032 ファーストキス
この虐めに、意味なんてない。
そもそも、彼らは誰も、虐めだとすら思っていない。
おもちゃが置いてあるから、遊んでいるだけ。
それが、きっと彼らの共通認識なのだろうと、俺は物理の授業をぼんやりと聞きながら思った。
「力、貸すか?」
帰り支度をしている俺へ、相変わらず唐突に寛が言う。
「やめとけ。
全国大会が控えてるんだろ? 校内暴力を起こせば、出場停止くらいにはなるぜ」
「暴力なんてしねぇよ」
「いや、やるね。
だって、お前、俺のこと好きじゃん」
「……言ってろ」
寛は、少しだけ笑って俺の肩を叩く。
そんな俺たちに近づいてくる、意外な男子の姿が目に入った。
「ネットのこと、見たぞ。
あれ、本当のことか?」
「見たままだよ、佐伯」
彼の後ろに視線を向けると、ヒソヒソと話すグループの中で一人、牧野だけが心配そうに俺を見ていた。
「……お前、本当にムカつくな」
人には生まれつき、どうしても相容れない奴ってのがいるらしいが――どうやら、俺たちは互いにそう思っているようだ。
安心した。
俺の一方通行だったら、どうしようかと思ってたところだからな。
「それで、なんの用だ?」
「助けたいんだ、お前のこと」
「なんで」
「……お前、頭に包帯巻きながら『なんで』はないだろ。
状況、分かってないのか?」
「分かってる。
だから、訊いたんだろ」
「はぁ?」
「俺の味方なんてしたら、お前らがバカにされるって言ってんだよ」
佐伯は、拳を握ると俺を睨みつけた。
「なんだよ、それ。
俺には、お前を救えないって言うのか?」
「実力の話じゃない、スケールの問題だ。
今、酉島高校の生徒は、世間の風評を味方に俺を測ってる。
幾らお前がクラスのリーダーでも、ここまでデカくなった問題を解決するのは厳しい」
「やってみなきゃ分からないだろ。
みんなを説得すれば、上手くいくかもしれないじゃないか」
「だから――いや、もういい。
とにかく、俺のことはほっとけ。今は、ほとぼりが冷めるのを待つしかないんだ」
「……ふざけやがって」
佐伯は、唇を噛み締めてから踵を返す。
寛も呆れた様子で首を横に振り、鞄を背負って教室から出て行った。
「……やれやれ」
部室へ向かう途中、走って追いかけて来た牧野が何も言わず俺の腕を掴んだ。
下を向いて息を切らせている。スクールバッグが開いている。
それだけで、彼女が佐伯たちと何を話し合ったのか少し分かった気がした。
「どうして?」
……。
「どうして、こんな目にあってるのに、他人事みたいにいられるの?」
「本所誠に質問した。
読書家にとって、これ以上の罪はない」
「そんなことないよ!!」
顔を上げた牧野は、乱れた前髪のまま俺を真っ直ぐに見据えた。
「花は、幸子を助けただけじゃん!! むしろ、褒められることをしたんじゃん!!
なのに、陰口言われて!! 嘘告されて!! 包帯まで巻いて!!
こんなの絶対におかしいよ!! どうして、みんな――」
「面白いから、じゃねぇかな」
『絶句』という言葉が、これ以上相応しい表情を、俺は今まで見たことがない。
そう感じるほど、牧野は絶望にくれた顔をしていた。
「面白ければ、何をしたって構わない。
俺のやって来たことが、そっくりそのまま返ってきただけさ」
手が離された。
「……面白くなんて、ない」
俯き、呟くように言う。
「こんなの、少しも面白くないよ」
その声は、大きく震えていた。
「……花が、そう言うならいい。
私、勝手にやる」
「落ち着けよ、牧野。相手は個人じゃなくて『空気』だ。
今、この学校には俺を虐めていいって空気が――」
「関係ない!!!!!!」
廊下の奥まで響き渡る、牧野の怒号。
遠くに、声を聞きつけた生徒が次々と集まってくるのが見える。
「もう、関係ないんだよ。
これ以上、花に何もしてあげられないのは嫌だ……っ」
目から、大粒の涙をポロポロと流しながらも、真っ直ぐと立っている牧野。
少しの余裕もない、崩れそうな表情。一度だけ目を閉じると、彼女は踵を返して野次馬へ叫ぶ。
「花は、間違ってなんか――」
瞬間、俺は牧野の手首を掴んだ。
「やめろ」
彼女は、大きく腕を振る。
「離して……っ。離してよ!!」
「大丈夫」
「なん……で……っ」
「まだ、大丈夫だから」
牧野は、力を抜いてだらんと腕を垂らす。
静かに離すと、彼女は何も言わず、部室とは反対側へ向かった。
「どこ行くんだ」
「どこでもいいでしょ、放っといて」
俺は、薬丸と桜宮に「俺と牧野は休み」とラインを送って牧野を追いかけた。
「ついてこないでよ」
「ダメだ、何をしでかすか分からん。
今日はずっと一緒にいる」
「……ぅえ?」
「薬丸と桜宮には連絡した。
もっとも、あいつらが今日、部室に来るか知らんけどな」
「か、勝手なことしないでよっ!」
「心配かけるなって言ってんだよ、アホ」
「も〜〜〜〜っ!!
