2 秘密を共有する仲間
「避妊薬……どうしてそんなものが貴方のポケットから出てくるのかしら」
「常に持ち歩いていたからな。義姉さんがうっかり薬を切らして兄の子を孕んじまわないよう、いつでも融通できるように」
「そう。随分と気を回してくれていたのね。おかげで何の憂いもなくここを出ていけるわ」
「あんたは修道院に入りたいんだったな。貴族の身分を捨てて」
「ええ。思いの外、早く願いが叶ってしまったけれど」
遺された妻に爵位は相続されない。幾ばくかの寡婦手当ては与えられるが、後は生家に戻るか新たな嫁ぎ先を探すか、平民となり修道院に入るかだ。
私はローテーブルの上の乳白色の小瓶に視線を落とした。
亡き夫は嫡子の誕生を望んでいた。後継を産むことはこの家に嫁いだ私の務めで、つまり私達の間には夫婦の営みがあった。
夫は行為の間、愛の言葉を囁いて私の容姿を褒めそやし、終われば必ず労ってくれた。
単に子を成すためだけの作業めいた行為ではなかったことが、私には却って苦痛だった。
彼は大きな夜会があれば妻の私にドレスや宝石を買い与え、エスコートもダンスも完璧にこなした。
休日には私を食事や観劇などに連れ出しては、街中で可愛らしい赤子を見かけて『私とセレーナの子も、きっとあのように愛らしいのだろうな』と、柔らかな笑顔で言うような夫だった。
だが私は愛されていたわけじゃない。夫は伯爵家当主としての体面を保つ本妻を大切に扱っていただけだ。
彼が愛していたのは学生の頃から入れあげていた愛人だけで、それは社交界では周知の事実だった。だから私は伯爵家に嫁ぐことになったのだ。
実家の子爵家は、父の後妻に入った義母と彼女の連れ子である義妹のものだった。バーナードとの婚約は、私を疎む義母が嫌がらせで調えたものだ。
実母の記憶もなく、実父にも愛されなかった私を初めて人間らしく扱ったのは、皮肉にも夫のバーナードだった。
だから彼との甘やかな閨が嫌だった。私を愛さないと分かっている夫を、気を抜けば愛してしまいそうになるから。
愛人への嫉妬に苛まれる地獄に墜ちたくない一心で、私は避妊薬に手を出した。
この国の法律では三年間、夫婦の間に子ができなければ夫側から離縁できる。私は殊勝な妻を装い、自ら身を引く形で修道院に入るつもりでいたのだ。
それをランベルトだけが知っていた。避妊薬を求めた際に目的を問われ、打ち明けざるを得なかったからだ。
「ランベルト。ちょうど私も、貴方に用があったの。前回の薬代を渡しそびれていたわよね」
「金なら必要ない」
「借りは作りたくないわ。憂いなく修道院に行かせてちょうだい」
「残念だが、義姉さんは修道院には行けなくなった。あんたは俺の妻になる」
金の瞳を眇めて私を見ているランベルトの、口の端は上がっている。
「面白くない冗談ね」
「冗談なんかじゃない。この伯爵家の新たな当主は俺に決まった」
「そうなの? おめでとう。だったら尚更、然るべき家から新しく妻を娶るべきね」
「縁戚の連中にもそう言われたよ。だが、義姉さん……いや、セレーナが俺の妻にならなければ当主の座は引き受けないと条件を突きつけたら、奴ら渋々折れた」
「おかしいわね。それじゃあまるで、貴方が当主でなくてはならないように聞こえるわ。先代の血を引いているとはいえ、庶子の貴方を押しのけて当主になりたい人間なら、掃いて捨てるほどいるでしょうに」
「あの間抜けな兄が、愛人に持ちかけられた架空の投資話に手を出しやがってな。俺が金を用立てなけりゃ、今頃屋敷に取り立て屋がなだれ込んでいただろうぜ。そうなれば伯爵家の取り潰しは免れない。自力で借財を清算できる財力もなし、さりとて伯爵家という後ろ盾を失いたくない縁戚の連中が俺に泣きついてきたのが少し前の話だ。その時に俺は、金を出すのと引き換えにセレーナを妻に迎えることと、ついでに当主の座を要求したんだ」
「どうして、そんな……私よりも若くて美しい女性を、貴方ならいくらでも選べるはずよ」
私は隣に座る義弟を睨みつけた。彼はそんなものは意に介さないとでもいうように、私の銀髪を指で一房掬い上げて口づける。
「俺が欲しいのは、セレーナただ一人だ。他の女は必要ない」
金の瞳に射抜かれながら告げられて、不覚にも心臓が跳ねる。
(なぜランベルトは、私に執着するの……? これまでそんな素振り、少しも見せなかったのに)
青白い肌に色の薄い水色の瞳をした私の容姿をバーナードは美しいと讃えたが、子爵家の家族からは「生気のない人形のようだ」と詰られていた。
そんな私は三十路を前にした未亡人で、二十代半ばのランベルトは、由緒ある伯爵家の麗しき当主だ。私達は結ばれるには不釣り合いすぎる。
ランベルトは、私の髪を離して不敵に嗤った。
「なあ、セレーナ……あんただって、俺に惹かれかけていたよな? 二人きりで薬を受け渡す時、熱を帯びかける気持ちに、あんたは必死に蓋をしていただろう」
「それは貴方の思い込みだわ」
「俺に秋波を送る女が、この世にどれだけいると思う? 女の心の機微を俺が読み違えることはない。あんたの前の男だった愚鈍な兄と違ってな。……さあ、首を縦に振ってくれ。この家とあんたに仕える使用人達を路頭に迷わせたくなければな」
「っ……そんなの卑怯よ」
逃げ場のない脅迫だ。しかし私がこの美貌の義弟に心を奪われかれ、それを押し留めていたのもまた事実だった。
ランベルト自身も言ったように、彼に惑わない女が果たしてどれほどいるだろうか。
この蠱惑的な男が私の、夫を欺く秘密を共有するただ一人の仲間だったのだ。彼に気持ちを傾けないようにするのは大変だった。
でも今は、仲間であったはずのランベルトに修道院行きを握り潰された腹立たしさが勝っている。
屈辱に唇を噛み締める私に、彼は愉悦を含んだ声で追い打ちをかけてきた。
「心優しいあんたなら、俺を新しい男として受け入れてくれるよな……?」
私は義弟を見据えながら小さく頷いた。使用人を路頭に迷わせるわけにはいかないからと、自らに言い訳して。
「キャッ……何をするの!」
ランベルトに腰を強く引き寄せられ、反動で彼の胸にしなだれかかる格好になる。そして耳元に口を寄せて囁かれた。
「それだけじゃ足りない。セレーナ、あんたからキスしろ。俺を夫にする誓いのキスを」




