034 告白
……自分の部屋に戻った俺は、ここ最近、立て続けに起きたイベントを思い出していた。
薬丸幸子の絶望。
桜宮類の絶望。
牧野アメリの絶望。
そのどれもが、違う形をしている。
そして、そのどれもが、彼女たちの成長を促すカンフル剤となり得る気がしている。
図らずとも、俺はすべてを目の当たりにした。
ひょっとすると、神様とやらが、彼女たちの作家魂に火をくべる役として、俺をあてがったのかもしれない。
……。
俺は、狂っているのか?
彼女たちの絶望を、創作意欲に変換しようとする考えは間違っているのか?
「……分からん」
呟いた瞬間、シリアスモードを引き裂くように、妹たちがドタドタと部屋になだれ込んできた。
「「「きゃははっ!!」」」
堂々巡りを防いでくれた感謝の気持ちが芽生えたが――いつも通り、部屋を引っ掻き回す悪ガキ共を見て、そんな感情は吹っ飛んだ。
祭は部屋を跳ね回り、衣は俺の膝に乗り、霞はベッドでスマホを弄る。
こういう光景を見ていて飽きないというのは、実際に被害を受けない外野の意見だよなぁと、俺は思った。
「ねぇ、聞いて?
祭、今日はいっぱい勉強した。算数が出来るようになったんだよ?」
「へぇ。
じゃ、40足す58は?」
「えーっと、98!!」
ここは間違えるところだろうに。
「褒めて?」
「でかした」
「お兄ちゃん、衣はお絵かきした」
「偉い」
「霞は何もしてなーい」
「凄いなー」
……なんか、あれだな。
「てか、もっと祭たちと遊んでよ」
「最近のお兄ちゃん、つまんないよー!!」
「コイビトが出来たからでしょ、お兄ちゃんのクセに」
文芸部の連中も、これくらい分かりやすいといいんだけどな。
「うるせぇ、寝る」
俺は、膝に乗った衣を抱き抱えるとベッドに潜り込んで毛布をかぶった。
「きゃーっ!! せくはらじじい!!」
祭と霞には上からぶっ叩かれ、衣には下から蹴っ飛ばされ、散々シバき倒してからクソガキ共は部屋から出ていった。
……のだが、しばらくして、口の周りに歯磨き粉をつけたままの祭が、枕を持って再び現れた。
「一緒に寝てあげる」
口の周りを拭ってやると、祭は俺の腕の間に挟まってモゾモゾしてから呟くように言う。
「なんか、嫌なことあったの?」
一応は長女だからか、時々、祭はこうして俺の気持ちを察して寄り添ってくる時がある。
こういう様子を見ると、俺は「兄で良かった」と、少しだけ思ったりするのだ。
「何もねぇよ。
それより、祭。お前、算数得意なのか?」
「まぁね」
「それはいいことだ。
算数が得意だと、立派な姉ちゃんになれるぞ」
「えへへ、ほんと?」
「あぁ。今度、クラスの子が誰も知らない計算を教えてやる」
「やだ」
いつも通り、「やだ」を「嬉しい」に脳内変換して、勝手に満足する俺。
微妙に噛み合わない会話が、道に迷っている今の俺には心地よい。これくらい適当にやって成立する方が、人間関係的に健全な気がするぜ。
「……あぁ、そうか」
俺、疲れてるんだ。
……翌日。
「おはよう」
朝の酉島駅にて、薬丸と会った。
どうやら、偶然というわけではないらしい。彼女は、俺を見るなり近寄ってきて、無言で肩をぶつけてきた。
「少しは気分が晴れたか?」
「そう見える?」
「……いや、俺が悪かった」
敗北宣言を聞いて満足したのか、薬丸は学校に向かって歩き始めた。
それにしても、珍しい。俺の知る薬丸幸子は、いつだって遅刻ギリギリに登校してくる奴だからな。
「ねぇ、サク」
薬丸は、俺に背中を向けたまま言う。
「なんだ?」
「ボクのせいで……ごめんね」
それを言うために、俺を待っていたのか。
「こういう時、『気にするな』とか『俺が勝手にやったことだ』とか言ったって、お前はやっぱり気にするし、罪悪感を失くせないんだろうな」
「……そうだね」
「でも、俺は俺でマジに『謝られる筋合いはない』と考えてるし『罪悪感に押し潰されて欲しくない』と思うわけだ」
「何が言いたいんだよ」
「お前の罪悪感が消えるまで、メイド服でも着て尽くしてくれ。それでチャラにしよう」
薬丸は、立ち止まってゆっくりと振り返った。
「い、言ってること最低過ぎない?」
「メイド萌って、そんなに変な趣味か?」
「そういう話じゃない!! バカ!!」
普段は真っ白な薬丸の顔が、複雑な感情で歪み真っ赤に染まっていた。
「でも、俺は最初から怒ってない。そして、怒ってない相手を許すことは出来ない。
なら、お前が満足するしかない。実に簡単な話じゃないか」
「反論できないことを言うな!! サクなんて、ラクダに蹴られて死ね!!」
しかし、放課後。
「……やぁ」
どこから調達してきたのか、ミニスカートのメイド服を着て、眼帯まで装着した薬丸幸子の姿が部室にあった。
「凄いな。『現役女子高生でミニスカメイドの本格ホラー作家』なんて属性、世の中見渡してもなかなかいないぞ」
「キミがやれって言ったんだろ!?」
「悪態なんてついてないで、茶の一つでも出してくれよ」
「……んもぅ!! かしこまりました!! ご愁傷さま!!」
グラスの麦茶を飲みながら、俺は、それはもう、ジロジロと舐め回すように薬丸のメイド姿を堪能した。
