第六話 ミレイユの視線
焚き火の番を買って出たのは、ミレイユだった。
「みんな、少し眠っておいたほうがいい。私が見張りをしておくから」
レオンはあくびを噛み殺しながら頷き、毛布にくるまってすぐに寝息を立て始めた。
シエルも、日中の一件で疲れていたのか、横になってすぐにまどろみに落ちていった。
ヨハンだけが、少し離れた木の根元に座り込み、剣の手入れをする振りをしながら、時折シエルの寝顔をちらちらと確認していた。
その様子を、ミレイユは焚き火越しにじっと見つめていた。
――やっぱり、そうなんだ。
王都にいた頃から、薄々気づいてはいた。
ヨハンがシエルを見る目には、幼馴染に向けるにしては、少し違う色がある。
今日の一件で、それがはっきりと確信に変わった。
狼が襲ってきたあの瞬間、ヨハンは迷いなくシエルの前に飛び出した。
剣術もろくにできないくせに、命の危険も顧みず。
――私の前には、あんな風に飛び出してくれたことなんて、一度もないのに。
自分でも驚くほど、その考えが胸に刺さった。
ミレイユとヨハン、そしてシエルの三人は、物心つく前からの幼馴染だった。
三人でいつも一緒にいて、三人でいつも笑っていた。
その関係の中に、いつからか「特別」という感情が紛れ込んでいたことに、ミレイユ自身、はっきりと気づいたのはつい最近のことだ。
だが、その感情に名前をつけた頃にはもう、ヨハンの視線の先にはいつもシエルがいた。
「……起きてたのか」
不意に声をかけられ、ミレイユは肩を跳ねさせた。
いつの間にか、ヨハンがこちらに歩み寄ってきていた。
「見張り、代わろうか? 少しは休んだ方がいい」
「ううん、平気。それより、ヨハンこそ休んだら? 明日も歩くんだから」
「まあ、な」
ヨハンは焚き火の反対側に腰を下ろした。炎の明かりが、彼の横顔を赤く照らす。
ミレイユは、思い切って聞いてみることにした。
「ねえ、ヨハン」
「ん?」
「最近、様子が変だよね。選定の儀の日から、ずっと。シエルのことも、必要以上に気にかけてるみたいだし」
ヨハンの肩が、わずかにこわばったのがわかった。
「……気のせいだろ」
「気のせいには見えないけど」
沈黙が流れた。焚き火が爆ぜる音だけが、静かな夜に響く。
ミレイユは、それ以上踏み込むべきかどうか迷った。
ヨハンには何か事情があるのかもしれない。
彼女にはまだ、それが何なのか見当もつかなかった。
だが、無理に聞き出すことが、正しいこととは思えなかった。
「……何か、事情があるんだよね」
「え?」
「話したくないなら、話さなくていい。ただ、一つだけ言っておきたいことがあって」
ミレイユは、まっすぐにヨハンの目を見た。
「私たち、三人とも幼馴染だから。ヨハンがシエルを守りたいって思うのは、別に責めるつもりはないの。でも――」
言葉に詰まる。
本当は「私のことも見てほしい」と言いたかった。
だが、それを言葉にすることが、今はどうしても躊躇われた。
「でも、一人だけで抱え込むのはやめて。私だって、パーティの一員なんだから。何かあったら、頼ってほしい」
精一杯の本音を、別の言葉に置き換えて伝えた。
ヨハンは少し驚いた顔をした後、小さく頷いた。
「……ああ、わかった。そのうち、ちゃんと話す」
「うん」
それ以上、二人の間に言葉はなかった。
だが、その沈黙は、先ほどまでの張り詰めたものとは少し違う、穏やかなものだった。
しばらくして、ヨハンは毛布にくるまり、静かな寝息を立て始めた。
ミレイユは一人、焚き火の番を続けながら、月明かりに照らされたシエルの寝顔を見つめた。
――ずるいな、シエルは。
自覚もないまま、あんなにまっすぐな想いを向けられて。
その考えが浮かんだ瞬間、ミレイユは自己嫌悪に襲われた。
シエルは何も悪くない。
むしろ、今日の一件で誰よりも不安を抱えているはずなのに、そんな彼女に嫉妬心を抱くなんて、あまりにも身勝手だ。
だが、感情というものは、理屈通りにはいかないものらしい。
ミレイユは小さくため息をつき、焚き火に新しい薪をくべた。
――この旅が終わるまでに、私はどんな気持ちで、この二人を見ていられるんだろう。
答えの出ない問いを抱えたまま、夜は静かに更けていった。
翌朝。
一行が目を覚ますと、空には重たい灰色の雲が広がっていた。
「雨、来そうだな」
レオンが空を見上げて呟く。
「急いだ方がよさそうです。次の街まで、あとどれくらいでしょう」
ミレイユが尋ねると、ヨハンが記憶を辿るように答えた。
「半日もあれば着くはずだ。『ミドルトン』っていう、中規模の街だったと思う」
「詳しいね、ヨハン」
「まあ、な」
誤魔化すような返事に、ミレイユは小さく苦笑した。何かを隠しているのは明らかだったが、今はそれを追及するときではない。
一行は荷物をまとめ、次の街へ向けて歩き出した。
空を覆う灰色の雲の下、四人分の足音が、街道に静かに響いていた。
――そしてその頃、王都の神殿では。
誰もいないはずの資料室で、一冊の古い書物のページが、ひとりでにめくれていた。
開かれたページには、こう記されていた。
「魔王の器は、愛によって満たされ、愛によって目覚める」
(第七話へ続く)




