019 和解と分解
翌日の放課後。
薬丸は、いつもと同じ席に、いつもと同じ姿勢で座っていた。
しかし、狭い部室の扉を開けても一ミリも俺の方を見ない。
正面に着くと、彼女はノートパソコンを斜めにして、俺を視界から逸らすように座り直し、そのままカタカタとキーボードを叩いた。
「ごめん、薬丸。俺が間違ってた。
許して……くれるか?」
挨拶よりも先に、机に手をつき深々と頭を下げる。
すると、薬丸は巣穴から周囲を伺うウサギのような仕草で俺の様子を伺い、大きな、大きなため息をつくと震えた声で言った。
「み、見捨てないでって言ったのに。
分かってる? サクは、ボクにとって一人だけの理解者なんだぞ?」
「……あぁ」
「怖かったんだからな。キミがボクを嫌いになったらどうしようって。
本当に、本当に……っ」
どこかズレた薬丸の傷つき方に、思わず首を傾げてしまう。こいつ、そんなことを考えてたのか。
……。
「なら、今度こそ約束する。
お前が書く限り、俺は絶対に離れたりしない」
「本当だろうね。次にまた、同じようなことがあったらどうするんだよ」
「その度に衝突する、喧嘩もする。でも、最後には二人でやり遂げる。
それでいいだろ」
「……気が散るから、編集中に口出しするなとか言ってたよな」
「撤回した。
面白い作品にする、二人が納得する形で世に送る。そのためなら、俺はなんだって受け入れるって決めたんだ」
すると、薬丸は上を向いて目を閉じた。
今日ばかりは、不必要に勿体つける態度に文句を言うつもりはない。
俺は、彼女が何かを堪え、噛み締めるような仕草をジッと見つめ、次の言葉を黙って待った。
やがて――。
「それで、どうするつもり?」
薬丸は、いつもの不敵な笑みを浮かべ、憎たらしくそう言った。
「お前の希望通り、深夜に投稿しよう。
ただし、一話から最終話まで一括で」
「……はぇ?」
その反応はもっともだ。
ウェブ小説の投稿は、一般的に初日だけ数話、以降は毎日一話ずつ夕方に投稿することが望ましい。
それが、長く投稿出来て多く読者の目に触れられる方法とされている。
そもそも、作者は須らく、自分の作品を多くの人に読んでもらいたいと考えているのだから、わざと読者を減らすような方法を選ぶ奴など普通は存在しない。
「だからこそ、強く惹かれる読者も出てくるはずだ。
カルトは、不合理からしか生まれない」
そうやって、狂気に身を委ねて熱狂的なファンを獲得したクリエイターはいる。
セオリーとなる術を無視して、頂点に至った天才が確かに存在している。
読者の一番になれるのは、そういう作家だけだ。
「他にやれることはやった。なら、最後で賭けに出たって後悔はない。そうだろ?」
薬丸は、しばらく唇を噛み締めていたが、やがて諦めたのか、自嘲気味に笑って俺の目を真っ直ぐ見つめた。
「……いいよ、乗った」
拳を握り、前に突き出す薬丸。それに呼応して、俺も手を軽く握りぶつける。
やり方は決まった。
あとは、実行するだけだ。
「やっほ〜、掃除で遅くなっちゃった……あれ? どうしたの?」
黙々と編集作業をする俺たちを見て、部室へやって来た牧野は開口一番、何かを感じ取ったのか首を傾げて俺と薬丸を見比べていた。
こいつ、本当に空気を読むスキルが半端ないな。なんで分かるんだよ。
「別に。ボクの伝説が始まっただけだよ、アメリ」
「え〜? なにそれ。『人殺しの尖塔』、そんなに面白くなりそうなの?」
隣りに座った牧野に、薬丸は鼻息荒く答えた。
「クククッ、もう面白いなんてレベルじゃないね!! 羊たちが目の当たりにするのは、悪魔も腰を抜かして驚く恐怖だっ!!
あぁ、楽しみにしているがいいよ!! アメリ!! ボクは、この一撃で退屈なウェブ小説業界に風穴を穿つ!!」
スゲェや。
こんなデカいこと、花朔太郎の口からは冗談でも出てこない。
俺は、俺には歩けない道を往く薬丸幸子に敬意を評している。
そして、そんな彼女に信頼されている自分を誇りに思うよ。
……。
「ところで、牧野。
今日は、『人殺しの尖塔』を仕上げたあとで、もう一度お前の三十本の短編を洗い直そうと思うんだけど。
一緒にどうだ?」
「前に書いたやつ?
うん、いいけど。なんでそんなことするの?」
「改めて、牧野が何を書きたいのか知っておきたい。
あの三十本には、きっと答えが眠ってる」
「……私の、書きたいもの?」
「あぁ。俺には、牧野の得意がラブコメだとはどうしても思えないからな」
牧野は、一瞬だけ目を泳がせて持っていた湯呑を握ると、再び俺を見てニコリと笑った。
「そ、そうかなぁ」
「知りたいんだよ。もっと、お前のことを」
言うと、なぜか薬丸がキーボードから目を離して牧野と視線で言葉を交わしてから、俺に「いーっ」とおちょくった顔を作った。
「……小説の話だぞ」
「う、うるさいなぁ!! 分かってるよ、そんなことっ!!
