023 それぞれの形
日曜日。
疲労困憊の俺がようやく目覚めたのは、朝アニメのレスキュー・ララが終わった後だった。
家族は、みんな食事を済ませている。
着替えまで終わってるのを見るに、恐らく、五人で出かける予定でもあるのだろう。
もちろん、俺は呼ばれていない。まぁ、付き添うつもりも一切ないがね。
「おはよう、ビリいちゃん」
卵かけご飯を口に運ぶ俺の膝に座った衣は、憎たらしくニヤけて俺を見上げた。
「なんだよ、衣。ビリーちゃんって」
「最下位のお兄ちゃんだから、ビリいちゃん!! きゃははっ!!」
……うぜぇ。
昨日は、妹たちの運動会で朝から忙しく、家に帰り着いたところでプッツリと意識が途絶えてしまった。
お陰で、『人殺しの尖塔』と『谷底に咲く』の動向をチェック出来なかったのだ。
おまけに、なぜか強引に参加させられた父兄の百メートル走。
相手は、まるで今が全盛期と言わんばかりの若いスポーツマンなパパばかり。
結果、俺は最後尾から五馬身以上の大差をつけられての大敗北という、初浜小学校創立以来の無様を晒す羽目になったのだった。
「ごちそうさま」
朝飯を済ませてコーヒーを淹れ、カップを片手に自室へ向かう。
洗い物の最中、母さんに夕飯のリクエストを求められたが、マドハンドばりにゾロゾロと現れた妹たちが口々に好みを騒いだお陰で、ついぞ俺の願いは口にすること叶わなかった。
いつものことだ。
こういう経験の積み重ねが、やがて子供を大人にするのだろう。
ならば、悲劇を甘んじて受け入れることは、決して損ばかりではない。
……というか、そう思ってないとやってらんねーよ。
食べたかったな、レバニラ炒め。
「やれやれ」
パソコンの電源をつけて気がついた。俺は、緊張している。
しかし、その理由を「なぜ」だなんてすっとぼけるようなマネはしない。
俺は、『人殺しの尖塔』と『谷底に咲く』が好きだから、ガラにもなく心を落ち着けたりしているのだ。
さぁ、結果は――。
「ホラージャンル、日間一位か」
……あ?
一位?
「一位ィ!?」
それ、おかしいだろ。
だって、ホラーには『異世界無限地獄』がいるんだぞ?
ノベハウの玉座があるんだぞ?
十年近くも一位を取り続けてる化け物なんだぞ?
絶対に超えられない壁じゃ、なかったのか……?
「あいつ、マジで風穴を開けやがった」
呟き、震える指でマウスを動かすと、誤操作でページ横に掲載されている編集者記事をクリックしてしまった。
編集者記事とは、ノベハウの運営が個人的に気に入った投稿作品を選び、直々にオススメ記事を執筆してくれる素敵なサービスなのだが――。
「人殺しの、尖塔」
それは、紛れもなく、薬丸の作品に対する評価だった。
しかも、大絶賛だった。
「……当たり前だ」
あの作品をプロの編集者が見つけて、気に入らないわけがない。
背後の違和感のトリックが、冒頭の一行目で既に明かされている奇想天外な設計。しかし、それに決して気付かせない薬丸の確かな筆力。
読者は、必ず二度目を読みたがる。そんな作品を、読書好きな連中が放っておくわけがなかった。
「これ、もしかしてジャンルどころか総合ランキングにも――」
奇妙な光景だった。
俺がクリックしたのは、ジャンル不問の週間・総合ランキングのはずだ。
表示されているのは、そのトップページ。
つまり、連載と短編の一位から五位までが表示される欄の中に、そのタイトルを見ていることになる。
「た、短編総合三位。『谷底に咲く』」
俺は、椅子からひっくり返り、轢かれたウシガエルのような格好で床に転がった。
「お、落ち着け。落ち着けよ、朔太郎」
あわあわ言いながら座り直し、改めてランキングを確認する。
順位は、やはり三位。それも、週間三位。日間では当然一位で、しかも、二位以下に300ポイント以上もの差をつけていた。
「……よっしゃ」
小さな声で呟く。しかし、その程度の表現で、満足出来る訳がなかった俺は――。
「キタァーーーーーーッ!! おおおおおおおおッ!!」
天に拳を突き上げて、一人で踊り狂った。それでも足りないから、何事かと部屋に入ってきた霞を持ち上げて抱きしめた挙げ句、キスまで食らわせた。
「うわ、キモっ!! 死んで!?」
後を追って来た祭と衣も加わり、殴る蹴るの暴行を受けた上、更に親父にまで引っ叩かれてノックアウトした。
……が。
「へへへっ」
あのバカ共が部屋から出ていって、三度ランキングを確認する。
何度見てもそこにある『谷底に咲く』が嬉しくて、俺はニヤけ面のまま寛に電話をした。
「よかったな」
至極冷静な友人の反応で、ようやく我に返った俺。
通話を終え、とっ散らかった部屋を片付けてから椅子に座ると、今度は、ただ黙って感動を噛み締めた。
「……あれ」
ふと、気が付いた。
ここまでの結果を残して、満足いく作品を書き終えて。あいつら、この後どうするつもりなんだろう。
……。
翌日。
「花ぁ!!」
酉島駅の改札を出ると、突然、何者かに横から飛びかかられた。
驚いて抱き留めると、胸の中に収まっているのは牧野アメリ。
しかし、彼女も無意識だったのか、急に顔を真っ赤にすると弾けるように離れて前髪を整えた。
「ご、ごめん。間違えた」
一体、何をどう間違えればクラスメートを補食しにかかるというのだろう。
俺は、恥ずかしそうに手で顔を仰ぐ牧野を、敢えて無視して話を進めた。
「見たぜ、ランキング。おめでとう」
一晩明けて、牧野は一位まで上り詰めていた。
この天才は、ランキングという不条理を面白さで捻じ伏せ、トップに君臨してみせたのだ。
まぁ、上位になったことで、その不条理によって押し上げられた、という見方が出来ないわけでもないが――今回ノータッチで行かせてもらうとしよう。
……身内贔屓?
