第29話 再会
「――い。おい! どうした、遥風」
「あえっ!? なに?」
「なにじゃない。本を持った瞬間いきなり立ち止まったから、心配になったんだ。その本、何が書かれていたんだ?」
私が手に取った本、背表紙にgeir=xitvioccroticaとだけ題名が記された本には、手掛かりになるような内容は何も書かれてはいなかった。
ただ唯一、『cxielnui』という文字と共に小さな鉱石がページをくり抜いて作られた枠の中に収められていた。
これは、黄鉱石。
「それ、黄鉱石か」
「うん。ねえアトリア。この本の著者名、見て」
「ん? フリックガング・フィオーネ=ライ・セカンダル――成る程、そういう事か」
著者名を見たアトリアが、あからさまに顔を顰める。
彼女の事は、記憶に新しい。星の光を宿したような輝きを放つ白金の髪、白い肌。眠たげに半分ほど落ちた瞼の下には、金色の瞳。
彼女の持っていた黄鉱石によって、アトリアは記憶をほぼ取り戻した。それだけじゃない。私の後輩である紬ちゃんとの一件も関わっている。結果論ではあるが、紬ちゃんの暴走を止めた恩人でもあるのだ。
彼女には感謝もしているけれども一言文句を言ってやりたい気持ちが無い訳じゃない。心中は複雑だ。
「……? 遥風、裏表紙に何か書いてある」
「え?」
本を隅々まで調べていたアトリアが、目ざとく何かを見つけて私に見せて来た。
「良き友に、ささやかな祝福あれ……なに、この言葉}
「遥か昔から伝わる、呪いの一種だな。再会を願い、末永く幸せであるようにと願いを込めるんだ」
「へえ。じゃあ、それを言われたらありがとうって返すの?」
「いや、形式的な返礼はある。祝福の音が、籠の底まで響かんことを。と返すんだ」
アトリアはそう言うと、優しい手つきで黒い表紙を撫でた。
その顔は過去を懐かしむようで、けれどもどこか寂しそうに見えた。
「お取込み中済まんね。その本、買うのかい?」
私達が何も言わずに黙っていると、それを見かねたのか店主が口を挟んできた。
私は思いっきり肩を震わせて驚いたけど、アトリアは何でもない風を装って店主に向き直る。そうして、店主に向かってさわやかな笑顔でこう言った。
「いえ。残念ながら、私達の探している本はありませんでした。他を当たるとします」
……ちょっと、直球過ぎないかな。ほら、店主のおじいさんも思いっきり眉間に皺を寄せてるし。言い方ってものがあるでしょうに。
私がアトリアの袖を引いてそっと注意すると、当の本人は不思議そうな顔で私を見下ろす。
いや、そこは気付きなさいよ。
「そうかい。出来れば、貰ってくれると有り難いんだけどね」
「え?」
店主のはそう言って、小さく溜息を吐いた。
一体どういう事だろう? 私達は顔を見合わせる。
「いや、その本ね。私が仕入れた訳じゃないんだよ。いつの間にか本棚に並んでいて、誰も手に取ろうとしないんだ」
「それに、表紙にもページにも何も書かれて無いだろう? 著者も不明だし、なんだか気味が悪くてね。お金はいらないから、どうか譲り受けてくれんかね」
そうか。店主には見えていないんだ。この本に書かれている文字が。
それは多分、この本が未来から持ち込まれたから。世界の強制力によって、現代の人間には干渉できないようになっているんだ。
アトリアも気付いたのか、神妙な顔で頷いた。
「そういうことでしたら、ぜひ」
「はい。ここで出会ったのも、何かの縁ですし」
「……そうかい。ありがとう。良い出会いであることを願ってるよ」
店主にありがとうと言って店を出る。時刻は既に一時を回っていた。
ぐうーっとお腹が鳴って、私は初めて時刻が一時を回っていることに気が付いた。
私はぐるりと周囲を見渡すと、丁度近くのハンバーガー店が目に入った。アトリアに確認すると頷いたので、さっそく店内へ。昼時ともあって、中は相当賑わっていた。
私はエビバーガーゼットを頼むと、三階へと上がる。
セイヤはてりやきバーガーセットにしたようで、追加でパティが3枚挟んである特大バーガーも注文していた。
「それ、食べきれるの?」
「問題ない。最近お腹が空いて仕方ないんだ」
そう言って、アトリアは大きく口を開けてハンバーガーを頬張り始める。
私もポテトを抓みながら、エビカツバーガーを食べる。サクサクの衣にぷりぷりのエビ。オーロラソースだろうか、他のチェーン店とは少しだけ違ったソースがエビカツと凄く相性がいい。シャキシャキのレタスも美味しいし、今度家でも作ってみようかな。
アトリアが食べているハンバーガーの味を訊ねようとしたその時。異変は起こった。
周囲の人たちの動きが次第にゆっくりになり、やがて停止する。世界は色を失い、どんどん灰色に染まっていった。
これは、あの時の。確か、空間凍結魔法とか言ってたっけ。
向かいに座るアトリアは、愕然とした表情で周囲を見渡している。そして、獰猛な鷹のような目つきになると、立ち上がって呪文を唱え始める。
「天は泣き、空は謳う。私は星々を駆ける者。時の静寂は反旗を翻し、私は渦巻く喧騒に呑まれゆく。万物の理に刃を突きつけた哀れな人の子に、時の裁きを――ぐうっ!」
アトリアが突如苦悶の声を上げ、両目を抑えて蹲る。私が傍に駆け寄ると、彼は両目から血を流していた。
いや、それだけじゃない。瞳を囲むように奔る三本の線が青白く発光し、左手にも複雑な文様が浮かび上がっていた。
これ、これは。そらの揺りかごに刻まれた、罪過のの刻印。
「よせ、死にたいのか」
どこからか、低いバリトンの声が聞こえた。全ての事象が停止したはずの空間の中で、声の主は足音を立てながらゆっくりと階段を上がり、私達の前に姿を見せる。
男はゆっくりとこちらに歩きながら、アトリアに無情な現実を告げる。
「揺り籠から見放されたお前に、世界の理を具現化する魔法は使えない」
「あんたに、何がわかるっ……!」
アトリアは声の主に向かって叫ぶ。私はというと、驚きで声も出せなかった。
男は私達の数歩前で立ち止まると、私達を見下ろす。
「分からぬさ。俺達は所詮、人の子。他種族より発達した脳を持ちながら、己の事すら満足に知らぬ」
「だがしかし、だからこそ我々は研鑽を止めず、邁進して努力することが出来る。嘗てのお前がそうであったように。今は変わったな」
「……変わってなんかないさ。俺は今も、自分の目的の為に動いている。あんただってそうだろ。自分の目的のために、俺達の前に現れた」
「そうだろ。――ゲッシュ」
アトリアが目を拭ってよろよろと立ち上がると、せせら笑う目の前の男に向かってそう吐き捨てた。
男は唇を真一文字に結ぶと、私の方をちらりと見る。その眼光に怯みそうになるも、私はアトリアの腕を握ってぐっと堪えた。
「また会ったな」
そう言うと、彼は薄く笑った。
再会した彼は、黒い軍服のような服を身に纏っていた。赤と金のエポーレットに、胸にはいくつもの煌びやかな略綬を付けている。
テレビで見るような優し気な目ではなく、見る者全てを凍てつかせるような眼差しで、私達を見ていた。
そして、私は思い出す。彼と初めて出会った時を。
「せいや君」
「然り。ここでの呼び名は星成せいやだ。だが、敢えて真名を名乗ろう。ゲシュマル・エヴィ=ノア・セカンダルと」
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