第二話
体育館は昔と変わらず、たてつきの悪い扉の先はなにもない広い空間だった。
今にもバスケ部の「ドンドン、キュッキュッ」という試合の音が聞こえてきそうだ。
私はふらふらと中に入っていく。
今日は日曜なので部活動はどこもない。
誰もいない体育館で私は一人、夢遊病者のように彷徨いながら・・・・・
またあの日に戻るのだ。
何だかとっても気まずい。
どうしよう。
盗み聞きをしていたのがバレた以上、
このまま隠れているのもなにか変なので思い切って出てきてしまったが、
さっさと上履きを取って「邪魔しちゃってごめんね。それじゃ、」
といってそのまま出て行ける雰囲気はそこにはなかった。
どうしよう。
ステージの上から私を見下ろしている桔梗ヶ咲奈々杏寿恵里ちゃんは
直立不動でだまっている。
ただその目だけは何かを訴えているようだった。
ただ時間だけが流れた。
何か言わなくては、と私はくっつきそうになっていた口を開く。
「あの・・・・いつもここでピアノを弾いてるの?」
するとソプラノの声が帰ってきた。
「たまに・・・・バスケ部の人たちがいないときだけ」
また沈黙の時間が流れる。
「ピアノ上手だね。ならってるの?」
「昔ちょっとだけ」
そして一瞬の静寂が訪れ、
少女が口を開いた。
「聴きたい?」
それは私へ向けられた質問であり、
彼女なりの意思表示でもあった。
鍵盤はなめらかに動き、音を生み出す。
私はただ、それに聞き入っていた。
この曲はさっき聴いていたものだろうか。
静かな草原を思わせるような曲だ。
「あたしね、自分がピアノ弾いてるとこ、この学校で誰にもみせたことないんだ。」
ピアノの音にソプラノの声が混ざる。
「でもあなたには聴いてもらいたいって思ったの。」
手元も楽譜も見ないで彼女は続ける。
「ここで秘密の練習してるのがバレたの、あなたが初めてだし。それに・・・・・・」
ピアノがどんどんゆっくりに、音が小さくなっていく。
しばらくして、つかの間の無音の時間が訪れた。
「なんだか昔の自分を見ているみたいで。」
ピアノの音が戻ってくる。
さっきまでの静かさはなく、
それぞれの音があっというまに通り過ぎていく。
鍵盤の上の長い指が、ものすごいスピードで踊る。
「あなたの名前は?」
少女が訪ねる。
やはり手元は見ていない。
「冬野綾芽」
「冬の菖蒲か、なかなかいいわね。」
また曲の調子が変わった。
今度はダイナミックで壮大だ。
「あたしの名前は・・・・・・」
どんどん力強くなっていく。
そして
「ききょうがさき ななあんじゅえり。」
最後の一音が響いた。
私は、ぱちぱちと手がちぎれるくらいに拍手した。
「あなたとは仲良くなれそうね。だって、
桔梗と菖蒲だから。」
そう言い残して、隠れた天才ピアノ奏者は体育館をあとにした。
「あ、そうだ。あさってもここで弾くからよかったら聴きに来てよ。
あやめ、あたしのことはナナでいいよ。」
ソプラノの声が遠ざかる。
これが私とナナの出会いだった。
はっ、と思いだして私は体育館を飛び出した。
炎天下のコンクリート道をひたすら進む。
自分でも驚くほどのスピードで足が勝手に動いた。
もう、暑さなんかまったく気にならなかった。
「あそこなら、何か見つけられるかもしれない。」
そんな思いが渦巻いていた。




