第24話 揺りかごに連なりし魔女
「――あら、邪魔されちゃった」
煌びやかな装飾が至る所に施された、書斎と言うには些か豪華過ぎる部屋で、一人の女性がそう小さく呟いた。
彼女の視線は、歴史書や研究資料がうず高く積まれた机の中央、黒曜石で出来た円盤状の地図に注がれている。
夜の闇よりも深い漆黒の地図には、大きく描かれた銀河の中に「○○観測所」や「黒雲」といった文字や銀河の端から端まで一直線に伸びた線路のような模様、チカチカと明滅する無数の星が描かれている。
その中の一つ、僅かに小さく光る青い星が、幾度か明滅してふっと消えた。
(邪魔をしたのは、地球の方かしら。それとも、私と同じ――。いえ、どちらでも良いわ。どのみち未来で解る事)
極彩色に輝いていた目を伏せ、再び開けると瞳の色は元の夕焼け色に戻る。
3次空間世界に生み出されて幾星霜。永きにわたって惑星セカンダルを観測し続けている魔女は、いずれ来る騒乱とその先にある生命のシンカに、胸を膨らませるのだった。
宇宙暦583年。またの年を、西暦2683年、8月32日。
アトリア恒星系・第4惑星惑星セカンダルにて。セカンダル38か国の1つ、フィーアフーラ国宮廷内で、《《彼女》》は意気揚々と廊下を歩いていた。
ポニーテールに結んだプラチナの髪はゆらゆらと揺れて、本人の機嫌の良さをこれでもかと主張している。まるで今にも踊りだしそうな、軽やかな足取りで王宮を進む。
「フィオーネ」
「! お母様」
「おかえりなさい。旅は楽しかった?」
荘厳な衣装に身を包んだ女王が、フィオーネの後ろから声を掛ける。
メイーダ・ノア・セカンダル。腰の辺りにまで伸ばしたプラチナの髪は、魔導灯の光を浴びて白く輝いている。優し気な印象を与える目元だが、夕焼け色の瞳は慈愛の中にも凛とした光を放っている。
顔立ちはやや幼く、身長も平均的でありながらも世の女性が羨むほどの抜群なプロポーションを誇るメイーダは、自室から娘を手招きして呼んでいた。
自称68億歳と言って憚らないフィーアフーラ国王妃は、娘を暖かい眼差しで迎え入れる。
「うん、楽しかった。過去の文明って記録映像よりもずっと面白いの」
「ふふ。旧人類の文明は、洗練されていないから。でも、味があるでしょう?」
「私には、大味が過ぎる。空気は酷いし、音は煩いし、何より人力が多すぎる。でも、相も変わらず人は感情に支配された哀れで愚かな物体だったってことが識れたから、概ね満足」
フィオーネは母に入れてもらったお茶を飲みながら、旅の感想を楽しそうに話す。親子にしてはとても似つかわしくない会話だが、これが彼女達にとっての日常会話だった。
「それにね。久しぶりにアトリアの番に会った。最後に会ったのは、いつぶりだったっけ」
「そうねぇ。アトリアの第4次時空間跳躍実験が成功した時以来かしら。あの時はほら、あの子と一緒にこっちに来たじゃない?」
「ああ、そうだった。確かその後、父上に牢屋に入れられて衰弱死したんだっけ。第5次跳躍実験はこっちに来なかったから」
……アトリアによる跳躍実験は、記録上1回しか行われていない。にも拘らず、2人は当然の如く複数回行われたかのように話す。それに、今の時空では存在しえない深山遥風というイレギュラーに関しても。
人を超越した力を持つ2人には。過去を覗き、今を生き、未来を識る彼女たちにしてみれば、時間や空間の縛りなどあってないようなもの。
互いの能力を理解しているからこそ、会話に嘘や偽り、隠し事など意味を成さないのだ。だからこそ、2人は事実のみを話す。
外の衛兵は動かない。
「ねえ、お母様。今度のアトリアは、こっちに来れるかな」
とはいえ。嘗ては超常の力を使えたメイーダであっても、幾度にも渡る代替わりと観測惑星からの妨害によって力は大きく制限されている。
今では、自らの血が混じった子供達の存在とシンカした人類を感じ取る程度の能力しか行使することができない。
その代わり、その他の力は娘に受け継がれつつあった。
セカンダル家長女にして、誕生したその時から真化しているというその特異な生まれから王位継承権を得なかった皇女、フリックガング・フィオーネ=ライ・セカンダルに。
「そうねえ……」
だが、メイーダだけは気付いていた。
未来が近づくにつれ、息子の気配がより大きく感じ取れることに。2人の息子の帰還と同時に、この国の未来に影が差すことにも。
だからこそ、国母であり、惑星セカンダルを長年に渡って包み続けて来た彼女は娘に問う。
「フィオーネ。もし、アトリアがこの国に仇成す咎人であるなら、貴女はどうするの?」
「どうしたの、急に」
「私の勘よ。さあ、答えて頂戴」
フィオーネは断言する。
「そんなの、アトリアに協力するに決まってる。だって、絶対にそっちの方が面白い」
