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夫の肖像画の前で執着義弟に甘く暴かれる薄幸の未亡人  作者: 葉藻ごま油


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1 死んだ夫と彼の異母弟

 伯爵家の当主である夫のバーナードが、平民の愛人と死んだ。


 護衛の一人もつけずに平民街の夜祭りに繰り出したところを破落戸の集団に目を付けられ、二人揃って路地裏に引き摺り込まれたのだ。


 治療院に駆けつけた時にはまだ辛うじて息があった夫は、ヒューヒューと空気の漏れ出るような変な呼吸をしながらベッドに横たわっていた。


「……ア、アニサ……すまない、私のせいで……君を……」


 アニサは私の名前ではない。


 酷く殴られたのだろう。顔は別人のように腫れ上がり、全身の骨が砕けているにも拘らず、夫はうわ言のように愛人の名を呼んでいた。


「あなた」


 私は夫に殊更優しく話しかけた。もう手の施しようがないと医者からは言われていた。


「セレーナ……か……?  頼む、彼女に……私を、アニサに会わせてくれ……」

「ごめんなさい、あなた。それはできないわ。アニサさんは路地裏で発見された時には既に絶命していたそうなの……先ほど警備隊の者に彼女の亡骸をどうするか尋ねられたから、いくらか心付けを渡して、町外れの集合墓地に埋葬してもらうよう頼んでおいたわ」


 アニサという女がどんな容姿をしているのかは知らない。ただ身寄りがないことだけは、以前に夫に聞かされて知っていた。


 夫にはそれなりに家族としての情はあったけれど、突然の出来事に狼狽していた私には、事実をぼかして伝えられる余裕などなかった。


「……そんな……」と一言だけ残して夫は事切れた。





 領主が平民の愛人と逢引の最中に凄惨な暴行を受け死亡したニュースは、翌朝の新聞の一面を飾った。


 葬儀は人目を避けるために近しい縁戚の者だけで執り行った。伯爵位を持つ領主の葬儀とは到底思えないほど簡素な式典だった。




 式を終えて屋敷に戻ると、私は応接室のソファに崩れるように座り込んだ。黒いレースの手袋を外し、きつく結い上げた銀髪を解く。


 渦中の我が家に逗留を願い出る者はおらず、弔問客の対応を屋敷でせずに済むことがせめてもの救いだった。


 使用人が置いていったテーブルの上の紅茶は、とうに冷めきっている。喉はカラカラに渇いているのに、すぐ目の前のカップに手を伸ばすことさえ億劫なほど疲弊していた。


 今夜はこのまま、ここで眠ってしまおう。行儀の悪さを見咎める者などもういないのだから──

 私が瞼を閉じた時、まるでタイミングを見計ったように、コンコン。とドアが小さく叩かれた。


「……今夜はもう下がっていいわ。一人にしてほしいの。ここには誰も近づけないでちょうだい」


 使用人の誰かだろうと、私は人払いを告げた。けれどドアの向こうにいたのは、まったく予想外の人物だった。


「義姉さん。俺だよ。ランベルトだ。入っても?」


 亡くなった夫の異母弟であるランベルトの声がして、私は一瞬だけ身を硬くする。今日の葬儀に、彼は参列していなかった。


「……ごめんなさい。今日はひどく疲れているの。できれば明日にしてほしいのだけど」  

「大事な用なんだ」 

「…………」


 有無を言わさぬ口調に「少しの間なら」と入室を許可した。急を要するものではないけれど、彼にはこちらからも用事がある。


 彼がドアを開けて入室してくる間、私はソファに投げ出していた身体を起こして貴族夫人らしい体裁を整えた。


「やあ、バーナード兄さん。今日は参列しなくて悪かったな。俺が奥様と鉢合わせたらあんたの葬式がぶち壊しになりそうだから、遠慮させてもらったよ」


 ランベルトは部屋に入るなり、応接室の壁に掛かったバーナードの肖像画に話しかけた。まるで本人が生きてそこにいるかのような気安い口振りで。


『奥様』とは、バーナードの実母でランベルトの義母にあたる前伯爵夫人を指す。愛人の子であるランベルトは、いつも彼女を『奥様』と呼んでいた。



「お義母様は、当面こちらへはいらっしゃらないそうよ。お義父様の体調が思わしくないのですって」


 私の義父母でもある前伯爵夫妻は息子のバーナードに跡目を譲った後、領地の外れの長閑な場所に居を構えている。肺を患った義父の療養のためだ。


「ははっ。そんなこと言って、単に好奇の目に晒されるのが嫌なだけだろ。実の息子が平民の愛人と逢引中に、ならず者に殺されておっ死んじまった醜聞が派手に広まってるからな。体面ばかり気にするあの人らしい」


 ランベルトはそう言って皮肉げに笑うと、私の隣にどかりと腰を下ろした。


「……近いわよ。向かいのソファに座ってちょうだい」

「構わないだろう? 俺とあんたは姉と弟だ」

「義理のね。……無駄話はいいわ。大事な用とやらを済ませて、早く出ていってちょうだい」


 突き放すように告げながら、隣に座る義弟に視線を向ける。ランベルトは不敵な笑みを浮かべ、着ていた上着を脱いでソファの背もたれにバサリと掛けた。


 男物の香水と煙草の匂いが、私の鼻腔を掠める。


 整えられた艶やかな黒髪を後ろに撫でつけ、衣服の上からでも分かるほど鍛え上げられたしなやかな体躯をしている義弟を見るたびに、その切れ長の金瞳と相まって、いつか絵画で見た黒豹を連想してしまう。


 彼の母親は準男爵家の子女で既にこの世にはいないが、匂い立つような美女だったそうだ。ランベルトの人を惹きつけてやまない危うい美貌は、きっと母親譲りなのだろう。


 義父によく似た柔和な顔立ちの夫とこの義弟とは、見た目も性格も育ってきた境遇も、そして現在の立場もまるで異なる。


 伯爵家の嫡子として本邸で育てられたバーナードと違い、ランベルトは義父が用意した貴族街の外れの別邸で母親に育てられた。そこで貴族としての最低限の教育を受けたようだが、本妻である義母がバーナードと同じ貴族向けの学院に通うことを許さなかったために、平民の学校に進学したと聞いている。


 品の良い貴族の所作と市井育ちの野生味を併せ持つ義弟は、今はその魅力と才覚を生かして商会を営んでいる。

 前当主が持つ複数の爵位のどれか一つでもランベルトに譲ることを義母が許さないので、彼は己で身を立てるしかなかったのだ。



「こいつはもう、あんたには無用の長物になっちまったな」


 ランベルトが、スラックスのポケットから小さな瓶を取り出してローテーブルに置いた。


 それは私がこれまで彼に秘かに用立ててもらっていた、避妊薬の瓶だった。




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