021 ズレ
「風穴は――」
いや、考えるな。
まだ、一晩しか経ってない。
『人殺しの尖塔』は、一括投稿されている。更新欄を埋め尽くすという異常性は示した。
この作品に触れた読者のほとんどは、長く読むことを前提にしているはずだ。覚悟を持った玄人が、薬丸を見つけてくれたはずなんだ。
「……だから、大丈夫」
学校に行く途中で、牧野とばったり出会った。
どこか元気がなさそうだ。ひょっとして、昨日のことで考え過ぎて、また寝不足にでもなっているのだろうか。
「おはよう、牧野」
「あ、花。おはよう」
前髪を直すと、取り繕うように笑う牧野。
「あの、さ」
「ん?」
「今回はね、ランキング、ちゃんと確認するんだ。今朝は八位だったよ」
そういえば、『人殺しの尖塔』の動向を見ただけで、『水槽の中で飼ってる初恋』のチェックにまで気が回ってなかった。
「へぇ、もうそこまで行ったのか。やっぱ、固定読者も増えてるみたいだな」
「あれ、見てなかったの?」
牧野の切なそうな表情に、思わず反応が遅れた。
「……そ、そっか。まぁ、今は幸子の方が気になるもんね」
また何か拗らせてるのか。
こいつ、様子がおかしいぞ。
「……」
さて、どうやって言い訳しよう――なんて呑気に考えた時、ふと、牧野は俺のシャツの腰の辺りを指で摘んで立ち止まる。
「分かってるよ」
……いや、分かってないな。
「気持ちは分かるが――そういう悩みを抱えるのは、もうちょい先のフェーズなんじゃないか?
処女作を含めたって、お前の執筆歴はそう長くないだろ」
「でも、花が言ってくれたんだよ。私が天才だって」
……しまった。
「才能があるからって、そんなプレッシャーを抱える必要はない」
「幸子は、必死に頑張って『人殺しの尖塔』を完成させた。だから、私も頑張らないと」
「違う。お前は、書くのが楽しくて書いてるんだろ?
だったら、楽しくない時は書かなくていいんだよ」
「……」
「たまには、インプットを楽しんでみるのもいいと思うぞ。
気晴らしになるし、きっと、インスピレーションが刺激されて創作意欲も湧いてくる。
うん、そうだ。そうに違いない。な? そうだろ?」
俺らしくもない、のべつ幕なしのアドバイスに、牧野は更なる不信感を覚えたのかもしれない。
「……うん」
俺は、遠ざかっていく彼女の背中を、ただ見ていることしか出来なかった。
……。
自習となった数学の時間。ふと牧野を見ると、彼女はスマホを弄っていた。
書いて、消して、書いて、また消して。考えるまでもない。あれは、小説を執筆しているのだろう。
……けれど、それは、俺が知っているいつもの牧野の姿ではない。
楽しいから書いているはずなのに、妙に焦りが見える表情。
時々、不安げに窓の外を見つめ、再び一心不乱に作業に取り組む姿勢。
そんな、明らかに異常な彼女が、唐突に呟いたのは――。
「ちゃんと、分かってもらえるようにしないと」
……。
昼休みになり、校舎裏でランキングを確認すると、『水槽で飼ってる初恋』は申告よりも一つ上の日間七位という健闘ぶりを見せていた。
上位は……やはり、商業作家か。
ならば、『人殺しの尖塔』は――。
「落ち着け、朔太郎。そうじゃねぇだろ」
自分に言い聞かせてから、ラブコメの上位作品を読んでいく。
すると、ほんの僅か、牧野の小説から読者に理解させようとする意思が見えた気がした。
異世界における、メイドとご主人の恋愛。
テーマとキャラクターの深みを両立させようとした結果、瞬間的な楽しみが減ってしまったのかもしれない。
……これは、俺の実力不足だな。
「そういえば、『虐めてくる叔母様』の舞台も異世界だったな」
なにか、引っ掛かっている。
あと一つ。あと一つでもヒントを貰えれば、牧野の得意が掴めそうな気がするのだが――。
「感想欄にヒントは……ないか」
当たり前だ。幸せな物語なんだから。
読後の読者は毒気を抜かれ、きっと、風呂上がりのようにほっこりしている。
作者を褒め、次の期待を表すメッセージばかりを残すのは、至極自然なことだ。
幸せ『だけ』の、頭打ち。
この、一つもヒントにならない感想欄自体が、まるで今の牧野の限界を表しているように――。
「あ、あぁ?」
牧野のページに飛ぶと、つい今しがた投稿されたらしい、新たな作品が表示されていた。
タイトルは『純愛マグニチュード』。例の三十本の中にもなかった、牧野の完全なる短編新作。
先程の授業中に描かれた、俺の手が一つも加わってない作品だった。
「……なんだ、これは」
ハイコンテクストな会話。脈略の無いポエム。薄っぺらい感動。そして――致命的なまでのライブ感の欠如。
これが、天才・牧野アメリの作品だと言うのか。まるで、キャラクターの説明書じゃないか。
……思った瞬間、嫌な予感が脳裏を掠めた。
「やめろ」
思わず呟き、震える指で感想欄を開く。
しかし、更新されたページには、『今回も面白かったです』の文字列が無機質に表示された。
……なぜだ。
なぜ、こんな作品を肯定する?