自信満々にそう告げる娘に、メイーダは満足げに微笑む。その笑みは、聖母の笑みにも見え、或いは総ての者を拐かす妖艶にして悪魔の笑みにも見えた。
対するフィオーネもまた、母と同じ笑みを浮かべている。
メイーダは知っている。アトリアの帰還によって、この国に大きな厄災が訪れるであろうことを。
フィオーネは知っている。ゲシュマルの帰還によって、地球が大きな岐路に立たされる事を。
外の衛兵は動かない。
その時、ドアが控え目に数回ノックされた。
室内に入って来たのは、真っ黒な警護服に身を包んだ憲兵と、手錠を繋がれた一人の女性。
フィンダース・パウラ・エリーラ管理局長は、国土防衛軍上級大将及び国立科学研究所所長の時空間跳躍実験承認の容疑で拘束されていた。
「あなたたち、下がっていいわよ」
メイーダが告げると、憲兵は恭しい態度で部屋を後にする。
「ごめんなさいね、エリーラ。貴女に責は無いとはいえ、事態終息の為にはこうするしか無かったの」
「……いえ。心得ております」
その声は、明らかに憔悴していた。
無理も無い。心を寄せ、将来を誓い合った男性が何も言わずに目の前から消え、自分の弟とまで思い接していた相手に至っては自らの航宙管理証を偽造してまで跳躍したのだから。
「ねえ、パウラ」
「はい。フィオーネ様」
「心配しなくても、あの子たちは帰ってくる。だから、大丈夫」
そう言うと、エリーラは弾かれた様に顔を上げる。だがゆるゆると首を振ってその言葉を否定する。
「いいえ。いいえ、フィオーネ。彼らは帰っては来れないわ。だって、彼らは大罪を犯した。ゲッシュも、アトリアも。過去への跳躍なんて、この先の未来にどんな影響が起こるか」
「それでいいの。この一連の事態でさえ、既に定められていた事象に過ぎない。想定範囲内だよ」
そう言って、フィオーネは顔を覆ったエリーラをぐっと胸に抱きよせる。
立場は違うとはいえ、年齢に大きな差は無い。加えて、幼少期から同じ学舎で共に学び競い合った仲であり、2人は良き友人関係を築いていた。
「――エリーラ。いいえ、フィンダース航宙管理局長。面を上げなさい」
「は、はい」
唐突に名を呼ばれたエリーラが、肩をびくりと震わせて顔を上げる。
彼女の眼には、プラチナの髪に星の光を纏わせ、瞳を極彩色に輝かせた一人の女性が映っていた。
幾度となく接してきたフィーアフーラ国王妃の姿では無く、好き友人であるフィオーネの母の姿でも無い。もっと異質の――揺りかごに連なりし魔女としての雰囲気を纏った存在が、目の前に在った。
「エリーラ」
「は、はい」
「今はまだ、受け入れられぬのも無理はないでしょう。けれども、いずれ貴女は甘受する。自らの運命と、その身に刻まれた使命を」
困惑を隠せないエリーラを見下ろしながら、王妃は朗々と告げる。彼女の言葉を耳にした者が他に居たならば、彼女の言葉は稀代の英雄が仲間に達する演説にも、裁判官の無情な死刑宣告にも聞こえ、或いは天使が生まれ行く赤子に授ける福音にも、天を忌み嫌う悪魔の呪詛にも聞こえた。
「いずれ知るでしょう。星の名を持つ我が子たちが齎す厄災を。民は割れ、大地は枯れる。鬱屈と憤怒は新たなる戦の鬨の声となるでしょう」
「そんな。そんな事――」
「やがて辿り着く。星の名を冠した我が子らが贄になることで、この国は新たなる夜明けを迎える。大地に生まれし人の子が、滅び逝くべき人の子がまた一つ大いなる段階へと歩を進めるのだ」
「っ!」
太陽と蒼月。実の息子でありながら彼らを贄と称し、尚且つ必要な犠牲であるかのような物言いに、エリーラは驚愕を超えて戦慄する。
余りにも常軌を逸した言動をするこの女性は、果たして一体誰なんだろう。そんな考えが浮かんでしまうほど、普段エリーラが接するメイーダの人物像からはかけ離れていた。
メイーダの圧倒的な底知れなさと根源的な恐怖から思わず後退りしたその時、後ろからそっと抱き締められる。
そんな事をするのは、この部屋において1人しかいない。
メイーダの実の娘でありながら、フリックガング生命玩弄実験施設初の遺伝子調整個体、フリックガング・フィオーネ・ライ・セカンダルをおいて、他には。
「ふぃ、フィオーネ?」
「大丈夫。私達に委ねて。国王陛下に好き勝手なんて、させないから」
「ええ、ええ。陛下も所詮人の子。我らの力を以てすれば、事象の顛覆など容易い」
王妃の口利きによって厳しい尋問から一時解放されたかと思いきや、決して獲物を逃さぬ蜘蛛の糸に囚われていた。それを悟ったしたのは、極彩色に輝く4つの瞳に魅入られた時だった。
王妃と皇女。彼女たちのクーデターとも受け取られかねない会話を聞いていた筈の衛兵は、ついぞ動かなかった。