てかさぁ、花ってちょっと、自意識過剰なんじゃん!? まったく、失礼しちゃうよっ!!」
「気になってたんだけど、アメリって実は初心だよね。
それ、クラスメートは知ってるの?」
薬丸のまったく空気の読めない発言で、牧野はションボリしてしまった。
ナチュラルに人のプライドを逆撫でするの、止めたほうがいいと思うぞ。
「さぁ、編集しよう。牧野、ちょっと待っててくれ」
「う、うん」
「ねぇ、アメリ。それって窮屈じゃない? ボク、普通に言ったほうがいいと思うんだけど」
「うぅ……っ」
「やめてやれよ、薬丸」
あと、お前は人に説教出来るほど社交性ねぇだろ。
牧野レベルの陽キャに嫌われたら、いよいよ人として終わりだから気を付けろよ。
「……ひっぐ。な、なんでそんな酷いこと言うんだよぉ……っ。ごめん、アメリ。嫌わないでぇ……っ」
照れて固まった牧野と、泣きながら謝る薬丸。
そんな困っている女子たちをフルシカトして、自分の作業に没頭するクズみたいな男の姿がそこにはあった。
というか、俺だった。
「……よし、完成だ。おつかれ、薬丸」
「えへへ」
『人殺しの尖塔』が完成したことで緊張が途切れたのか、薬丸は珍しい年相応のスマイルを見せた。
「さて、一服つけたら牧野の作業に移ろう。
牧野、いけるか?」
「うんっ」
「ありがとう、サク。早速、今晩投稿してみるよ」
「健闘を祈る」
完全に力尽きたのだろう、薬丸は早引きした。
ある意味では投稿してからが本番なのだが――まぁ、これだけ頑張ったんだ。しばらくは休んでもらって構わないだろう。
つーか、俺たち仕事でやってるわけじゃねーしな。
「飲む?」
「あぁ、ありがとう」
牧野アメリに茶を淹れてもらう。
冷静に考えると、クラスの男子共に見られたら嫉妬で殺されかねないご褒美だ。
そう思うと、これも大切に飲まなければならない気がしてくるな。
――ゴクッゴクッゴクッ。
「んふふ、そんな一気に飲まなくても」
うまい。
「もう一杯どうぞ」
さて、ギャグはこの辺にして、牧野の作業に取り掛かろう。
「うんっ」
前に読んだ時は、物語の構造とキャラクターのリアリティにしか目がいかなかったが、これらは『水槽で飼ってる初恋』と決定的に異なる点がある。
「ズバリ、テーマがない」
なぜ、俺が『虐めてくる叔母様』と『初恋絶対成功委員会』が気に入ったのか、ようやく分かった。
この二つには、明確なテーマがあったんだ。
「前者には、理不尽からの脱却。後者には、他者の救済。
まぁ、こう言った屋台骨は、本来物語の根本的な要素なんだけどな」
牧野の凄いところは、ぱっと見でそれの不在を読者に気づかせないところ。
つまり、彼女の小説には納得せざるを得ない『ライブ感』があるのだ。
「ライブ感?」
「『凄味』と言い換えてもいい」
「いや、もっと分かんないから」
……。
「要するに、『今ここにあるかのような臨場感』だ。
現在進行系、予測不可能、そして一体感。それらを一言で表す言葉がライブ感だよ」
「ほっほ〜。なるほどねぇ、ふむふむ」
ライブ感を代表する名作の一つに、殊能将之の『ハサミ男』がある。
これは、殺人鬼である主人公が、自分の模倣犯にターゲットを殺された真相を探るミステリー作品だ。
「読者に予測する暇を与えないプロットと、凄まじいまでの没入感。
このレベルで両立している作品は、そう見つからない」
「ほぇ〜」
牧野は、俺の説明を聞いてもサッパリ理解していない様子で小首を傾げた。
「な、なんだよ。その反応は」
「なんか、初めてオタクっぽいとこ見たなぁって」
「んな……っ!?」
「花って、本当に小説が好きなんだね。かぁわいっ」
……俺は、牧野が淹れてくれたお茶を口に含んで渇きを潤すと、頭を振って恥ずかしさを宙に散らした。
「とにかくっ!!」
「あ、誤魔化した」
「ライブ感ってのは、読者の心を掴んで離さない要素なんだよ!! お前の小説にはそれがあるって話!!」
「んふふ、そっか」
……なんか、今日の牧野は調子狂うな。
けれど、こういう時にムキになって反抗すると、余計に恥かくことになるのだろう。
牧野はきっと、からかってるんじゃなくて素でやってるんだろうし。俺も、あまり気にしないようにしておこう。
「ゴホン。今回書いてくれた『水槽で飼ってる初恋』は、階級差をテーマにした作品だ。テンポも割とゆっくりだしな。
残念ながら、お前の強みが発揮されてる作品とは言い難い。前回ほどの結果は期待できないだろう」
「お、面白くなかった?」
「いや、そんなことはないさ。
特に、最後の一文なんてよかった。余韻を残す終わり方で、読者に想像の余地を残してる。
こういう、疑問や反論を産む物語は好きだ。牧野なら階級差を否定するものだと思っていたから、裏切られて気持ちがよかったな」
「……うぇへへ。そ、そんなに褒められると、体がちょっと痒くなっちゃうよぉ」
牧野は、軟体生物みたいクネクネすると、両手を頬に当てたまま蕩けてしまった。
「しかも、最後の一文……。きゃは〜っ!!」
ここまで美少女を台無しにして喜ぶ彼女の姿に、俺は妙な親近感を覚えていた。
窓辺で微笑むだけで絵になるというのに、勿体ない奴だ。




