028 敗北
俺の焦燥感をよそに、文ジェネは呑気なアバンタイトルから始まった。
スタジオには、MCを務める声優が一人。
彼女のよく通る声で淀みない説明がされたあと、ほどなくして、薬丸幸子と本所誠は登場した。
「改めまして、本日のゲストの紹介っ!!
文豪サイドは本所誠先生!! そして、ニュージェネサイドは堕天丸太先生ですっ!!」
……にこやかに会釈をした本所とは対象的に、薬丸は何も言わず向かい合うソファに座る。
嘗て、俺が見た本所誠の姿。
しかし、それが世を忍ぶ仮の姿であることを知っている今の俺には、この上なく不気味な代物に見えた。
「それでは、まずはお二人の作品について――」
「堕天君。キミは、死んだことがあるか?」
んな……っ。
「ど、どういう意味……だ?」
「そのままの意味だ。
一度、命を失ったことがあるか。それを僕は問うている」
い、意味が分からない。
彼は、一体何を言っているのだ。
「そ、そんなわけないだろ。
死んだことがあったら、ボクはここにいない」
「ならば、君は想像だけであれほどの恐怖を創り出したのか。
天晴だ、尊敬に値する」
「……なんだよ、それ。
まるで、『本所誠は死んだことがある』とでも言いたげじゃないか」
「その通りだ」
低く誠実な声を聞いて、額に嫌な汗が滲み出すのが分かった。
「そんなバカな話があるか!!」
薬丸は、立ち上がって叫んだ。
しかし、本所誠が薬丸に向けた瞳は、既に楽屋で見た漆黒ではなくなっている。
それは、俺もよく知っている、静かに微笑んだ初老の紳士の、あまりにも澄んだ優しい色だ。
「お、落ち着いてください」
MCがテンパり、配信画面に流れるコメントが荒れ始める。
しかし、薬丸は落ち着けない。
当たり前だ。むしろ、こんな状況で、あれほどの自尊心の持ち主が落ち着けるわけがなかった。
何故なら、彼女はたった今、神域から追放されたのだから。
「ボクは信じない……信じないぞ!!
ホラーは、『死』という恐怖に向けて連想を組み立てる方程式だ!!
それなのに、お前は一度死んでいるだって!?
ふざけるな!! お前は、生み出していないというのか!? 自分を『観測者』だとでも思っているのか!!」
「一つ、事実を伝えよう」
落ち着き払った声で一蹴する本所誠。
「事実、だと?」
「ホラーにおける『死』とは、数学における『解』のように美しくはない。
故に、絶望なのだ」
……薬丸の心が折れた。
怯える彼女の表情は、俺にそれだけを教えていた。
「あの、えっとー……」
シンと静かになったスタジオに、狼狽えるMCの声がポツンと響く。
コメント欄は、怪物の異常性で更に盛り上がる。開始直後に訪れた放送事故は、現場の冷え切った空気をよそに、観客のボルテージを上げていく。
番組の視聴者数は、少女の尊厳を踏み躙ることで、加速度的に数字を伸ばしていった。
「……っ」
なぜだ、本所誠。
なぜ、あなたほどの作家が、薬丸を潰すようなマネをするんだ。
「じゅ、順番が前後してしまいましたが、お二人の作品の紹介をしたいと思いま〜す〜……」
MCは、引きつった笑顔で番組を進行する。
残された地獄のような二十五分を、薬丸はひたすらに俯いて過ごしていたが――実を言えば、俺の意識は彼女への心配ではなく、本所誠の真意に向いていた。
冷静に考えろ。
人が死ねば、生き返るわけがない。ならば、彼の言葉には意味がある。
落とし込め。
理解が及ばないのなら、俺の理解している構造と結び付けろ。
結果とは、過程という柱によって構築される現象だ。
ならば、その柱を一つでも掴むことが出来れば、薬丸が間違っていないことを証明出来るかもしれない。
誤解に辿り着いたのではなく、未完成であることを証明出来れば彼女をこの窮地から――。
「未完成……?」
ひょっとして、『死』は結末じゃないのか?
