022 恋愛ってめんどくさい
「失礼します」
「いらっしゃい、花ちゃん」
……おい、嘘だろ。
「こういう時って、しばらく間を空けるもんじゃねぇのかな」
「し、知らないよ!! てか、後から来たのは花でしょ!?」
牧野は、ベッドの上で吼えた。
まぁ、考えてみれば、こんな時に俺たちが頼れる人なんて矢代先生しかいないか。
他の誰も、俺たちの事情を知らないしな。
「あら、酷い傷ね。大丈夫?」
俺の顔を見るなり、先生は駆け寄って容態を見てくれた。
相変わらず、緊急時には頼り甲斐のあることをしてくれる人だ。
痴女だけど。
「ちゃんと冷やしておかないとね」
……先生が、いつものジョークを言わない。
それどころか、傷の手当をすると俺を牧野の隣のベッドにつかせ、黙って自分の仕事に取り掛かっている。
牧野は、横になって俺をジッと見ていた。
「眠くないのか?」
「……」
「無視してどうなる」
「……」
「お前のせいで殴られたぞ」
「んなっ!? そ、そういうのって普通は隠すでしょ!?」
後で何が起きたのかを知って、無駄に罪悪感を覚えられるよりはいいと思ったのだ。
悔しそうに喚いた後で、ジタバタと暴れた牧野は、布団を頭から被って背中を向けた。
「……私がさ」
「ん?」
「私が最初、なんて言って花に編集をお願いしたか、覚えてる?」
「あ、あぁ。確か、こうだったな」
そんなに詳しいなら私が書くの手伝ってよ。実は、そろそろネタが苦しくて――。
その先の言葉を、俺は遮って断ったっけ。
「あれ、嘘じゃないよ」
「……え?」
天才の言葉に、思わず自分の正気を疑った。
「あの時は、ずっと溜まってた嫌な気持ち、全部書いてたから凄くスッキリした。
でも、それだけ。楽しいのに、他に書きたいことが一つも無かった。本当は、私、あそこで終わってたの」
……。
「なのに、花は褒めてくれた。花だけが、『恋愛ってめんどくさい』を褒めてくれた。
そしたらさ、嘘だって分かってても、『エネルギー』なんて変なこと言われても……んふふ。やっぱ、嬉しくなっちゃって。
だから、もっと花に褒めてもらいたいって……そう、思っちゃって――」
そして、生まれたのが『ずっと一緒って言って欲しい』だった。
「最初は花が喜んでくれればいいって、そう思って書いてた。
でも、花が手伝ってくれたお陰で、凄くいい小説が出来ちゃって、瞬く間にランキングを駆け上がってさ……。
一人で書いてた時は、こんなことになるなんて思いもしなかった」
言いかけたいつもの言葉。
しかし、強く唇を噛み締めて止める。
「読者がいっぱい出来た。感想も貰えた。しかも、作家の友達まで――欲しかったもの、全部手に入っちゃった。
楽しくって、なんか幸せだーって感じて、このままやっていけたら、凄くいいなって思って――でも、『純愛マグニチュード』を書いてる時、私、こう思ってた」
もっと、面白いものを書かないと。
「すぐに投稿しなきゃいけないって。読者の人たちを待たせちゃいけないって。幸子に追いつかなきゃって。
ずっと、そればっかり考えてた。意味なんて無いのに、花は無理するなって言ってくれてたのに。ずっと、ずっと……っ」
「聞いてるよ」
「……ねぇ、花。どうして、こんなふうになっちゃったんだろ。
凄く楽しかったのに、花だけでよかったのに。どうして……どうして……っ」
震える牧野を見て、こんな時、俺が女子を優しく抱き締めてあげられる奴だったなら、と、一瞬だけ考え、すぐに妄想を掻き消した。
本当に、一瞬だけだ。
なぜなら、そんなことをする奴は、絶対に花朔太郎じゃないから。
「なぁ、牧野」
赤く濡れた目が、ゆっくりと俺に向けられる。
「俺は、お前の小説が好きだ」
涙が、一粒だけ頬を伝う。
「本当に、大好きなんだ」
……ここにいるのは、今は何者でもない俺と彼女だけだった。
時計は、いつも通りに秒針を刻む。チョークが黒板を叩く音が、廊下の奥から届いて。遠くには、ホイッスルの残響が広がっていって。
そんな、いつもの青春が、立ち止まった俺たちを置いて先に進んでしまうから――。
「ぁ……」
俺は、たった一度だけ、目の前で泣いている女の子の頭を優しく撫でた。