口を半開きにしながら、俺と目があってはすぐに逸らすのを繰り返している。
願わくば、しばらくは罪悪感が消えないで欲しい。そんなことを思うくらいには似合ってるな。
「やっほ〜。あ、やっぱかわいい〜」
「ごきげんよう。
うふふ。お似合いですわよ、薬丸先輩」
「そ、そうかなぁ」
「なんだ、その反応。
お前ら、知ってたのか?」
三人は、俺の質問を無視して席に座った。
そんなこんなで、何も解決してないけれど、俺たちは再び部室に集合して活動を開始する。
時間は、物事を解決するまで待ってくれたりなんてしない。
俺たちは傷を負ったまま、それでも青春を謳歌するしかないのだ。
「……ねぇ、朔太郎」
唐突に、隣りに座る桜宮が口を開く。
「ん?」
「好きよ」
牧野と薬丸が、手を止めて桜宮を見た。
「……急にぶっ込んできたな」
「わたくしは、牧野先輩と薬丸先輩に遅れをとっているのだから仕方ないでしょう。
追いつくためには、勇気を出さなければいけないのですわ」
ここにいる、俺以外の全員が落ち着いている。
そのことが、更に異常性を引き立てていた。
「それで、俺はどうすればいい」
「別に、何も」
桜宮は、スマホを机に置くと、頬杖をついて俺を見る。
「ここ最近、不幸な目にあっているようですからね。
類お嬢様からの小粋なサービスとして、わざわざ伝えてあげたのよ」
「そ、そうか。
まぁ、確かに幸せな気分にはなったけどよ」
「それに、あなたはね。朔太郎。
きっと、自分を好きだと言う女子を見捨てられないでしょう?」
強かな桜宮の、妖しい表情。
「わたくしには、牧野先輩や薬丸先輩のように才能がない。だから、見捨てられるかもしれない。
そういう不安を、少しでも考えなくて済むように、言わばわたくし自身の処世術でもありますの」
「別に、最初から見捨てる気はねぇよ」
「嘘ばっかり。
わたくし、知ってるのよ。牧野先輩に聞いたんだから」
牧野は、どこか諦めたように優しく微笑む。
「二人にバラしちゃった。それで、二人の身に起きたことも全部聞いた。
それでね、改めて思ったことがあるの。もう、絶対に抑えきれないこと」
「な、なんだ」
「花のこと、大好きだよ」
牧野は、まるで当たり前のように俺に告げて、隣の薬丸に問いかける。
「幸子は?」
「ボ、ボク!?
いや、ボクはこんな鈍感男なんて――」
しかし、薬丸は自分の身に着けているメイド服を見つめると、顔を更に真っ赤に染めてから、俯いたままで精一杯に言葉を紡いだ。
「す、す、好きだよ。
……きっと、昔から、誰がどう見たって誤魔化しようのないくらい」
……。
「お前ら、なんで、そんなこと言い出すんだ」
「だって、とっくに知ってたでしょ?」
牧野の一言で、俺の心臓が締め付けられる。
「私ね、確信したんだ。
花は、これからも私たちのことを助けてくれるって」
「それは――」
「でも、その度に肝心の恋愛の部分だけ宙ぶらりんでさ。
絶対に『私のこと、どう思ってるんだろ』って心配になって、不安定になって――」
ゆらり。
牧野は、その青い目に俺を捉えた。
「だから、花には好きなだけ甘えていいって思える証拠が欲しい。
今は、書くことだけに集中していたい」
俺の意志は関係ないのか、とか。
俺のいないところで勝手に決めるな、とか。
そんなことを、少しも思わなかったわけじゃない。
ただ、この非現実的な状況に至るまでの自分の行いを思い返せば、何を言ったって言い逃れにしかならないと分かってしまった。
「因みに、そのメイド服はわたくしの私物ですわ。
薬丸先輩に頼まれたから、今朝、家から持ってこさせたの」
「道理で、大したリアクションもなかったわけか」
「か、勘違いするなよ。
ボクらは『好き』って伝えただけで『恋人になって欲しい』って言ってるわけじゃない」
「あ、あぁ?」
「つまり、サクはボクたちをフることが出来ないんだよ。
残念だったな」
急に何を勝ち誇ってるんだ、このメイドは。
「わたくしたちは、もう、朔太郎なしでは立ち向かえない壁にぶつかっているの」
「あ、あぁ」
「サクだったら、その責任をとるべきだって分かるだろ?」
「そうだな」
「だから、いいよね? 花」
……知っていた。
心の何処かで、いつかこんなふうになるんじゃないかって分かっていたのに、それでも俺は突き進んだ。
それが、花朔太郎という人間の本質。
俗っぽさを誤魔化す余地のない、何よりも爛れた最悪のアンサー。
ここにあるのは、ただ『面白さ』だけを突き詰めた末に辿り着いた結末だ。
否定することなど出来ない。そして、もう、この関係を無くして、俺たちは生きられないのだ。
……。
俺は、一度だけ目を閉じて今日までの出来事を思い出してから、大きく息を吸い込んだ。
「要するに、今までと何も変わらないってことだろ」
三人は、一様に驚いてから笑う。
「お前たちは、安心して小説を書け。その他のことは、なんでもやってやる」
俺は、『主人公』ではなく『殉教者』なのだろう。
……もう、後戻りは出来ない。
この、血で書かれた契約書にサインを書いた非現実に、俺は苦笑いすることしか出来なかった。