どう見たって、今までの三作品とは比べようもない出来じゃないか。
洗練されたキャラクターとライブ感。それが、お前たち読者が四花しごとに求めているものじゃないのか?
こんな素人丸出しの作品を肯定して、それが作者のためになるとでも思っているのか!?
違う。
牧野の実力はこんなもんじゃない。あいつは天才だ。もっと上にいける逸材なんだ。ならば――。
「間違っているのは……俺か?」
無能な完璧主義者は必ず人の足を引っ張る。
牧野を文芸部に迎え入れたあの日、寛に言ったセリフを思い出す。
続けざま、一度は編集を辞め、薬丸を一人ぼっちにしてしまった過去まで蘇ってくる。
記憶が、激しく俺を責め立てた。
「……やーめた」
俺は、寝た。
薄暗い校舎の陰、吹き抜ける五月の風。スマホをしまって、コンクリの上で大の字になって、予鈴が鳴っているのもすべて無視して、俺は寝た。
俺か、牧野か、システムか。
なにが間違っているのか分かるまで、俺は何もするべきではない。
そう、思ったから。
……。
翌日。
いつも通りに妹たちを見送り、昨日の嫌な気分を引きずったまま教室へ入ると、牧野は机に顔を伏せていた。
周囲には、数人のクラスメートが集まっていて、口々に心配の言葉をかけている。
体調を気にしている彼らを横目に彼女の席の隣を歩いた時、ふと、青く光る目が俺を視界に捉える。
「挨拶くらいしてよ、花」
……。
「なんで、教室では無視するの」
瞬間、クラスメートたちの視線が俺に注がれる。
「やっぱ、ダメだったよ。分かってたんでしょ?」
それらは驚きに満ちており、やがて、疑問に満ちていく。
彼らの中には、苦しんでいる牧野を思って、怒りを覚えた奴もいたかもしれない。
「八つ当たりかよ、牧野。らしくないぜ」
すると、彼女は勢いよく立ち上がり、人集りの隙間から震える手で俺の腕を掴む。
「じゃあ、私らしいってなに?」
……いつものように誤魔化す気は起きなかった。
なぜなら、牧野の目の下に、あの薄黒いくまが出来ていたからだ。
「教えてよ、花。私らしさって、なに?」
教室からは、すっかり音が消えている。
……俺は、やめたはずなのに、やっぱり言わずにはいられなかった。
「なんで、無理してんだ」
「質問に答えて」
「お前が答えろ、牧野。なんで無理してんだ」
掴まれた腕を翻し、逆に牧野の手を強く握って真っ直ぐに見つめる。
すると、彼女は次第に目を伏せ、やがて、消え入るような声で呟いた。
「だ、だって、私は――」
「なんで、そんなに心配かけるんだよ」
狼狽える彼女の姿に、心の底から出た言葉。
徹夜して考えていたことも、編集を通して投稿しなかったことも、暗黙の了解を破ったことも、本当は、全部どうでもよかった。
でも、他に言葉が見つからなくて、それしか言えなかった。
「……もう、分かんないよ」
手を離すと、牧野は俺の胸を弱々しく叩いてから、静かに教室から出て行った。
刹那――。
「おい!! お前、アメリに何をしたんだよ!! 何があったら、あいつがあんな顔するんだよ!?」
俺は、クラスの男子代表である佐伯に胸ぐらを掴まれ、おまけに黒板へ叩きつけられていた。
教室での勘違いイベントは、ギャグに限るものだと思ってたよ。
「黙ってないでなんとか言えよ、花ァ!!」
そう言われても、俺には返す言葉がない。
前提として、牧野は、佐伯や他のクラスメートたちに恋愛経験がないことをバラされたくないと思っている。
ならば、彼女と俺の関係を説明することは、物理的に不可能なのだ。
……顔面に、鈍い痛みが走る。
「おい」
低く重たい声で、俺と佐伯の間に寛が割って入る。
流石のクラスのリーダーも、寛には一目置いているらしい。奴の巨体にたじろいで、一歩、二歩、後ろへ下がった。
痛いな。
「……ずっと、楽しそうだった」
「あぁ?」
「アメリは、ここ最近、ずっと楽しそうだったんだ。だから――」
……。
「……ムカつくよ、お前」
一瞬の間に、佐伯が何を思い、何を押し殺したのか、分からないほど俺は鈍感ではない。
それでも、何も言わない俺を見据えると、やがて、佐伯は何かを諦めたかのようにため息をついてから、机を思い切り蹴とばす。
「サク、保健室」
俺は、一人で保健室へ向かった。