それが、俺の精一杯だった。
「……ねぇ、花」
「なんだ?」
「花は、私らしさってなんだと思う?」
『らしさ』に藻掻く彼女の姿が、何よりも牧野アメリを表している。
その眩しさに、俺は思わず目を細めた。
「……教えて、くれないの?」
牧野は、頭の上に乗せたままの右手に何度も髪を押し付けると、静かに笑う。
「俺は、編集者だから」
「……そっか」
やがて、満足したのだろう。
ゆっくりと右手から離れると、大きく息を吸い込んでから、自分の足で立ち上がった。
「佐伯君……だよね。その傷」
「さぁ、どうだろうな」
「本当は、そんなことする人じゃないんだよ。でも――」
「大丈夫、分かってるよ」
牧野の言葉を遮り、俺は皮肉を込めて笑う。
そんなこと、言葉にして説明するようじゃ、作家として失格だからさ。
「……うんっ」
放課後になり部室に行くと、既に牧野が席について、真剣な表情でポチポチとスマホを操作していた。
今日は既に一本、短編を完成させているというのに驚きだ。こいつのバイタリティは、本当に底無しだな。
「薬丸は?」
「疲れてるから休むって、さっき連絡があったよ」
俺は、二つの湯呑に茶を注ぐと、一つを牧野の前に置いて座る。
書き終えた原稿が無い以上やることはない。
俺は、古ぼけた本棚から一冊のノートを取り出すと、ゆっくり文章を目で追った。
「それ、ボロボロだね。何が書いてあるの?」
「昔の俺が、一番面白いと思ってたことだ」
その説明を、牧野は挑戦状と受け取ったのかもしれない。
べっと舌を出して不機嫌を顕にすると、さっきよりも更に素早いスピードで物語を紡いでいく。
……次に、彼女が口を開いたのは活動が終わる少し前。
「出来たよ」
文庫本から彼女に視線を移すと、その青い目は、力強く俺の姿を捉えていた。
他に言葉はない。その潔さが、どうしようもなく牧野アメリらしいと、俺は強く思った。
……。
「読もうか」
その作品『谷底に咲く』は、想い人に恋人がいると知った主人公が、失恋を糧に演劇で頭角を表し、最後にはメインヒロインへと成り上がる短編の恋愛小説だった。
「どう……かな……?」
「どうもこうもねぇよ」
余韻の重さに頭を抱えながら、呟くように告げる。
「……最高だ」
絶対に結ばれない相手と、演劇の中では恋人になるというクライマックス。
シーンの美しさもそうだが、俺が最も感心したのは、物語の途中で読者に絶望を叩きつけたその構成だ。
「何も知らずに幸せを語る想い人のリアリティが、残酷さを一層引き立てている。
それでも、主人公を愛してしまった読者は、最後の一文字まで淡い希望に縋るのだろう。
……まさか、こんな形で読ませてくるとは。本当に驚いたよ」
最早、考察もへったくれもない。
俺は、牧野の得意に捻じ伏せられた。
「あのね、花。私、えっと、その――」
「ゾクゾクしただろ」
驚いて目を見開いた後、静かに俯く牧野。
「お前の思惑通りに感動した俺を見て、気持ちよくなかったか? 求められた展開を裏切った上で、俺を満足させた自分の実力に酔いしれなかったか?」
「……これが、創作なんだね」
そう。
創作とは、選ばれし人間にのみ許された究極の存在証明。
そして、面白ければ全てが肯定される、最も純粋な勝負の舞台。
……俺が二人に託した夢は、きっと、そういうものだ。
「なぁ、牧野」
だから、一つだけ知らなきゃいけないことがある。
「お前、どうして小説を書いてるんだ?」
彼女は、再び、なんの迷いもなく答えた。
「書きたいから」
……。
「さて、このまま投稿といきたいところだが――実を言うと、『谷底に咲く』も幾つか手を加えられる箇所がある」
「どばーっ!? 嘘でしょ!!
だって、心を揺さぶられたし、予想を裏切られたし、熱く滾ったでしょ!?」
「感動したよ、マジに面白かった。
けれど、説明不足や勢い任せな部分があるのも確かだ。完璧とは言えない」
「ん〜もぅ!! 絶対に花の一番になったと思ったのに!!」
ポカポカと俺を叩いた後、肩を落とし、拗ねてジト目になった牧野の前へ軽く握った拳を突き出す。
「やろう、牧野」
俺は、彼女が呼応してくれるまで、静かに青い目を見つめていた。