本っ当なんなのよ!! 今日の花、嫌いっ!!」
衆目の面前で牧野を追いかけること自体、火に油を注ぐ行為に違いないのだが――まぁ、傍から見れば彼女は被害者だろうさ。
「帰るのか?」
「カラオケ!! 花が邪魔するから!!」
てなわけで、俺は牧野とカラオケにやってきた。
実を言えば、俺は生まれて初めてだ。
ドリンクバーもあるし、牧野が飽きたら長編のアイデア出しをやれるし、いい場所だと思った。
「えっ、カラオケ来たことない高校生とかいんの?」
「友達と来るところだろ、ここ」
牧野は、一瞬気まずそうな顔をしてから、しかし、怒っていることを思い出してプイとそっぽを向いた。
無音が、聞こえる。
「花って……さ」
「ん?」
「好きな人とか、出来たことある?」
「なんだ、そりゃ。取材か?」
「……まぁ、そんな感じ」
俺は、デンモクの履歴を見ながら答える。
「う〜ん。
いたような、いなかったような」
「なにそれ」
「中三の時に、バレンタインチョコを貰ったことがあった。
送り主は分からなかったけど、それを送ってくれた奴のこと、妄想してたら好きになってた」
「……なんか、花っぽい」
当時、薬丸に話したら、やたらとからかわれたっけ。
ただ、そのやり取りをキッカケに編集を請け負うことになったから、あながち悪い思い出でもないが。
「でも、ホワイトデーが来てさ。
誰に返せばいいのか分かんねぇけど、とりあえず買ってきたチョコ、結局自分で食ったんだ。
そこで、俺の初恋は終わった。これ以上好きでいても、意味が無いって思ったから」
牧野は、ゆっくりと俯いてため息をついた。
「寂しいね」
「なにが」
「恋って、落ちるものだもん。
自分で止めようと思って止められるなら、みんな不幸にならないよ」
「つまり、俺が好きだったのは、送り主じゃなくて妄想自体ってことか?」
「……私、歌う。
デンモク貸して」
それから、牧野は時間いっぱいまで歌っていた。
あれだけ上手に歌えれば、さぞ気持ちのいいことだろう。
なぜか、昭和アイドルの曲ばかりで馴染みがなかったけれど。
「それじゃ、ご飯食べに行こ」
「まだ奢らせるのか」
「だって、今日はずっと一緒にいるんでしょ?
いいのかなー。私、口が滑って花のこと守っちゃうかもなー」
「どういう脅し文句なんだよ、それ」
……唐突に、カメラのシャッター音が聞こえた。
一度、二度。
引き攣るような、笑い声。
ふと、周囲を見渡す。
そこには、スマホを向ける女子が一人。酉島高校の制服を着ていた。
「分かってたんだよ!!」
叫ぶと、女子生徒は一目散に逃げ出した。
彼女を追うために、俺は鞄をその場に置いて全力で走る。
「趣味悪いな、あんた」
肩を掴んだのは、駅から離れたどこかの公園。女子生徒は、激しく息を切らせている。
よかった。彼女が運動得意だったら、こう上手くはいかなかったろう。
「撮った写真、消してくれ。
大人しく従わねぇなら――」
……振り返った顔を、俺は知っていた。
「ん……っ!?」
唐突に、彼女は俺の唇へ舌をねじ込む。
「……ぷはっ!! な、な、なにしや――」
公園の入口で、手から俺の鞄を零す牧野の姿が見えた。
「そうだよ。
あたし、昔から男の趣味が悪いの」
その正体は、今朝、俺に嘘告をしてきた女子生徒。
「あは……っ。あははははっ!!」
月光に照らされた歪な笑みと、狂ったような甲高い声の中。
俺は、何も言えずにその場で立ち尽くしていた。




