズボンを掴み、ペコリと頭を下げた。
「花衣、七歳だよっ」
「んふふ。牧野アメリ、十七歳です。よろしくねっ」
不思議そうに俺を見上げてから、不思議そうな顔をして衣は言った。
「お姉ちゃん、お兄ちゃんのコイビト?」
「う〜ん、ちょっと違うかな」
牧野は、いじらしく俺を見てから、衣の頭を優しく撫でた。
それから少し経って薬丸も合流。
衣と久しぶりの再会を楽しんだ後、俺たちは桜宮の姉の家へ向かう。
道中は、俺は特に口を開かなかった。
牧野と薬丸が、衣の面倒を見ていてくれたからだ。
「お兄ちゃんねぇ、最近は好きな人のしょーせつをずっと読んでる。
衣が『ゎあ』ってやっても、全然遊んでくれないんだよ?」
「「ふ、ふ〜ん」」
二人は、ニヤニヤしながら俺を見ていた。
そんなふうに喜ばれても、褒めることくらいしか出来ないからな。
「お兄ちゃん、他にその人のこと何か言ってた?」
「衣たちに似てるって言ってた」
「……ボクたち、妹扱いだったんだ」
そんなこんなで、桜宮の姉の家に辿り着いた。
「「でっかーい!!」」
牧野と衣が騒ぎ、薬丸と俺がスケールにビビった。
まるで、ハリウッドに聳え立っていそうな家だ。
どんな悪いことをすれば、こんな所に住めるのだろうな。
「いらっしゃいませ」
桜宮は、まず屈んで衣に目線を合わせてニコリと笑う。
三人の中で一番背の高い彼女だから、服装も相まって年上に見えたのだろう。衣は、先程よりも深く頭を下げて例の自己紹介をした。
「よくできました。わたくしは桜宮類、十五歳ですわ」
女子という生き物は、挨拶で木霊するのが習性なのかもしれない。
そんなことを、彼女たちのやり取りを見て思った。
「それじゃあ、泳ごう!!」
「わーっ!!」
「ですわ!!」
まぁ、こうなることは分かっていたので特に何も言わなかった。
俺は、桜宮が用意していたクーラボックスとパラソル、そしてピクニックシートを小脇に抱えて三人の後を追う。
もちろん、俺は水着じゃない。
そもそも、水着を所持していないので、拠点を作り靴を脱ぐと、楽しそうにはしゃぐ彼女たちの姿を堪能することにした。
……ふむ、二人ともビキニタイプか。
自信、あるんだろうな。
「スケベ」
徐に、隣りに座る薬丸が呟く。
感想は心の中に留めておいたはずだが……面目ない。鼻の下を伸ばしてしまったようだ。
「見ないように努力はしているんだけどな。
不思議なもんで、どうしても目が行ってしまうんだ」
「サクって、本当に俗っぽいよな」
「俗っぽくない奴が、告白してきた女子たちと平気な面して海に来るわけないだろ」
「……はぁ。
ボク、なんでこんな奴を好きになったんだろ」
スクール水着の上に白いパーカーを羽織る薬丸は、それはそれで魅力があるのだが、下手に褒めると厭味ったらしいのでやめておく。
代わりと言ってはなんだけど、俺は、冷えたコーラで薬丸と乾杯して、少しだけ昔話をすることにした。
「中三のあの日、お前にトドメを刺されてから、こんなふうになるなんて思いもしなかった」
「……言い方」
「事実だから仕方ない。
俺は『軌跡を剥奪する者』を読んで自分の限界を知った。
あんなに面白い小説を読んだことは……まぁ……初めてじゃなかったけどよ」
「分かってる。
サクの一番好きな小説は『異邦の騎士』だ。
あの作品を語る熱量を、キミはまだ見せてくれてない」
……。
「比べないでよ、遠すぎる」
薬丸は、フードを被ると俺の肩に頭を預ける。
あまりにも軽い薬丸の体。花朔太郎という貧弱な男でさえ、少しも動じずに支えられた。
「そりゃ、面白さじゃ敵わないだろ。
あれは正真正銘の頂上だぞ」
「……うん」
「ただ、俺が『好きな作品』ってんなら話は別だ。
『人殺しの尖塔』は、とっくに並んでるよ」
「……きゅう」
ウサギが甘えるような声だった。
薬丸は、フードの下から俺をジッと覗き込んだが、思い出したかのように離れると、コーラをガブガブ飲み、手でバサバサと顔を仰ぐ。
「お、女誑しにも程がある! 危うく落ちかけたぞ!」
俺が言うのもなんだが、もう落ちてるんじゃないのか。
「ば、バーカ! 死ねっ!」
砂を蹴っ飛ばして俺にぶっかけた薬丸は、更にパーカーまで投げつけてから三人の元へ走っていく。
誠実を証明するために嘘をつくというのは奇妙な話だが、薬丸への評価を素直に語るのは控えた方がよさそうだと俺は思った。
「……よし」
気持ちを切り替え、昨日の夜に桜宮から送られてきていた『エピソード1』のテキストファイルを開いた。
タイトルは決まっていない。人を惹きつける魅力も備わっていない。
しかし、紛れも無く小説の形をしているそれを見ると、無性に嬉しくなるのはなぜだろうな。
「……そういえば、どうして桜宮は小説を選んだんだ?」
ふと、溢れた疑問。
しかし、今はそれを考える時ではないと頭を振る。
この小説が、どうすれば多くの人に届くか。
どこまで言っても、俺が考えるべきことはそれだけなのだから。