もし仮に、『死』が変数の一つでしかないのなら、本所誠はその先に何を見た?
死ぬことよりも深い絶望。命の終わりすら生温い恐怖。そういうものの存在を知っているから、彼は本物たり得たのだろうか。
……焦るな。
知った気になって安心するな、朔太郎。
凡人である俺が思いつく答えが、天才の答えであるはずがない。
それは、この世界で何よりも信じられる、理屈のいらない答えじゃないか。
前提をひっくり返せ。
人が、死んで生き返る方法。
いや、死にながら生きていられる方法は――。
「作家の命は、どこにある?」
呟いた瞬間、ゆるりとソファに座る本所誠が、あの漆黒の目をギョロと俺に向けた。
……ただ、それだけだった。
「そ、それでは、最後に堕天先生から本所先生への質問をお願いします」
冷え切ったスタジオに、諦めを含んだMCの声が響く。
しかし、薬丸は動かない。膝を両手で掴み、洞穴のウサギのように縮こまっている。
逃げることすら敵わない、圧倒的な絶望が、彼女の小さな体に覆い被さっていた。
だから――。
「本所先生」
俺は、迷わず編集者を遂行した。
「なぜ、『死』という絶望を知る先生が、ホラーを生業としているのでしょう。怖く……ないんですか?」
本所誠は、歪に笑う。
「堕天君。
キミも、死ねるかもしれないな」
……やはり、俺が神域に踏み込むことは許されなかった。
ただ、その先触れを見たのは確かだ。
凡人の身でありながら、彼に漆黒を向けられた理由を考えなければならない。
それが、薬丸に『死』を届ける唯一の方法だと感じた。
……。
「帰ろう、薬丸」
楽屋で項垂れる薬丸に言う。
既に、高田さんは別の仕事へ向かった。楽屋にいるのは、俺と薬丸の二人だけだ。
「み、見てよ。サク。まだ、怖くて足が震えてるんだ」
悲痛な声。
唇を噛み締める仕草が、彼女の苦しみを俺に伝える。
「へ、へへっ。
なんだよ、あれ。ズルじゃん。勝てるわけないじゃん。
ね、サク。おかしいよね。ボクが間違ってるわけじゃないよね」
……もう本所誠はいないのに、俺に八つ当たりするわけでもなく、負け惜しみを言うわけでもない。
彼女は、ただ、逃げる理由を探していた。
「だ、大体、なんでボクにあんな怖いことするんだよ。ちょっと遊ぼうと思っただけじゃん。
意味分かんない。本所誠からすれば、ボクなんて有象無象に決まってるのに」
……見てられなかった。
「ボクが戦うのは、賞レースに参加する作家だよ。
なんで、あんな化け物と比べられなきゃいけないんだ。
ひ、酷いなぁ。高田さん。ボクに、こんな仕事を持ってくるなんて。ねぇ?」
自尊心の欠片を拾い集める薬丸の姿を見て生まれたそれは、やがて、俺の頬を伝って零れ落ちる。
「負けてねぇよ」
「……え?」
「お前は、負けてない」
自分が、何に対してそう言ったのかは分からなかった。
ただ、心の底から出た言葉だった。
「な、なんだよ。
珍しいじゃないか。サクが、そんなふうになるなんて」
「……っ」
「……ボクは我慢したんだからな。
……全部、サクのせいだからな」
薬丸は、俺に抱き着くと静かに泣いた。
きっと、誰が見たっておかしいと言うだろう。
頂点に立つ作家と、ようやく一冊の本を出すことが決まっただけの作家を比べて、悔しがる方が狂ってると感じるだろう。
でも、そうじゃないんだ。
悔しかったのは、実績とか、立場とか、そんなものを比べられたからじゃない。
これほどまでに憧れた薬丸幸子の、信念の崩壊を見ていることしか出来ない自分の非力さが嫌で仕方ないからだ。
だから、彼女を抱き返してやることが出来なかった。
俺は、天井を見上げたまま、止まらない涙を流し続けていた。




