018 凡人の決意
「……なんだよ」
「改めて、礼を言おうと思ってな。
宮崎のこと、ありがとう」
こんな時に、そんな爽やかな話題を聞く気にはならない。
だから、適当な返事をして切ろうと思っていた。
「それだけか? なら、もう切るぞ。今は忙しいんだ」
「嘘だな」
「……なに?」
「サクは、本当に忙しい時、電話に出たりしない」
こ、この野郎。
見透かすようなマネしやがって。
「お前、恋人が出来たからって知ったようなこと言うじゃないか。説教なら壁に向かってやってろよ」
「桃奈は関係ない。俺は、俺が感じたことをそのまま言ってる」
……。
「それに、最近のお前、前に戻ってるからな。
それをおかしいと思わないほど、俺は鈍感じゃない」
「……的外れだ、バカ。もう相手してらんねぇよ」
「待て、切るな。俺は――」
「じゃあな」
そうやって、無理矢理に電話を切ってから、どれくらい経っただろう。
再び、着信が入った。相手は、やはり寛だ。
「今度はなんだよ。何か、耳障りの良いセリフでも考えてきたのか?」
「降りてこい」
「……はぁ?」
「お前んちの下にいる、来ないと殺すぞ」
「こ……っ、はぁ!?」
今度は、逆に寛に切られた。
すぐにカーテンを開けて確認すると、そこにはジャージ姿で手を挙げる奴の姿がある。
まさか、隣街から走ってきやがったのか。
クソ、あんの体力バカめ。どんだけフィジカル極めてやがるんだ。
……俺は、渋々家の外へ向かった。
「なんの用だよ、こんな時間に」
「確認したいことがある」
「ねぇだろ、そんなもん!! いい加減にしねぇと――」
「お前、困ってるだろ」
……。
「お前には、幾つも借りがある。そろそろ返させろ」
「か、借りって。いつ、俺がお前に貸したんだよ」
「そういう面倒なやり取りはいらない、話せ」
「お前なぁ……」
「話せよ、頼むから」
この時の寛は印象的で、いつも通りの真剣さと自信をそのままに、しかし、眉毛だけがやたらと下がっていて、なんとも言えない複雑な表情をしていた。
……こいつ、変わったな。
「場所、変えるぞ」
言って、例の裏の公園に入ると静かにベンチへ座った。
寛は、そこの自販機で甘いコーヒーを買ってくると俺に一本寄越し、ドカッと座って息を整えている。
男相手に変な奴だ。
こういうイベントは、異性と楽しむものだろうに。
「さて、どこから話そうかな」
「全部だ、じゃないと殺す」
「あのさ、お前のガタイで『殺す』とか言われると、普通にビビるからやめてくんねぇ?」
つーか、宮崎に言いつけるぞ。
「それだけはやめろ、早く話せ」
そして、貰ったコーヒーを一口飲むと、俺は牧野との関係が始まった瞬間からすべてを話した。
終わる頃には、コーヒーはすっかり冷めていた。
しかし、その間、寛は一言も喋らずに、ただジックリと俺の話を聞いているだけだった。
「矢代先生にブレーキかけてもらったのに、俺は今までのストレス全部を薬丸にぶつけちまった。
……いや。それどころか、自分が書けない理由すら妹たちのせいにしたんだ」
「そうか」
「だから、死ぬほど凹んでた。これで話は終わりだ」
改めて言葉にすると、更に罪悪感が込み上げてくる。
どうしようもなくダサい自分が情けなくて、自嘲的な笑いが震えるようにやってきた。
「本当、バカだよな。
天才の創作に関わって、いつの間にか夢を託して。結果、俺は勝手にプレッシャーに押し潰されてさ。
あいつらは、好きにやりたいだけだったのに。それを邪魔してたのは、他でもない俺だった」
「いや、それは違う」
「違わないだろ。俺が薬丸のやる気を削いだんだ。
きっと、牧野にだって気付かないうちに――」
「好きにやりたいなら、あいつらは最初からお前に助けを求めたりしなかった」
……本当、受け入れがたい正論を間髪入れずに言う奴だな。
シリアスのセオリーとか、分かってないのか?
「俺には、小説のことは分からない。頭脳労働だって、向いてるとも思えない。優れた特技があるから、平凡なんて理解出来ない。
だから、お前が何に悩んでるのか正直ピンときてない」
なんにも分かってないじゃないか。何しに来たんだよ、マジで。
「でも、お前は間違ってる。助けてくれる男がウジウジ言ってたら、女は不安になるだろうが」
……。
「なぁ。お前、それ言ってて恥ずかしくないのか?」
無視された。
しかし、気が付けば、奴の柔道で潰れた餃子みたいな耳が赤くなっている。
どうやら、思い返したら恥ずかしくなってしまったようだ。
「……ふっ。ふふ……っ。
お前、そのクソ真面目な日本人顔で、高校生なのに、偉そうに女のこと……はっはっは!!」
「し、仕方ないだろ。お前みたいに上手く伝えられないんだから」
「女が不安になるって、付き合ったばかりのお前が女の何を知ってるんだよ!! あっはっは!!」
俺は、笑った。
久しぶりに、こんなに笑ったような気がした。
寛の気の抜けた決めゼリフのお陰で、張り詰めていた糸がプッツリと切れたからだ。
使命感とか、責任感とか、劣等感とか。この時だけは、一切考えずにいられた。
そして、深夜の住宅街で壊れたおもちゃのように笑う俺を見て、とうとう真面目な顔をしているのがバカらしくなったらしい。
やがて、寛も同じように笑った。
「……はぁ、マジで疲れた。
おい、寛。このガム、まだ味がするぞ。油断したら笑っちまいそうだ」
「う、うるせぇよ。まったく、偉い恥かいた。お前じゃなかったら、確実に投げ殺してるところだ」
言って、寛はそのクソデカい拳で俺の肩を小突く。これで殴られたら、相当に痛そうだ。
「……なぁ、寛」
「なんだ」
「助かった、ありがとうよ」
俺は、夜の闇へ真っ直ぐに伸びる道の奥を見ながら、横にいる友人へ静かに告げた。
「まだ、何も解決してないだろ」
「だが、少なくとも俺はやる気になった。それだけで充分だ」
「やるって、なにをだ?」
言いたいことは色々とある。考えるべきことも山ほどある。
俺自身が諦められないことだってあるし、根底にはやはり、面白いものを読みたいという欲求や、氷山みたいなコンプレックスだって眠ってる。
それでも――。
「天才と向き合う。もう二度と、ここには戻ってこない」
令和のイマガキは、もっとクールに勝ちに行く。
俺は、俺に出来ることを一つずつやってみるよ。