上等だよ。
「う〜……っ」
「なんだ、嬉しくないのか?」
「嬉しい、けどさ……」
牧野は、周囲を見渡すと、更に顔を赤くして俺の脇腹を突っつく。
「い、行くよっ!! 学校、遅れちゃうからっ!!」
牧野は、プンスカしながら俺の前を歩き出す。
俺としては、少しくらい喜びを分かち合いたかったのだが――考えてみれば、あいつがランキングに興味ないのは前からだったな。
仕方ない。俺は、大人しく牧野の後に続いて登校した。
「……クククッ。やぁ、サク」
放課後になり部室に行くと、薬丸が右目を覆って妖しげな笑みを浮かべていた。
眼帯は……相変わらず装着しているようだ。
「よう。見たぜ、ランキング。お前、すげぇよ」
「ランキング?
あぁ、確かジャンル別一位になっていたっけ。クククッ、どうでも良すぎて忘れていたよ」
「嘘つけ、覚えてるじゃねぇか」
因みに、日曜の夜には、薬丸は二位に落ちていた。
恐るべし、『異世界無限地獄』。
この事実からも、薬丸がどれだけ凄いことをやってのけたかが分かるだろう。
「本当に忘れていたんだよ。
……いや、正確には『掻き消された』、と言ったところかな。新たな事実によってね」
本当にうぜぇ喋り方だな。
ウチの天才共は、もう少し素直に喜んだ方がかわいげがあると思うぜ。
「一応訊くけど、何に掻き消されたんだ?」
「書籍化だよ」
……はぁ?
「ボクは、本を出す」
「マジか?」
「マジだ」
「……もしかして、編集者記事を書いてくれた人からのオファーか?」
「クククッ。流石、察しが良いね。
その人から、昼休みに連絡が来たんだ」
茫然自失とは、まさにこのことだ。
薬丸の小説が本になる。こんなに嬉しいことがあるのか?
俺が夢を託した天才が、本当にプロ作家になるだなんて――。
「ねぇ、サク」
呟くと、薬丸は唐突に俺の胸へ額を預けて、少しも動かなくなった。
「……何も、言わないでね」
この引きこもりの天才が、どれだけの苦しみと葛藤を抱えたのか、俺はよく知っている。
しかし、薬丸はやり遂げた。それでも、己の存在を証明してみせたのだ。
俺は、そんな薬丸が誇らしかった。
「……えいっ」
ふと、背中にも額をぶつけられた感触があった。
「ま、牧野か?」
返事はないが、他に候補もいないだろう。
それにしても、朝は気にしてないようなこと言ってたくせに、やっぱり喜んでたんじゃねぇか。
……二人は、俺の制服を掴むと、そのままの姿勢で目を閉じた。
「お、おい」
両側に弱く引っ張られたまま、静かに時間が過ぎていく。
女子が、俺を挟んで無言の会話をしている。
そんな奇妙な感覚を覚えて、俺は非常に気まずい気持ちのまま天井を見上げていた。
「……ところで、お前たち、次回作のアイデアはあるのか?」
言うと、彼女たちは俺から離れ、まるで信じられないと言った表情を浮かべながら顔を合わせ、大きな、大きなため息をついてから席に座った。
「さて、『人殺しの尖塔』の続きを読もーっと」
「あ、アメリ。ボク、もう三回も『谷底に咲く』を読んだぞ」
「ほんと!? 私が読み終わったら、感想を言い合おうねっ!!」
「う、うん。えへへ、楽しみ」
……彼女たちの会話が、何かを取り繕うためのものであることには気づいていた。
けれど、この時の俺は、恋愛ってものを少しだって知らなかったんだ。
ただ、ここで鈍感を発揮したり、或いは暴いてしまうようなことをするのは、彼女たちに対して不誠実だってことだけは分かった。
だから、何も言わなかった。
その代わり、二人を次のステージへ誘うことを選んだのだ。
「なぁ。牧野、薬丸」
二人は一瞬だけ、ぎこち無く互いを見てから、ゆっくりと俺の方を向く。
「お前たちは、賞レースを目指せ」
そして、六月がやってくる青空に二人の声が木霊する。
彼女たちが、今日までの全部、ただの前日譚でしかなかったことを知るのは、もう少し先の話だった。




